最終章 オーバードーズ
沙綾香が突き落とされた下の空間は、高級ホテルのスイートルームのような印象を受けた。部屋のほぼ中央にキングサイズのベッドが横並びで2つ存在し、それを囲むように、計20人掛けほどのソファ類やガラステーブルが置かれている。部屋の右上スペースには冷蔵庫と簡易キッチン付きのダイニングがあり、左下はトイレが併設されたバスルームに繋がっている。同じく倶楽部内にあるリフレッシュルームなどと同様、過ごしやすそうな空間だ。 ただし、奇妙な点もいくつかあった。 1つめは、フロア内の仕切りがすべて透明な素材でできていること。そのため、例えばシャワーを浴びていても、その姿は外から丸見えになってしまう。 2つめは、俺がいる場所からちょうど正面にあたる場所に、壁一面を覆うような超大型モニターが設置してあること。 そして、3つめ。これは俺から見て、部屋の左右にある壁の問題だ。 まず左側は、一面鏡張りになっている。つまり部屋内で行われるあらゆる動作は、全てこの鏡に映り込むこととなる。 そして、右側。ここには、鉄格子が嵌め込まれていた。スイートルームさながらの一画に、牢屋を思わせる空間があるんだ。この違和感は只事じゃない。和室の一角に、無数のお札が貼られた襖がある……そのぐらいの異常性だ。しかも、その鉄格子の奥は妙に薄暗かった。下のフロアは、俺が今いる部屋のライトがそのまま降り注いでいるから、全体が白く染まるほどに明るい。ところが鉄格子で区切られた左側エリアだけは、わざわざ壁と床が設けられて光が遮断されている。闇の中にかろうじてベッドの存在だけは視認できるが、わかるのはそれだけだ。 つまりあの部屋で生活すると、謎の巨大モニター、あらゆる姿が映り込む一面の鏡、異様な雰囲気を漂わせる『檻』と、3重苦を味わうことになる。俺が今いる総鏡張りの密室ですら、長く居続ければ発狂するという確信があるが……下の部屋で暮らすストレスは、それをさらに上回りそうだ。
沙綾香が落とされたのは、2つのベッドと巨大モニターに囲まれた空間だった。その周りにだけはソファもテーブルもなく、多くの人間が集まれる造りだ。彼女はそこで、10人の黒人に囲まれていた。 居並ぶ10人は、揃いも揃ってデカい。170センチの超長身を誇る沙綾香の頭が、黒人の肩の高さなんだから、全員が軽く2m超えというところか。おまけに筋肉量も尋常じゃない。大胸筋は膨れ上がり、腹筋は深く割れ、二の腕や大腿部のボリューム感となると、一般的な日本人男性のウエストと比較しうるレベルだ。 そして、もう1つ。連中はボクサーパンツだけを身につけているが、その股間部分はテントを張るように膨らんでいる。同じ男として、その膨らみ具合には焦りを隠せない。
『どうです、先生。見事な肉体ばかりでしょう。そこに集まっているのは、我が倶楽部の擁する、超一流の調教師達です。いずれも、貴方の元教え子ですがねぇ』
つい今しがた、端塚はスピーカー越しにそう語った。 超一流の調教師。祐希、千代里、藤花、桜織……上のフロアで少女達を完全に壊したあの連中よりも、さらにタチが悪いというのか。考えたくもない。考えたくもないが、奴らの肉体には説得力があった。奴らは、優れたオスだ。少なくともパワフルさという点では、この地球上で上位数パーセントに入るのは間違いない。 「ち、近づかないでっ!!!」 10人の黒人調教師の輪がさらに狭まり、もう一歩で身体に触れられる位置まで近づいた瞬間、沙綾香が叫んだ。相当な恐怖なんだろう。目を見開き、腕を掴んで身を縮こまらせている。一方で調教師共は、怯える沙綾香に遠慮のない視線を注いでいた。 「近くで見ると、またすげぇな。とてもアジアンとは思えねぇ」 「8頭身はあるか? 顔はガキくせぇのにこのカラダとは、堪んねぇぜ!」 「ああ、見てるだけで勃ってきちまう。藤花ってガキの方が乳の発育はよかったが、こっちは奇跡のバランスって感じだな!」 黒人共は、白い歯を覗かせて口々に下卑た言葉を吐く。話し言葉は英語……それも独特の癖がある『黒人英語』だが、記憶を無くす以前の賜物か、俺には難なく理解できた。 ギラついた20の瞳が、怯える獲物を凝視する。今まさに飛びかかろうとする黒豹のようだ。俺がそう感じた、次の瞬間。連中の一人が、とうとう沙綾香の手首を掴み上げた。 「いやっ、痛い!!」 沙綾香から悲鳴が上がる。表情からして本当に痛そうだ。 「やめろっ!!」 俺は必死に下のフロアに呼びかける。 「待て!」 俺の叫びとほぼ同時に、ロドニーも黒人男の肩を掴んだ。奴から見ても目に余る行動らしい。 「ああ!?」 肩を掴まれた黒人男は、うるさそうにロドニーの手を払いのけながら、背後を睨みつける。双方共に身長は2mを超し、風貌は毛のないゴリラそのものだ。その2人が至近距離で火花を散らす迫力は、場の空気を凍りつかせるのに十分だ。 「……チッ、解ったよ」 しばらく睨み合いを続けた後、引いたのは黒人調教師だった。肩を竦めて歩き去る彼を見送り、ロドニーがやれやれとばかりに首を振る。
「一触即発、ですな。あらかじめ女を与え、自制させる意味も込めて下着を履かせましたが……獣の欲望は抑えきれませんか」 ふと、そんな言葉が上空から振ってくる。顔を上げれば、そこには見覚えのある姿があった。 汚れひとつないタキシードに身を包み、白手袋を嵌め、白髪の交じりの髪をオールバックに固めた眼帯男。見間違えるはずもない。端塚だ。ティーセットや菓子の乗ったトレイを手にしている様は、まるで執事を思わせる。 「貴様ッ…………!」 俺が恨みを込めて睨みつけても、端塚から敵意が返ってくる様子はない。それどころか、フロア下から俺へと移される視線には、柔らかささえ感じとれた。 「思想が裏返っても、その眼はお変わりありませんな」 「なんだと?」 即座に問い返すものの、俺は勢いを失くしていた。暖簾に腕押ししているような肩透かしの感もあるが、それ以上にコイツの事が不気味でならない。 「私はまだ、貴方を諦めてはおりません。異端者たる我々にも、太陽は必要なのです。貴方という、地の底を照らす太陽が」 端塚は手にしたトレイをテーブルに置き、改めて俺を見据える。 「初めて貴方に出会った日のことは、今でも忘れられません。私は貴方のその瞳に、乱世の覇王の色を見た。この窮屈で、小賢しく成り果てた世の中を、貴方とならば変えられる気がした。その想いは、今も変わってはおりません」 ゾッとする。誰かに慕われるのは、本来嬉しいことのはずなのに、こんな外道共に祀り上げられるのは不名誉でしかなかった。 「ともあれ、ティータイムに致しましょう。喉がお渇きでしょうから」 端塚はそう言って片手を上げる。すると俺を組み敷いていたセキュリティ連中が力を緩め、俺を引き起こして椅子に座らせた。スタンガン内蔵の警棒を構えたままである以上、完全に解放するつもりもないようだが。 少し離れた場所では、沙綾香が落とされた穴が再び閉じていく。これで俺と沙綾香は、完全に隔絶されたことになる。
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