【IF】宰相閣下の憂鬱㊦
今年もリゲルブルクに遊猟祭の季節がやってきた。
遊猟祭とは郊外にある王家の別荘地の遊猟場で毎年秋に開催される催事の一つだ。
意味合いとしては、王室の人間と国内の高位貴族間の友好を深め、国内の要人達の結束を高めようと言う物である。
高位貴族でも招待されない者もいれば、下級貴族や騎士伯でもその年の国家への貢献によって招待される。
その為、王室主催の遊猟祭に呼ばれる事が、リゲルブルクの貴族間ではステータスの様な物となっている。
遊猟祭とはその名の通り狩猟を楽しむ祭りであって、男達が主役の祭りだ。一番大きな獲物を仕留めて来た者が優勝となる。
実はリゲルブルクでは剣術、馬術をはじめとしたこの手の体育会系の行事が多く、王族でも高位貴族でも、文武両道でなければ民達に一目置かれる事はない。
この手の催事の時に大恥をかいてしまったら最後、将来王になった時に周りから軽視される様になるので王族も必死だ。
ちなみに女達は狩りをする男達の帰り待つ傍ら、森の中で優雅にガーデンパーティーを楽しむ。
実はここでも密かに、女達の熾烈な戦いが繰り広げられている。
歌や踊り、楽器の演奏、ドレスの布地やら装飾品の値段の探り合い、機知に富んだ会話が出来るかどうか等。
生まれながらに婚約者のいる家の娘は別として、この日の母親の売り込みにより、大部分の貴族の令嬢達は将来の伴侶が決まるので皆必死だ。
更に言ってしまえば、主人達が狩ってきた獲物をその場で調理する、各々の家の使用人達の戦いもその後に待っている。
そう言った意味では、遊猟祭は祭りと言う名の戦いの一日だった。
「憂鬱だ…」
幼い頃からずっと楽しみにしていた遊猟祭に、今年度初参加するアンドレ王子の顏は暗い。
毎年輝く優勝トロフィーを持ち帰って来た父の様に、自分も表彰台に上がるのだと闘志を燃やしていた彼は、この日が来るのをずっと楽しみにしていた。
ーーーしかし。
「はあ…」
アンドレ王子は自分の隣で、形の悪い黄ばんだ歯をむき出しにして、臭い息を吐きながら豚の様にブヒっと笑う、毛並みが悪く、鼻穴がやたら大きい醜馬を見て大きな溜息を付いた。
この醜馬の名前はアダルジーザと言うらしい。
「アンドレが初めて参加する記念すべき遊猟祭だからな!幾度も死線を搔い潜った僕の愛馬を貸してやろう!」と敬愛する叔父に王族専用の厩舎に連れていかれた時、彼の胸は弾んだ。
自分が産まれる前、彼はこの叔父が国境の最前線で剣を振るい、彼の母の命を救ってくれたと言う話を聞いている。
「あの時のエミリオ様、とっても素敵でいらしたのよ」
「や、やめろ、スノーホワイト…」
「だって本当の事ですもの」
「う、うむ…」
照れているらしい叔父の様子が少々勘に触るが、まあ、良いだろう。この程度ならば許容範囲内だ。
うっとりとした瞳で少女の様に頬を染めながら当時の叔父の勇姿を語る母の様子に、アンドレ王子はやはり男は強くなくてはならないと再認識した。
その戦で叔父と共に戦場を駆け抜けたと言う愛馬を、彼が貸してくれると言った時、アンドレは歓喜した。天にも昇る心地だった。
しかし叔父に連れられ厩舎から出て来た足の短い豚の様な顔をした醜馬を見た瞬間、彼の顏から表情が消え失せる。
アンドレは厩舎に待機する、輝かしい毛並みの白馬を指さす。
「え、えと、あちらの白い馬ではないのでしょうか?」
「ああ、あれはあれでとても良い馬だが、アダルジーザはこいつだ」
「は、はあ…」
どうせならあっちの白馬の方が良い。
明らかにあっちの方が良い。
しかし叔父の馬を借りる事を手放しで喜んだ手前、断る事も出来なかった。
そんなアンドレ王子の青色吐息はしばらく止まりそうにない。
馬術には自信があったが、この足の短い酷い馬ではアンドレ王子がどんなに優秀でも優勝するのが難しい。
初めて参加する遊猟祭だと言うのに、なんと言う酷いハンデなのだろうか。
しかしスタート地点で腕を組みながら、得意気な表情をしている叔父はそんな彼の心中に全く気付く素振りもない。
「これで優勝間違いなしだな!!僕はお前の雄姿をしっかり描き留めてやるからな!!」
そう言ってベレー帽を被り、大きなキャンバスをセットする叔父は、どうやら今年は遊猟祭には参加しないらしい。
絵なんて描かなくて良いので馬を取り換えて欲しい。切実に。
しかしそんな事を言ってしまったら最後、この怒りっぽい叔父は顔を真っ赤にして激怒するのだろう。
それはそれで面倒だ。
せめてもの救いは子供の部と大人の部が分かれている事だ、とアンドレ王子は思う。
子供の部とは言っても、最年長の貴族の子息は14歳だ。かなり年が離れている。
―――しかし、戦略を立てさえすればなんとかならない事もないだろう。
父親と同じアンドレ王子の蒼い瞳が鋭く光る。
「アンドレ、頑張るのよ」
「はい」
観客席で微笑む彼の母は、今日も一段と美しい。
観客席の中でも一人だけ異彩を放っている。
この森の女神が、偶然遊猟祭に迷い込んで来たのかと思ったくらいだ。
(母上に良い所を見せなければ)
自分の母よりも美しい女性などこの世に存在しないと言うのがアンドレ王子の見解だ。
事実その場にいるどの貴族の娘よりも、彼の母は美しかった。
そんな事をアンドレ王子が考えてながら、ひらひらと手を振る母ににやけ面で手を振り返していると、尿意が催して来た。
「は、母上…」
こっそりと催して来た事を告げると、「あらあら」と彼の母は困り顏になった。
「困ったわね、どうしましょう。もう開始時間まで時間もないし、その辺りでする…? ああ、でもアンドレが一人で森へ入るのは危険だわ、お母様が一緒に着いて行ってあげるわ」
少し過保護過ぎるだろうとも思ったが、母と一緒にいられる事は純粋に嬉しい。
その時、ふとある名案が彼の頭の中に浮かんだ。
「そうだ、母上!」
「なに?」
「今ここで母上がわたしの前の物を口に含んで、そのままわたしの小水を飲みほせば良いのです」
「は?」
彼の美しい母上が笑顔のまま固まった。
「な、なにを言っているのアンドレ」
「毎晩母上は父上の御小水をおいしい、おいしい、と言って飲んでいるではありませんか」
「え、えっと、そ、それは、」
彼の美しい母上の顏が赤く染まっていく。
「それどころかもっとほしいのと言って、父上にせがんでいるくらいだ。母上は飲尿が好きなのでしょう?」
「あ、あ……、ち、ちが、違…、」
「何も恥じらう事はありません、飲尿健康法ならばわたしも文献で読んだ事があります」
幼い王子の問題発言に、観客席がガヤガヤとざわめき出す。
「父上の物がおいしいのならわたしの物だっておいしいはずです。と言うか、わたしの方がおいしいに決まっています」
「あ、ああ……え、えと、違うのよアンドレ、あれは御小水ではなくて、」
「では何なのですか?」
「え、ええ!?え、えっと、そ、それは、えと、」
彼の美しき母上は誰かに助けを求める様にあちこちをキョロキョロ始めるが、周りのいたたまれない視線に気付くと、真っ赤になりながら身を縮こまらせた。
「母上、ここで飲んで戴くのはわたしも少々恥ずかしい。あちらの木陰の方に行きましょう」
「こ、困るわ、アンドレ…」
「何が困るのですか?」
困惑する母上の腕をアンドレが引っ張っている時の事だった。
ゆらりと黒い人影が彼らの前に立ちはだかる。
「アンドレ」
そこには妙に迫力のある笑顔の父が、仁王立ちで立っていた。
「父上、いかがなされましたか?」
「用足しなら私が付き合おう」
「嫌です、母上がいいです」
「いいや、私が付き合うよ」
「嫌です、母上がいいです」
しばし父と息子は無言で睨み合う。
「陛下と王妃様はとっても仲が良ろしいようで」
「羨ましいわぁ」
周りのクスクス笑いに、彼の父の笑顔が徐々に引き攣って行く。
「いいから早くこっちに来なさい!さっきから私が付き合おうと言っているだろう!?」
「だから!!さっきからわたしは母上が良いと言っているではありませんか!!」
「いいからこっちに来なさい!男同士の話がある!!」
「あ、アミー様、お願いです!あまりアンドレを叱らないであげて!!アンドレはまだ何も分かっていないの!!」
「シュガーは少し黙ってて!!」
****
「イルミ、私は常々思うのだよ。あれは本当に誰に似たのだろう…?」
「お前以外に誰がいる」
「何を言っているんだ、私が子供の頃はもっと可愛気と言う物があったと思うよ」
(良く言う…)
木陰で猟銃を構えながら陛下の愚痴に付き合っている宰相殿下は、ドッと疲れた顏になる。
「あの後アンドレときたら皆の前で『何故父上が御自分の前の物を母上にしゃぶらせて飲尿させるのが良くて、わたしは駄目なのですか?わたしが納得できる様に理路整然と説明してください』と私に迫るのだよ…。あの年齢の子供にそんな事言える訳がないじゃないか。言葉を濁らせればほれみた事かと、追及の手を緩めない。場所を変えようとすれば『この場で言えない理由でもあるのですか?』と更に私を追い詰める…。」
「お前にそっくりじゃないか」
「いいや、絶対あれよりも子供時代の私の方が可愛かった」
「……ああ、そうですか」
「スノーホワイトは押しが弱い、このままではいつか息子に寝取られてしまうのではないかと、私は気が気ではない」
「……アンドレ王子は重度のマザコンですからねぇ、ありえなくはない話です」
「今回の遊猟祭でも、同じ年頃の貴族の娘に目もくれないでスノーホワイトの事ばかり見ているんだよ、少し異常だとは思わないか?」
「父親にそっくりだとしか思えませんが」
「はあ?私はまだ節度と言う物を理解しているよ。いくら彼女を愛おしく思っていても、催事の場ではしかと弁えている」
「毎晩子供に口淫の現場を見られている父親が良く言うな、そろそろ誤魔化しがきかなくなる年齢になるぞ」
「はあ、困ったもんだ。いい加減寝室を別けたいんだが、あれがスノーホワイトにべったりで絶対に私たちのベッドから出て行かないんだよ…」
宰相閣下の憂鬱は当面終わりそうにない。
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