【閑話】恋煩いの魔女とカルネージの狐 後編
(ヤバイのがやってきたわね…。)
白面金毛九尾。通称大虐殺 の狐。――…魔性達の間ではちょっとした有名人だ。
ここ、西の大陸と違い、東の大陸の妖魔達は気が荒いと言われている。
種族にもよるが、中でも東の狐は悪逆非道で残忍だと有名だった。
今この辺りで一番危険視されているのがこの妖狐、白面金毛九尾だ。
半妖の彼女は妖魔の理に縛られない。
だから人の世に降りて悪戯に権力者を惑わし、贅を尽くし、民を苦しめる。
白面金毛九尾の狐とは、東の国を散々食い荒した後西に渡って来たと言う悪名名高い妖狐であった。
数十年前この狐が教皇国カルヴァリオで行った大虐殺は有名だ。
その派手な騒動により、この狐は大虐殺 の狐と呼ばれる様になり、西の大陸の魔性の間では一躍有名人になった。
出来る事ならばリディアンネルも関わり合いになりたくない相手だった。
妖魔と人の間の子の半妖とは大体出来損ないが産まれるのだが、極稀に強力な魔力を持って産まれる者がいる。――この白面金毛九尾がソレだ。
カルヴァリオで血酒の池を作り、臓物で飾られた肉の林を作って、文字通り酒池肉林を楽しんだ後は満足してどこかへ消え失せたと聞いていたが――、
「ご丁寧にどうも、私は鏡の魔女リディアンネルよ。こんな突然の訪問、聞いていないわ。失礼ではなくて?」
「今日はあなたにお願いがあって」
「お願い、ね」
(リンゲインの女王の座を寄越せって事かしら…。)
だとしたら無条件降伏するしかない。
魔女とは人間よりも寿命が長く、魔の世界に精通しているだけで、その肉体の脆さは人間と何の変わりもない。
流石のリディアンネルも、噂の最高危険種とやらと正面からやりあうつもりはなかった。
(ただの偶然なの?それにしても気持ち悪いほど似てるわ…。)
―――白面金毛九尾の顔は、見れば見る程若かりし日のアキの母の顔と良く似ている。
その容貌が気味が悪いと感じてしまうのは、三浦亜姫の顔が母親似だったからだ。
亜姫は母の様に華のあるタイプではなかったが、目の前にある妖狐の顔は、目鼻立ちから耳の形まで昔の自分の顔と良く似ていた。
母にも弟にも幼馴染にも昔から色気がないと言われていたが、まあ、恐らくそうなのだろう。目の前に立つ女とアキが格好をしてみても、自分はここまで色気を出す事は出来ない自信がある。
「……ところでその顔は?毛色も、噂の白面金毛九尾の狐の印象と大分違うのだけれど」
内心の動揺を顔に微塵も出さないで会話出来るのは、リディアンネルとして生きて来た人生経験の賜物だろう。
「それはこっちの台詞よ。あなたこそ噂で聞いていたイメージと随分違うんだけど」
「うっ」
お色気の塊のようなリディアンネルの色気が最近大幅にダウンしたと言うのは、今、城内で持ちきりの話題だった。
勿論三浦亜姫の記憶を取り戻してからである。
そもそも前世喪女だったアキからしてみれば、リディアンネルの普段着であるSMクラブの女王様顔負けのボンテージの様な衣装や水着よりも露出度が高い衣装を着て、あの「いかにも悪の魔女!」と言った風体のマントを羽織るのは精神的に厳しいものがあった。
昔からパンツはヘソより上のラインまである物でないと落ち着かないし、冷え性なので同時に腹巻も巻きたい。シャツはズボンの中にINしないと落ちつかないし、ストッキングや生足なんて論外だ。そんな物よりも五本指靴下が履きたい。体のラインが出る服は何だか恥ずかしい。高くて細いピンヒールやミュールなんぞは、歩くのも怖いから論外だ。三浦亜姫とはハイヒールよりもペタンコサンダル、ペタンコサンダルよりはスニーカー、スニーカーよりはクロックスや健康サンダル愛用する女だった。
以前なら夏になれば、乳輪が横から覗く紐の様な衣装を着て城内の男達の熱い眼差しを一身に集めていたリディアンネルが、今やノースリーブのブラウスにロングスカートと言ういでたちである。
前世の幼馴染には良く自分の普段着を「処女特有のモサさが現れている」と馬鹿にされたが、今処女ではないリディアンネルでさえこの通りなのだ。
恐らく自分のこれは、魂レベルの何かなのだろうと最近思う。
「イメチェンしたのよ。今は清楚系目指してるの」
「え、清楚系って言うよりもそれは……、」
何か言いたげな白面金毛九尾を撥ね付けて「あんたこそその顔は何なのよ」と言うと、彼女はぱちくりと瞬きをした。
「ああ、この顔ね。ホナミとか言う女の顔よ」
(え……?)
妖狐が狐面を顔に戻し、もう一度面を外すとその顔は、――…いや、体付きまでもが別人と化した。恐らく変化の術を使っていたのだろう。
現われたのは彼女の狐面の様に真っ白な面の様な顔だった。目の周囲や頬、額に引いてある紅のラインは妖狐独自のまじないだ。
いかにも女盛りと言った成熟した女性特有の悩ましげなボデーラインは、先程までの線の細い印象の少女の肉体とはボリュームが違う。
一言で言うのであれば金のかかりそうな美人。
自分の美しさを鼻にかけている様な態度が節々から垣間見える扱いにくそうな美人で、普通の男からすれば近寄りがたい雰囲気のあるリディアンネルと同じ系統の美人だった。
「ホナミ。……その女の名前は三浦穂波では?」
「あら、あなたもホナミを知っているの?」
どくん、
妖狐の言葉に心臓が跳ね上がる。
唾を飲み込むと不自然なほど大きな音がした。
胃の底で無数の羽虫がざわめく様な不快感に、ただ歯を食いしばる。
「いいえ、名前だけ」
「そう?」
探る様な瞳でこちらを見てくる妖狐に、リディアンネルは先手を打った。
沢山の宝石がつけられた放射状の宝冠を頭の上から外すと、人差し指で軽く回しながら薄く笑う。
「お願いとは、この宝冠 を寄越せと言う事かしら?」
「いいえ」
しかしリ妖狐はディアンネルの予想を妖狐は裏切った。
「私は今この国のお隣、リゲルブルクにいるんだけど、」
(ああ、そうか。なるほどね…)
順当と言えば順当だった。
ここ西の大陸には巨大な国家が三つある。
一にこの狐が壊滅させた教皇国カルヴァリオ。ニに先の大戦で敗戦し、カルヴァリオの盾の国となったアドビス神聖国、三にうちのお隣さんのリゲルブルクだ。
六芒星の結界を模って王都を建設したアドビス神聖国は、魔性達にとって攻め難い国だ。
魔女であるリディアンネルでさえアドビス神聖国の聖王都に入ると、その神気でガチガチと歯が噛み合わなくなる。
まあ、それでも白面金毛九尾ほどの狐ならば聖王都に入っても何の問題もないのだろうが、それでも二の足を踏んでしまう土地である事には違いない。
恐らくこの狐はカルヴァリオの時の様にお隣の権力者を誑かして国を手中に収めた後は、人心を惑わして、財を貪り、悪戯に民を虐げ、それに飽いたらまた国を血の海に帰すつもりなのだろう。
(言われてみれば、そうだわ…)
リゲルブルクの国王が、どこからともなく現われた怪しい女を寵愛していると言う噂をリディアンネルも聴いた事があった。
恐らくその女の正体がこの狐だったのだろう。
―――リゲルのラインハルト国王陛下が、三浦穂波と言うアキの母親と同じ名前の、アキの母親と同じ顔の女を寵愛している。
(もしかして、……ラインハルトの国王陛下は、私のお父さん……?)
恐ろしい事に気付いてしまった。
『なんでうちにはお父さんがいないの?』
『アキとアキラのお父さんはねぇ、遠い国の王子様だったのよ』
『じゃあアキはお姫様?』
『うんそうよ、ほら、亜姫の名前には姫が入ってるでしょ?』
『わー、本当だ!……って、誤魔化さないで!なんでうちにはお父さんはいないの!?』
『うーん、難しい問題ねぇ。世界が違い過ぎたっていうか。――…本当の所は、あれが夢だったのか現実だったのか、もう私にも良く判らないのよねぇ…。』
『また誤魔化した!結局アキのお父さんはどこにいるの?』
『遠い、遠い国よ』
『今度、みんなで会いに行こうよ』
『お母さんも行きたいんだけど、簡単に行けない所なの』
『えー、なんでぇ?』
『でも、アキならいつか行けるかもね』
―――幼い頃は信じてた母の与太話が、今になって現実味を帯びて来る。
「時に相談があるんです。そろそろマナの祝祭日じゃありませんか。私、あの日は本当に駄目なんです。聖気が強くて、起きているのも億劫で」
マナの祝祭日。――大地が聖気で満ちるその数日間は、人間界で生きる魔性の類が1年で一番弱体化する日だ。
手負いの魔物などはマナの祝祭日に死ぬ事もある。
なので祝祭日が近付くと、森の魔獣達の縄張り争いもなりをひそめ、人を襲う事も少なくなる。下手にダメージを負ったままその日を迎えると命取りになるからだ。人間にからしてみれば、マナの祝祭日がある月は1年で1番安全な月だとも言えるだろう。
リディアンネル達魔女からすれば、弱った魔物を捕らえ使役するのにとても都合の良い日であった。
変な例え話になるが、女性のメンスの様にマナの祝祭日の重い軽いには個体差があるらしい。
白面金毛九尾はマナを迎えるとかなりダメージを受けるタイプなのだろう。
「うちには犬っころを手懐けている王子が、あの幽魔(妙な石)を持っていますし、今年はちょっと心配なんですよね。恨みは色々な所で買っていますので」
憂鬱そうに嘆息する彼女の言う王子とは、アミール王子の事だろう。
「たかが人間如き、殺せなかったのか?」
魔女らしく答えると、彼女は憂いの深い瞳で頭を振る。
「実は、あの石の中も犬臭いのです」
「なるほどね」
『幽魔の牢獄』に封じ込められている邪神とやらが、犬に近い何かなのだろう。
となると犬を苦手とする妖狐からすれば、彼はとても厄介な相手なのかもしれない。
「石ごと国外に追い出したのですが、あの王子は絶対にマナの祝祭日を狙ってくる」
低い声で言う白面金毛九尾の眼光が剃刀の様に鋭くなる。
「つまり、同盟を組まないかって事ね」
「ええ、だからその間、ちっとうちに遊びに来てくださいまし。リンゲイン独立共和国の王妃様を、リゲルブルクの寵妃ホナミの客人として正式にご招待いたしますわ。この機に親交を深めましょう?」
「……条件は?」
大きな胸の下で腕を組み挑む様に白面金毛九尾を見ると、彼女は血の様に紅い紅を塗った唇を釣り上げて妖しく微笑んだ。
「次のヴァルプルギスの夜に、リゲルブルク全体に篝火 をたくのを禁止いたします」
「へぇ…?」
「破格の条件でしょう?」
「そうね…」
ヴァルプルギスの夜とは魔女にとって祭りの夜だ。
ヴァルプルギスの夜とは死者を囲い込む夜、と言われている。
その夜は死者と生者との境が弱くなると言われており、篝火は無秩序に人の世を歩き回るといわれる死者を追い払うために焚かれる。
その夜、篝火をたかなければ人の世は混乱する。
何故なら街に大量に彷徨える魂が現れるからだ。
ヴァルプルギスの夜に現れる死者の大半はゾンビやグール、ゴーストなどの至極平凡な死者 だが、たまにレアモノも現れる。
そんなレアモノを探して捕えて使役するもよし、沢山アンデットを捕まえて魔法の実験にするもよしと、魔女にとってこれ程有益な夜はない。
―――つまりこの狐は次のヴァルプルギスの夜、自分の国をリディアンネル好きにして良いと言っている。
「ねえ、こんな小さな国に居ても富も贅も浴びれる血の量だってたかが知れている。こんな国、さっさと滅ぼして私と一緒にリゲルブルクにいらっしゃいな。私の客人として手厚く歓迎するわ。――そして、次のヴァルプルギスの夜、私と一緒に愉しみましょうよ」
(確かに破格の条件ね……。)
魔女リディアンネルにはこの誘いを断る理由はなかった。――…しかし今の自分は、三浦亜姫だ。
いたずらに人を殺めたいとは思わない。
―――そして、
(リゲルブルクには、お父さんがいる…、)
恐らく、ラインハルトがアキの父親だ。
『白雪姫と7人の恋人』でスチルどころか顔のアイコンすらない、ラインハルトの人柄を必死に思い出そうとしてみるが彼は純粋なモブなのだ。
台詞も数個しかなかったそんなモブキャラから、父の人柄を想像する事は流石のアキにも不可能だった。
「そして友好の証として、噂の便利な鏡を私にお渡しなさい」
三日月のように両目を細め、紅い唇が大きく裂けるような笑顔となった妖狐をリディアンネルは冷静に見つめ返す。
獣性溢れる魔性らしいその笑顔からは殺気が駄々漏れだった。
―――断れば命を奪う。命が惜しいならば臣下に下れと言う事だろう。
元々この狐はリディアンネルの様な平凡な魔女ではなく、稀有な力を持つ真実の鏡狙いだった様だ。
そう思うと、この狐が直々にこんな小国くんだりまでやってきた事にも合点が行く。
(勝てるかしら……?)
「断る、と言ったら?」
「こんな破格のお誘い断る理由が判らないわ」
白面金毛九尾はリディアンネルの返答に心底驚いたらしい。
紅く染まりかけた瞳が、一瞬元の色に戻る。
無言で杖を構え直すと、白面金毛九尾はそれがリディアンネルの返答だと悟ったらしい。
「悪いけど、自分の男を他の女にくれてやる趣味はないの」
杖先を妖狐に突きつけると、彼女の目の色が変わった。
白面金毛九尾の目が紅く、妖しく光り出す。
「ならば、力ずくで戴きます」
リディアンネルの部屋に、おどろおどろした紅い妖気が満ちる。
(エンディミイリオン……)
杖を握った手が汗ばんでいた。
―――勝てなくても、絶対あんたの事なんて呼ばない。
バリリリリリリリッ!!
次の瞬間金の光がリンゲインの王城内に満ち、光りは城の全ての窓を割って外へと放たれた。
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