9・郷愁と執着の間で参ってる
―――光りが止んだ時、玉座の前には二人の男女が倒れていた。
「終わった……のか…?」
アミール王子の呟きに、エミリオ王子が竜神の背中から飛び降りる。
「父上!!」
「エミリオ…」
父の元に駆けつける弟を見て、アミール王子は躊躇いがちに彼の後を追う。
「父上、どうかしっかりなさって下さい!」
エミリオ王子に揺すり起こされ、ラインハルトは目を開いた。
「エミリオか、今まですまなかったね…」
「父上、死んではなりません!!」
―――ラインハルトが助からない事は誰の目にも明らかだった。
目に涙を溜める弟のその様子に、アミール王子の表情を縁取る影の色が濃くなって行く。
俺はと言うと二人の王子の背中の合間から、初めて会う父の顔を無言で見つめていた。
「親父」と、喉元まで出かかった言葉は出て来なかった。
確かに彼はお袋の愛した人で、俺の父親だったのかもしれない。
しかし長い時間を経て、彼は名実共にこの二人の王子様の父親となったのだ。
その親子の絆の間に自分は割って入ってはならない様な気がした。
「何故ですか、何故操られていたふりなどを…、」
弟に続いて、兄の方もラインハルトの前に膝を突く。
息子の言葉にラインハルトは遠くを見つめながら話し出す。
「―――…アミール。国とは、植物に似ていると思わないか?」
「え?」
ラインハルトの目線は、謁見の間の外に向けられていた。
そこにはリゲルブルクの王族しか立ち入る事が出来ない庭園があった。
何故その事を俺が知っているかと言うと、以前スノーホワイトがルジェルジェノサメール城に来た時、広すぎるこの城の中で迷子になってこの庭園に迷い込んだ事があるからだ。
ここはリゲル王族しか入ってはならない場所だと誰かに怒られた記憶がある。
今では緑も枯れてすっかり寂しい場所になってしまったが、以前は沢山の水と緑で溢れかえる、夢のように美しい庭園だった。
その中でも一際大きく、他の草木の追随を許さず、王者の様に庭園に君臨する林檎の木があった。
他の草木が枯れ果てた今でも、あの林檎の木だけはまだかろうじて生き残っている。
先程の妖狐の炎で溶けた大理石の柱と柱の間から、枯れかけた林檎の木の幹が顔を覗かせていた。
ラインハルトが見ているのは、どうやらその林檎の木の様だった。
「私にとってこの国は、あそこで戯れに育てていた林檎の木と同じだった。気がついたら新芽が芽生え、葉が茂り、幹が伸び、何度か冬を越えれたら自然と花が咲いて実が実った。そうなるとどんなに公務が忙しくて世話が億劫になっても、途中でそれを放棄するのも気が引けた。ここまでこの木を立派に育てたのは他の誰でもない、この私なのだから。―――…しかし、本当はいつだって逃げたかった。実が成るのは嬉しい。挿し木に成功して、兄弟枝が増えて彼等が立派に育って行くのを見るのも嬉しい。……そして私には、その才能があったらしい」
「僕は……あの庭を父上が手入れしていただなんて、知りませんでした」
呆然としたエミリオ王子の呟きにラインハルトは苦笑を混じえながら返す。
「私は元々林檎と言う果物があまり好きではないんだ。あの木を育てていたのも、あの庭にある緑も元々は全てベルナデットの物だ」
「そう、だったのですか…」
「あれは昔から植物の世話だけはからきし駄目でね。沢山やればいいと言う物でもないのに、いつも根腐れする程水をやり、肥料焼けする程肥料をやる。あれの余計な世話のせいで元気を失って行く緑を見るのが忍びなくて、気が付いた時には私があの庭園の植物の世話をする様になっていた。……ちゃんと正しい分量で肥料と水をやれば、すくすく育つのは分かっていたから」
「……私は、父上は、昔から林檎がお好きなのだとばかり思っておりました」
「まさか。あれだけ毎年獲れるんだ、もう一生分食べたよ。林檎なんてもう二度と見たくもない。私がこの世で一番嫌いな食べ物があれだ」
父の言葉に王子達は呆然としたまま顔を見合わせる。
「水や肥料の問題だけではない。黒星病、黒点病、炭疽病、輪紋病、灰色かび病、斑点落葉病。気をつけなければならない病気や虫は沢山ある。木の背が高くなって行けば剪定に梯子も必要になる。次第に私はあの木の世話が億劫になってきた。元々林檎なんて好きでも何でもないんだ。ただでさえ忙しいのに、何故こんな雑務に追われなければならないのかと世話をする度考える様になる」
「それは…、」
「そう、元の持ち主であるベルナデットが死んでしまい、世話をするのが私しかいないからだ。ここには王族しか入れない。子供のお前達に任せてもすぐに枯れてしまうだろう、となるとやはり私が世話をするしかない。……そうなってしまうとどんなに面倒でも、本当は林檎が嫌いでも私が育てるしかない。―――…私は恐らく、ずっとあの木の世話を放棄する理由が欲しかったのだろうな」
「…………。」
「私は自分にあの木を押し付けて消えたベルナデットと、自分を酷使し続けたあの木に復讐したかったんだろうね。しかし私は自分であの木を斧で切り倒す事も、枯らす事も出来なかった。……そんな私にとって彼女の存在は、まさに天啓だったんだ」
「父上…」
色のない庭園で力なく揺れる灰色の木から息子に目を移し、ラインハルトは皮肉気に笑う。
「私の事をまだ父と呼んでくれるのか、アミール」
「……どんなに憎くても、あなたが私の父である事には代わりない」
アミール王子の声は少しかすれていた。
俺の位置からは今彼がどんな表情をしているのか、どんな顔をしてその言葉を言ったのか分からなかった。
ラインハルトは息子の言葉に穏やかな顔となって目を細める。
「ああ、アミール。お前は本当に母親に良く似ている。優秀で、有能で、理知的で、とても優しい。民の為に何の躊躇いもなく自分を犠牲にし、自分の人生を投げ打つ事が出来る。その優しさも、潔さも、責任感の強さも、意志の強い蒼い瞳も、お前は本当に母親のベルナデットにそっくりだ。そっくりで、そっくり過ぎて、――……私にはもったいない、私の自慢の息子だよ」
「父上…」
エミリオ王子がそこで弾ける様に顔を上げて、こちらを振り返る。
「アキラ、こちらへ」
「いや、でも…」
「父ちゃんに話があったんだろ」
戸惑う俺の背中をシゲが押し、前方へと押し出される。
アミール王子もハッと言う顔をして「そうだね…」と頷くと、俺に場所を譲った。
「…………。」
しかし俺は初めて対面する実の親父に言葉が出てこなかった。
今俺は酷く場違いな場所に立っている様な気がする。自分が部外者だとしか思えない。
唇を噛み締めながら、ラインハルトの顔を見下ろす。
言われてみれば、俺――と言うか、三浦晃と少し似てる気が…する。眉毛の形とか、髪質とか、微妙に冴えない面構えとか。
「あ……ぁぅ…」
言いたい事は沢山あったはずなのに、会ったら一発殴ってやると思っていたはずなのに、そもそもこの体が俺の物ではないのだ。
彼は三浦晃の父親かもしれないが、スノーホワイトとは赤の他人でしかない。
何と言ったら良いのか判らずに押し黙る俺を、ラインハルトは不思議そうに見上げる。
「君は確かリンゲインの…、大きくなったね。でも、何故だろう。以前会った時はこんな感じはしなかったのに、今の君からは何か懐かしい匂いがするよ」
「っ!」
―――もしかしたら、伝わるかもしれない。
俺は彼の隣に膝を下ろすと、無言で彼の手を握った。
ラインハルトは自分の手を握る隣国の王女の顏を怪訝そうに見上げる。
「……アキラ、お母さんね、空が好きなの」
隣国の姫の唇から零れたその鈴を転がす様なその声に、ラインハルトの睫がピクンと揺れる。
「こうやって河原に寝転がって空を飛ぶ鳥を眺めていると、私でも何でも出来る様な気がしてくるんだ。うちみたいな家庭だとさ、どうしても好奇と偏見の目で見られる事は避けられないし、ひっどい事を言われる事も多いけど。……でも、こうやって吸い込まれそうな空の青を見上げていると、胸に刺さった言葉も、心の中のドロドロしたものも全部吹き飛んで綺麗になっちゃうんだ。あんたのお父さんとも、よくこうやって一緒に空を見上げていたのよ」
「君は……まさか…?」
震える男に否定も肯定もせず、俺は続ける。
「空には境界線なんてない。この青はきっとどこまでも続いていて、あの人の所まで繋がってる。だからね、私、辛い時はいつも空を見上げるの。そうすると『ホナミ君は本当に頑張り屋さんだねぇ』ってあの人の声が聞こえてくる様な気がするの。―――…まだ、私達は繋がってる」
「君は、ああ、君が!……君が、そうなんだね…」
男の瞳から涙からが溢れ出す。
言いたい事は沢山あった。言ってやりたい恨み事も沢山あった。
しかし今、命の灯火が尽きようとしているこの人に残された時間はそんなに多くない。掛けらてやれる言葉もそんなに多くない。
「お袋は、元気だよ」
俺の言葉にラインハルトは顔をグシャグシャにして笑った。
俺の手を握り返し、「ありがとう」と言って彼は息を引き取った。
****
―――その後、色々な事があった。
「姫様、ご無事で何よりです」
「メルヒ!」
まずはメルヒが謁見の間にやってきた。
メルヒがアミール王子に報告書を渡すと、王子は目を瞬いた後、しばらくポカンとした表情を浮かべていたが、——次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「すごい、これは期待以上だ!」
アミール王子は笑いすぎて出てきてしまったらしい目元の涙を拭うと「引き続きよろしく頼む」とメルヒの背中をバシバシ叩いた。
謁見の間の隅っこに腰を下ろし、マイペースに猟銃の手入れをはじめるその大男の元に俺は駆け付ける。
「メルヒ、私ヴラジミール叔父様に会ったの!あなた、あのお城に叔父様がいる事を知っていたでしょう!?」
「……言っていませんでしたか?」
「聞いてない!!」
―――そして次はこの人だった。
バン!!
「こ、ここなの!?ここなのエミリオたんは!?」
大きな音を立てて謁見の間の扉が左右に開かれる。
駆け込んできた男女の姿には見覚えがあった。
「お義母様!?」
「スノーホワイト!?……って事はアキラ君!?」
「お、おう。……えっと、あー、久しぶり?」
「う、うん、久しぶり」
アキは父の最後に間に合わなかった事にしばらく気を落としていたが、ふと顔を上げると俺の顔をマジマジと見つめる。
「な、何?」
「い、いや、かわいいなって。スノーホワイトちゃん、改めて可愛いなって思って」
「だろ?俺も真剣にそう思う」
スカートの裾なんぞを摘まみ上げてプリンセスらしく一礼してみると、アキは俺の全身をぺたぺたと触りだした。
「って、アキラ君なんだよね!?本当にアキラ君なんだよね!?」
「う、うん」
「すっかり可愛くなっちゃって!!キモオタの見る影もないじゃない!!」
「そういうお前はすっかり巨乳になりやがって!!貧相無乳 女の見る影もないじゃねぇか!!」
「な、なんですってええええええ!!」
「ひ、ひだだだだだっ」
リディアンネルがスノーホワイトの頬を引っ張る様子を「もしやこれが噂の継子イジメなのではないか…?」と不安に思ったらしい恋人達が、おろおろとした様子でこちらを見守るのが横目に見えた。
そんな中、空気の読めない一人の王子が立ち上がる。
鼻息荒く、興奮した面持ちのエミリオ王子が俺達の間に入った。
「あなたがアキラの姉上ですか!お初にお目にかかります!僕はエミリオ・バイエ・バシュラール・テニエ・フォン・リゲルブルク、ここリゲルブルクの第二王子です!」
「へっ!?」
突然現れた最萌キャラに手を握られたアキは目を白黒させる。
「僕はあなたの弟君と生涯を供に歩みたいと思っております!どうか僕をアキラの第一婚約者に戻して戴けないでしょうか!?誰よりも、何よりも大切にすると誓います!!」
「え、ええええええええみ、えみ、エミリオたん!?なっ、ナマ、生エミリオたん!!!!?」
「は?」
王子様のキラキラエフェクト効果は抜群だった。
最萌キャラに手を握られ、そのエフェクト効果に充てられたアキは噴水の様な鼻血を噴いて倒れた。
鏡の妖魔は大きな溜息を付きながら、主を抱き起こす。
「アキ様…」
「か、鏡、生エミリオたんが!生エミリオたんがいる……!!画面の中でも鏡の向こうでもなく、り、リアルに!!リアルに!?生!生!ナマエミ、ナマハメ……ナ、生卵!?」
明らかに錯乱している主の様子に、鏡の妖魔は額に手を当て嘆息する。
「エミリオ、頼む、見ないで…」
「はあ?」
俺も実の姉貴の醜態が恥ずかしくて、”生エミリオたん”の目を覆う。
「ある程度予想はしていましたが、……本当に予想を裏切らない方ですね」
「だ、だって、生エミリオたんが!生エミリオたんが!」
「…………。あまり嫉かせないで下さい」
「んんんんんんーっ!?」
それはまた唐突に鏡の妖魔がアキの唇を奪った。
「はっ、はわわわわ…!」
スノーホワイトちゃんの女の勘で、なんとなく鏡とアキの関係は察していたがこれは心臓に悪い。
目の前で繰り広げられる、息継ぎの暇もなさそうなディープでアダルトな激しい口付けに、俺は激しく動揺した。
(他人のディープキスとか、しかも実の姉のディープとか見たくねぇわ!!気まずすぎる!!)
まだ俺の中にはまっさらでピュアな童貞心が残されていたらしい。
俺はギクシャクした動きでエミリオ王子の目を覆っていた手を外すと、二人に背を向ける。
「おっおおおお邪魔な様だし!俺達は退散しようぜエミリオ!」
くいくいっと王子様の袖を引っ張るが彼は動かなかった。
振り返るとエミリオ王子は悪戯っぽい笑みを浮かべ、あまり良ろしくない類の悪戯を企んでいる猫の様に目を細める。
「ここは僕達も姉上に習って口付けでもしてみるか?」
「は、はあ!?」
ドン!
それはいわゆる壁ドンではなく、瓦礫ドンであった。
スノーホワイトの華奢な体は、意外にも力のある王子様の腕により瓦礫に押し付けられてしまった。
「え、エミ、エミリオ? おま、どったの?」
キラキラした美少年フェイスが接近して来ると、乙女なスノーホワイトちゃんの胸の鼓動はやはりと言うかいつも通りにズッコンバッコン言い出してしまう。
「何をそんなに恥ずかしがっている?僕に口付けされるのは初めてではないだろう?……ここに、何度か濃厚な口付けを施してやった事があるはずだ」
「あ、あ…」
女の物の様に細くて長い白い指先に唇をなぞられて、上擦った声を上げてしまう。
「忘れたのならば思い出させてやる」
エミリオ王子にキスを迫られて、初めての事に激しく動揺していると、向こうからアミール王子の大きな声がした。
「ルーカス、ま、まさかその剣は!?」
「へ?ああ、これッスか? バンジャリデアの宝剣ッス、ミカエラからかっぱらってきました」
「うわあああああああ!!なになに!!え、何だって!!?」
「お、おい!待てアキラ!!」
唇が重なりかけた瞬間、俺はエミリオの胸を押し返して、アミ-ル王子達の方へ駆けつける。
「これを返してやれば、今後アドビス神聖国はカルヴァリオからの参戦要請を断れる!これで世界大戦が防げる…!!」
きょとんとしているルーカスをアミール王子が振り返る。
「ルーカス・セレスティン、これを私が政治利用していいか?」
「それが祖国の為になるのなら私には何の異論もございません、アミール国王陛下」
その時になって、自身に深く敬礼する騎士に片腕がないのに気付いたらしいアミール王子は大きく目を見開いた。
申し訳なさそうに弱い色となった瞳を、彼はやるせなさそうに伏せる。
「……恩にきる。お前には後で今回の働きに相応しい褒美を取らせよう」
「あ、じゃあこれがいいっす、これにします」
「へっ?」
二人の元に賭けつけた瞬間ルーカスに肩を抱かれ、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
瞬間、アミール王子は半眼になって胸の下で腕を組んだ。
「それは駄目、私のだ」
「まあまあ、そんな堅苦しい事言わないで」
「ではフランクに言い直してやろう。スノーホワイトは私の物だ、あまり調子に乗るなルーカス」
「ではフランクでお優しーいアミール様に俺も遠慮なく言わせて戴きますね? これは前世から俺の物ッス。今世で知り合ったばかりの男が調子に乗ってんじゃねぇよ」
「ほーう。前世ねぇ、前世か。昔の事に拘るなんて随分と器の小さな男だねぇ、私は一番大事なのは今だと思うけど?」
アミール王子のルーカスの間にバチバチと激しい火花が散る。
「お前達!何を勝手な事を言っている!!アキラは僕の物だ!!」
その時、二人の間に入ってきたエミリオ王子を、アミール王子とルーカスは白けた目で振り返った。
「エミリオはちょっと黙っててくれないかな?」
「エミリオ様はちょっと黙っててくれませんかね?」
「なっ!?」
二人の台詞が見事にハモる。
真っ赤になったエミリオ王子の頭から沸き立つ湯気が見える様だった。
王子様が抜刀して二人に斬りかかる前にと、俺は咳払いして話を戻す事にした。
「アミー様、えっと、どうなさったのです?バンジャリデアの宝剣をどうするって…」
「ああそうだ、そうだった!」
彼は満面の笑顔でこちらを振り返ると、スノーホワイトの体を抱き上げた。
「あ、アミー様!?」
「やった、やったよスノーホワイト!これをアドビスに返してやろう!そうすればカルヴァリオの後ろ盾がなくなる!!」
「そっか、……そうですね!これを返せば世界大戦が防げるのね…!」
アドビス神聖国は三大神器であるこの剣をカルヴァリオに奪われたこそ、長い間カルヴァリオの従属国となり、盾の国となり、あの国の矢面に立つしかなかった。
この剣を返してやれば、国際情勢がガラリと変わる。
「ああ、その通りだよ!イルミ、大至急使いを送ってくれ!法王に謁見許可を!」
「本当に人使いの荒い王子様だ…」
「……立てますか?」
エルヴァミトーレが手を差し出すと、イルミナートは無言で彼の手を取った。
(えっ!?)
いつものイルミナートなら彼にそんな事をされてもその手を振り払っただろう。
いや、そもそもエルヴァミトーレもおかしい。普段の彼はとても優しく気性が穏やかな性質の少年なのだが、イルミナートに限ってはやたらと好戦的になる。
この二人の間に何かあったのだろうか?
二人を包む空気が何かいつもと違う気がする。
アミール王子にクルクル回されながら、俺は戦々恐々と犬猿の仲だった二人を盗み見る。
「アミー様ずるい!スノーホワイトの事、俺もだっこしたい!!」
「ヒルは今までスノーホワイトとずっと緒にいたんだろう?少しは私に触れさせておくれ、シュガー成分が切れかけている私は今立ってるのもやっとなんだ」
そう言ってスノーホワイトの身体を下に降ろし頬擦りするアミール王子は、言われてみれば全身ボロボロだ。
こちらの戦いもまた熾烈を極めたのだろう。
「あ、あのアミー様」
「ん?どうしたの?」
「えっと、とてもお辛そうですが……何か私に出来る事はありますか?」
スカートの中からハンカチを取り出して、王子様の口元から流れる赤を拭きながらそう言うと彼はデレッと鼻の下を伸ばして笑った。
「じゃあキスして貰いたいな、シュガーがキスしてくれたらきっとすぐに怪我も治るよ」
「アミー様ずっこい!抜け駆け禁止!俺がスノーホワイトとチューするの!!」
「そうですよ、ズルイですよアミー様。俺もスノーちゃんにチューしたいしされたいッス」
「さて。仕事に戻る前に、頑張ったスノーホワイトにご褒美に口付けでも施してやりますかね。スノーホワイトは私に口づけされるのが本当に大好きですから」
「…………。あんた馬鹿じゃないの?あんたのキスなんてご褒美でも何でもないから。そもそもスノーホワイトはスカートを穿いたら女の子に見えちゃうような、僕みたいな可愛い顔の男がタイプなんだよ。ねえ、そうだよね?スノーホワイト?」
「姫様……私も、頑張りました」
「で。お前は一体誰にキスするつもりなんだ!?僕だろう!!僕に決まっているよな!?」
「え?ええええー!? 何、これ俺が選ばなきゃなんねぇの!?」
7人の恋人達に迫られ、ジリジリ後退するスノーホワイトの背中が水竜王の足に当たる。
『もう大丈夫そうだな』
「シャデルルミアーナ!」
ある意味全く大丈夫ではないのだが、竜神にはそれは伝わらなかったらしい。
『私はそろそろ戻る。——…人の子よ、何かあったらまた気兼ねなく私を呼ぶといい』
そう言って金色の翼を羽ばたかせて森へと帰っていく竜神を俺達は見送った。
「水竜王殿、この国の王として心より感謝を申し上げます」
「ありがとう!シャデルルミアーナ!!」
大きく叫びながら手を振ると、シャデルルミアーナ尻尾を振り返してくれた。
(終わった。これで、本当に終わったんだ…)
らしくなく感傷的な気分になってしまった様で、目に涙が滲む。
そんなスノーホワイトの肩をちゃっかり王子が抱き寄せる。
「また、会えるかしら…」
「あなたが願えば、きっとまたすぐにでも会えるよ。彼もそう言っていただろう?」
「ええ、そうね。……その時はもっと彼とゆっくり話がしたいです」
「私もだ。その時は我が国を救って下さった礼と、私の可愛いシュガーを助けてくれたお礼をもっとしっかり伝えたい」
「フン、そんなの僕がちゃんと言っておいた」
後で吐き捨てるエミリオ王子は、兄がスノーホワイトの肩を抱いているのが面白くないのかダンダン!と貧乏ゆすりをしている。
しかし兄の方はそんな弟の様子を全く気にした素振りも見せずに、スノーホワイトの頬や額に唇を寄せる。
「シュガー、ああ私のシュガー。本当に無事で良かった。離れている間、私はずっとあなたの事だけを考えていた。あなたの無事だけを祈っていた。……本当に無事で良かった」
「え、ええ…」
「……軍に撤退命令を出した癖に」
段々弟の貧乏揺すりが激しくなり、舌打ちが混じりだし、小心者の俺の顔が引きつっていく。
竜神の姿が見えなくなるとアミール王子が、思い出した様にパン!と手を叩いた。
「ああ、そうだ。イルミ、疲れている所悪いが早速アドビスに使いを頼むよ」
「はいはい」
「お前達も疲れただろう、今日はゆっくり休むと良い」
「王子ー、俺腹減ったよー」
「そうだね、何か用意させようか」
「厨房に何か食べれそうな物あるかな!」
厨房へと走り出すヒルデベルトにアミール王子は苦笑を浮かべる。
「瓦礫になっていない部屋を城の者に案内させるから、シュガーはそこで少し休んでいて。ごめんね、私は少し事後処理がある」
「は、はい」
―――その時、
「……浮かれちゃって馬鹿みたい」
玉座の脇の瓦礫の下で何かが紅く光った。
誰もが浮かれてはしゃぐ中、その妖しい光に気付けたのはその騎士だけだった。
(まずい…!!)
―――唯一気付けた騎士はその時、丸腰だった。
膨らむ赤い光線に気付いた隻腕の騎士は、走る。
瓦礫から覗く、その冷たい指先から発せられる殺気の先にいるのは――、
「アキラ!!」
「シゲ!?」
ドン!!
彼の腕がスノーホワイトを突き飛ばした時、紅い閃光が彼の胸を貫いた。
「私、昔から陳腐なハッピーエンドは嫌いなの」
瓦礫の中から稀瑕子 がゆらりと立ち上がる。
「巡り巡れ言の葉よ、廻り廻れ言の葉よ。呪い呪われ舞い落ちろ、黒き呪いの言の葉よ。……王子様とお姫様は永遠に結ばれる事はない。毒林檎の毒はすぐに全身を回り、王子様の甘いキスをもっても姫が目覚める事はない。恋人達を繋ぐ赤い糸は何よりも細く、脆い物へ。恋人達に永劫の別れを――、」
げほっと咳込んだ稀瑕子の紅い目が暗い色に光る。
ボ、ボッボッボッボッ……!
今までの色とは明らかに違う、黒い邪悪な鬼火が彼女の周りに次々と生まれる。
「いけない!」
瞬時に反応したのは鏡の妖魔だった。
彼が懐から取り出し放った無数のナイフとフォークが刺さり、稀瑕子は串刺しになった。
「ふふふ……あはは、あははははははは……!!あははははははっははははははは……!!!!」」
稀瑕子は血を吐くと、哄笑を上げながら瓦礫と共に下に落下して行った。
瓦礫と共に下に堕ちて行くのは彼女の身体だけではなかった。
近くに倒れていたラインハルトの体も一緒に落ちていく。
「父上!」
「駄目だ!エミリオ!!」
駆けつけようとしたエミリオ王子の腕を兄が引く。
足元がガラリと崩れるのを見て、エミリオ王子はごくりと唾を飲み込んだ。
―――謁見の間には不吉な気配が漂っていた。
「か、鏡、……今のは何なの?」
その巨大な魔力の残骸に、リディアンネルは青ざめながら執事の妖魔を振り返る。
「ある種の妖魔が得意とする”言霊”と言う呪いです。怨念が篭っている程、効き目は高い。皆まで呪いの言の葉を言わせてはいないので、術は完成していませんが油断はしないで下さい。―—…呪いの効果はすぐに現れる」
俺は動けなかった。
すぐ側で話している鏡とアキの会話が、何故か少し遠くで聞こえる。
まるで自分がガラスの瓶の中にでも閉じ込められているみたいに、彼らの言葉が遠く、近く、グワングワンと頭に響く。
「シゲ、嘘だろ、シゲ!」
膝の上の騎士の胸から漏れ出す赤は止らない。
抑えても抑えても噴出す赤に俺はエルヴァミトーレを振り返った。
「エル!回復魔術を!!」
「ごめん。これは、もう…、」
目を瞑ってエルヴァミトーレは首を横に振る。
彼の言葉の意味を察し、目の前が真っ暗になった。
「嘘だ、こんなの、嘘だ…」
俺は頭を振り続ける。
「シゲ君、嘘よ、やだ、こんなのって…、」
膝を突いて彼の怪我の状態を確認したアキまで、絶望的な声をあげる。
魔女であり、人間よりも魔の世界に精通しているリディアンネルまでもがこんな声を出すのだ。
―――ルーカスは助からない。
「はは……、またこの死に方かよ、マジでうけるわ」
「え?」
「は、はあ、マジで俺、格好悪ィ…」
その騎士は血を吐きながら自嘲気味に笑った。
俺はルーカスの胸元から溢れる血を必死に抑えながら、どうか止まってくれと祈りながら半狂乱で叫ぶ。
「そんな事ねぇよ、お前は格好良いよ!!世界一格好良い騎士だよ!!」
「アキラ、俺さ、………」
「う、うん?」
「シゲ君!!」
床の上で魚が跳ねる様に、ビクンと痙攣した手をアキが握る。
「俺さ、今…は、こっちの世界に来れて、良かったって、思って……る…」
「うん、」
「だってよ。じゃなかった…ら、もう二度と、お前とこうやって――、……っ!……げほげほ!!」
「シゲ?……おい、しげ!!しげ!!」
咳込みながら大量に赤い物を吐き出す騎士に、俺が出来るのはただ彼の背中をさすり、彼の名前を呼ぶ事だけだった。
「あー、最後に九十九里、行きたかったなぁ。……もっかい、花火、したかった。ガキの頃…みたいに、さ、ネズミ花火と…、あと、」
「うん!また行こうぜ!!花火も沢山買って行こう!!」
「こっちの世界ってさ、スイカねぇじゃん? 海で冷やし、た、スイカ、もっかい、食べたかった…」
「そんなの、向こうに帰ればいくらだって食えるだろ!!だから、」
俺の言葉に、光を失いかけている目が柔らかく細められる。
「おまえのこと、守れて、良かっ……た」
―――それが彼の最後の言葉だった。
その言葉を最後に、閉じられた彼の瞼が動く事は二度となかった。
「シゲ?……うそだろ、なあ、シゲ!!」
しかしどんなに呼びかけてみても、ルーカスは目を覚まさない。
ルーカスの胸から噴き出していた血の勢いもいつしか弱まって行った。
気が付いた時には俺達を中心に赤い大きな水たまりが出来ていた。
「なんなんだよ、これ…」
今、目の前で起こっている事が夢なのか現実なのか理解出来なかった。
もしやこれがさっきの妖狐の言の葉の呪いなのだろうか?
「嫌あああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
アキが叫んだ。
頭が真っ白だった。
思考が停止する中、アキが鏡と何やら言い争っている。
「こんなのってない!ないよ!鏡、何かあるでしょう!?あるわよね!!シゲ君を助ける方法が!!」
「…………。」
「あるに決まってる!!絶対あるわ!!」
「……ええ、あります。ただ、答えたくありませせん」
「何言ってるの、教えてよ!!」
「……嫌です、答えたくない」
「怒るよ、私!!」
「怒ればいい」
「……もう怒った、いいわ、真名を呼ぶから。――エンディミイリオン・エヴァン・ジェ・マグダダリア・ダルク・ア・ドゥーイ・イルケ・リスト・ゼクセ・アリストゥール、」
エンディミイリオンと呼ばれた瞬間、鏡はその場に跪いた。
その後延々と続いた長い言語はおそらく妖魔の言葉なのだろう。
人であるスノーホワイトの耳で聞き取れたのはここまでが限界で、その後は何と言っているのか判別する事は不可能だった。
「———…真実の鏡よ、主の命に答えなさい」
鏡は苦しそうに眉を寄せながら主の質問に答える。
「彼の魂が完全にこの肉から離れる前に、向こうの世界に帰す事です…。しかし、今の彼は一人で向こうに帰る事は出来ない、渡し人が必要になる」
「渡し人?」
「つまり、アキ様かアキラ様が今すぐに彼の魂を持って向こうに帰るしかない」
鏡が顔を上げると、その場にいつか見た大きな鏡が出現した。
鏡に見覚えのある白い病室が映る。
ピッピッピ……ピ、ピ、
不規則な心電図の音。
ベッドの上で点滴と呼吸器に繋がれているシゲの顔は、以前鏡で見た時よりも青白い。
『全部あんたの所の馬鹿息子のせいよ!!うちの息子が死んだらどうしてくれんのよ!?どう責任取ってくれるのよ!!』
『すみません、すみません…』
『うちの茂が死んだら全部あんたのせいよ!!』
ヒステリックに叫ぶ女と、床に頭をこすり付けて土下座をする女の姿には見覚えがあった。
「お母さん…?」
「お袋…?」
うちのお袋と下村のおばさんだった。
『嫌だよぉ、お兄ちゃん、死なないでぇ』
『茂…』
ベッドで脇で泣いているのはシゲの妹のシゲミちゃんだった。
シゲの父親も居た。———…皆、皆、泣いていた。
『今夜が峠だってよ!!もう、どうしてくれんのよ!!」
土下座するお袋の髪を下村のおばさんが掴んで引っ張り上げるが、それを止める者は誰もいなかった。
『だからシングルって嫌なのよ、付き合ってもろくな事がない!茂にも何度晃君達と付きあうなって言ったか分からない!!』
『すみません、すみません、どうか許して下さい』
『許す訳ないでしょう!?あんたの所の馬鹿の責任なんだから!!―—…今思い返せば、昔からそうだった。野球部でレギュラーになったと思ったら、サッカー部に入ったり。うちの茂は何だってやろうと思えば人並み以上に出来る子なのに、昔から何をやらせてもコロコロコロコロ続かなくて!……それも全部、いつだって晃君のせい!うちの茂があんな低偏差値の底辺高校にしかいけなかったのも、こんな事になったのも!全部全部あんたん所の馬鹿息子のせいよ!!分かってんの!?』
『ごめん、なさい、ごめんなさい…』
『返してよ!私の息子を返してよ!!』
『私に出来る事なら何だってします、だから、どうか、』
『本当に何でもするんでしょうね!?』
『……はい』
バンッ!!
「お母さん、お母さん!!」
アキは鏡を叩きながら泣いていた。
「鏡!お母さんが!!お母さんが!!」
「ええ…」
アキが泣きながら後を振り返ると、鏡は沈痛な面持ちで顔を上げる。
「私、向こうに帰らなきゃ!!」
「そう、ですね…」
俺はと言えば、完全に思考が停止したままだった。
向こうで何が起こっているのか理解が追い付かない。
下村のおばさんが俺のせいでシゲが死ぬと言って、お袋が責められている。
(一体、何が…?)
下村のおばさんは肝っ玉母ちゃんと言う言葉がぴったりの恰幅の良いおばさんだ。少し大雑把な所はあるが、俺の知る限りとても面倒見が良くて優しい人だった。
あんなおばさん、初めて見る。
なんだか妙に不安で、心がざわついて、まだ温かい騎士の身体を抱きしめる手に自然と力が籠る。
顔にべったりと赤い物がついたが気持ち悪いとは思わなかった。——…むしろ心地良かった。まだ、その赤が温かい事が嬉しかった。
「これ、どういう事なんだ?」
徐々に冷たくなっていく騎士の身体から離れていく魂を繋ぎとめる様に、彼の身体を硬く抱きしめながら鏡を見上げる。
「………。3ヶ月前、下村茂はアキラ様を庇って同級生の女学生に刺され、仮死状態となりました。その事で彼の母親がアキラ様のお母様を責め立てておられる様です」
「そんな…、」
隻腕の騎士の顔を呆然と見下ろす。
(こいつ、俺を2回も俺を助けて…………何馬鹿な事やってるんだよ…)
放心状態に陥りながら彼の顔を見つめていると、鏡の画面が切り替わった。
今度は鏡にはベッドに横たわる三浦晃と亜姫の姿が映っていた。
俺とアキの顔もシゲの物と同様、以前見た時よりも青白く、生気が感じられない。
恐らく、俺達の体もまずい状態なのだろう。
以前鏡で見た時はなかった、人口呼吸器の様な物が付けられており、ベッドの周りをせわしない様子でバタバタと看護師達が走っている。
『先生呼んできて!急いで!!』
『はい!!』
ごくりと誰かが唾を飲み込む音が耳に届いた。
静かに、しかし確実に乱れつつある2つの心電図の音が謁見の間に響く。
重苦しい静寂が謁見の間を支配する中、鏡は言った。
「———……アキ様、アキラ様、決断の時がきました」
最終話終わり。
残す所エピローグのみになりました。
長くなりましたがここまでお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。
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