8・公憤と架橋の間で祈ってる
話タイトルにはルビが振れないのが悔しい…。
―――懐かしいな、この気配。リンゲインの姫か――――
(分かるのですか?)
―――そりゃあな、ロードルトとはあの決死のカルヴァリオ戦線を共に掻い潜った仲よ――――
どこからか流れる優しい風がスノーホワイトの前髪とスカートを揺らす。
白い世界の中で、俺は石の中に封じられているその存在と話していた。
―――リンゲインの姫、名を何と言う?――――
(スノーホワイト・エカラット・レネット・カルマン・レーヴル・ド=ロードルトリンゲインにございます)
―――そうか、スノーホワイト。リンゲインの美しき雪の花よ、ロードルトはどうした?元気なのか?――――
(ロードルト…始祖様は、…………お亡くなりになられました。800年ほど前に)
―――そうか、……もう、あやつはこの世におらぬのか――――
(ええ…)
―――人とは儚き生き物よの、どれもすぐに死んでしまう…――――
(…………。)
微かに老いを感じ取る事の出来る男の言葉には、何千年、いや、何万年の孤独が含まれており、何も言えなくなってしまう。
―――近くで懐かしき金色の竜の息遣いが聞こえる。小さき人の子よ、一瞬で散り逝く雪花の如く儚き生命 の者よ。私の力を借りに来たのだろう?――――
(ええ、そうです。カルヴァリオがリンゲインの侵略を再開しました。800年前、始祖様が結んだ条約がついに破られてしまったのです)
―――またカルヴァリオか、しかし何百年経っても懲りない国よのぅ――――
(既に世界には戦いの火の粉が舞い始めています。私は争いの火種を収めたい。……だれど、悔しいけれど私には何も出来ないんです、いいえ、何も出来なかった…!自分の国すら守れなかったの!皆、私を庇って死んでしまった…!!)
―――……ふむ――――
(お願いです、どうか私にあなたの力を貸してはくださいませんか? 私はもう、この地にただの一滴だって血を流したくないんです…!!)
―――……良いだろう、友が残した置き土産 に力を貸さぬ理由はない。スノーホワイト、お前に煌煌 の煌 きを与えよう――――
その言葉と共に石から放たれた赫灼 の閃光と巨大な魔力の渦に、スノーホワイトの衣服が激しくはためき出した。
(え…?)
石の言葉に、スノーホワイトの中で何か壮絶な違和感の様な物が芽生えた。
―――汝が人の闇に迷っても、いつだって光芒の道が照らし出される事を。汝が暗い夜道に迷っても、必ず星彩の輝きに恵まれる事を。聖も魔も平等に裁く灼熱の小槌 を。全てを焼き尽くす煉獄の炎を。全ての生命 の源、万物を創造し、世界を制する力を汝に与えたもう――――
(待って!あなたのお名前は…!?)
―――我こそは『煌煌の征服者』なり。唯一神に封じられしその日まで、この世の全てを照らしていた偉大なる王 なり――――
その言葉にスノーホワイトの身体がぞくりと総毛立つ。
(ま、まさか、あなたは――、)
聡明なスノーホワイトは石の中に封じこめられている者の正体に気付いてしまった。
―――そうだ。私の名は…、――――
想像以上の大物の名前が出て来て、思わず俺は目を見開いてしまう。
以前、アミール王子の持つ『幽魔の牢獄』の中に封じ込められている”月を喰らう狼”の正体をこっそり教えて貰った時も驚いたが、この石の”邪神 ”はそれ以上だ…!
(無理です!そんな巨大すぎる力、私には扱いきれません…!!)
今、スノーホワイトの手の中にある石の中で赤々と燃え続けている赫焉は、―――…紛れもない、太陽だ。
(そうか。唯一神が天候を自在に操り、天災を起こしていたと言うのは、あなたを手中に収めていたからだったのね…)
―――そうだ。今も尚天上で輝く光りは、過去私だった物の抜け殻よ――――
(でも、無理よ、無理だわ! 私は神様じゃない、ただの人間なんです! 太陽の力なんてそんな大それた物、扱いきれる訳が…!)
―――……フッ、やはりお前はロードルトに良く似ている―――
(え?)
―――800年前、ロードルトも今のお前と同じ事を言っていたよ。スノーホワイト、白夜の美しき雪の花、お前ならば私の力を正しく使いこなす事が出来ると信じておるぞ――――
その言葉と共に、石から溢れていた凶悪な程、赤赤とした閃光は止んだ。
ジャッ!!
光が止むと、太陽を封じ込めし宝玉を戒めていた鎖は、音を立てながらスノーホワイトの右手に巻きついた。
産まれてから今までずっと巻き付けていた様に、その鎖はスノーホワイトの腕に良く馴染んだ。
(『煌煌の征服者』、ありがとう。私にあなたを使いこなせるか判らないけど、……やってみる)
腕が何かに導かれる様に水平に上がる。
―――腕が、いや、『煌煌の征服者』が指すのは、例の黒曜石の祭壇だった。
「我はロードルト・リンゲインの末裔 煌煌の征服者なり
我は太陽王の胤裔、白夜の姫、天と地を照らす者なり」
口が勝手に開いて唇が動く。
足は自然と黒曜石の祭壇へ向かった。
「まずい!!リンゲインの姫が石に選ばれてしまった!!」
「殺せ、今すぐ殺せ!!」
ミカエラの声に、教皇国の兵士達が一斉にスノーホワイトへと飛び掛る。
「俺の可愛い姪っ子には指一本触れさせねぇぞ!!行くぞ、野郎ども!!」
「あいあいさー!!」
ガキン!!
兵士達の剣をヴラジミール達が受ける中、雄牛の様な巨体が大砲の様な力強さで彼等の間を擦り抜ける。
「うおおおおおおおおおおお!!!!」
走るミカエラの胸から二の腕にかけて筋肉が、ビキビキと音を立てながら、血管がはち切れんばかりに膨らんだ。
教皇国の狂犬と言われた皇王の剣が煌めき、スノーホワイトの背後に迫る。
「させねぇよ!!」
ギィン!!
寸前の所で二人の間に滑り込んだルーカスがミカエラの剣を受ける。
「クッ…、いい加減、バンジャリデアを返せ!!」
「金は天下の廻り物っていうだろ!?こういうのは一つの所に置いとかねぇで、巡り巡らせた方が世の中の流れも良くなるんだよ!!」
ザンッ!!
ルーカスがバンジャリデアの宝剣を一閃させた次の瞬間、ミカエラの腕が胴体から離れた。
「これであいこだな、皇王様!!」
「ぐああああああああああああああ!!!!!」
血が噴出す肩口を押さえて叫ぶミカエラに、彼の部下達の顔色が変わる。
「ミカエラ様!?」
「貴様ぁ、よくも!!」
男達の罵声、悲鳴、剣の打ち合う音。
背後で激しい攻防戦が繰り広げられる中、俺はただまっすぐ、無心に祭壇へ向かった。
「俺はいい、あの女を止めろ!!何がなんでも水竜王の復活だけは阻止しなければ!!」
「畏まりました!!」
「皇王様の仰せのままに!!」
教皇国の最強部隊、聖火十字軍の精鋭達が一斉に走り出す。
背後に迫り来る気配にスノーホワイトの身が竦み、脚が止まる。
「リンゲインの姫!その首頂戴する!!」
―――”力ある言葉”は中断され、『煌煌の征服者』から放たれる紅き光りが止んだ。
後を振り返れば、すぐ目の前に迫り来る銀色の刃があった。
「っ!?」
キンッ!!
「エミリオ・バイエ・バシュラール・テニエ・フォン・リゲルブルクの名と偉大なる始祖 の血に懸けて!―――…ここは僕が死んでも通さない!!」
「エミリオ様!」
金属音に目を開けると、エミリオ王子が兵の剣を弾き飛ばした所だった。
「―――スノーホワイト、行け!!」
彼はまた新たな兵の剣を受け、押し返しながら叫ぶ。
俺は頷いて、踵を翻すが――、
「ばーか! さっきから脇が甘いんだよ、リゲルの坊ちゃん!!」
ガギッ!
また一本剣を捌いて流すエミリオ王子の脇腹に、教皇国の兵の蹴りが入った。
「死ねえええええええええっ!!!!」
「エミリオ!」
振り返ると、倒れたエミリオ王子に白銀の刃が振り降ろされる! ーーしかし、
ギィィィン!!
「ばーか!させねぇって言ってんだろ!!」
王子様に振り下ろされた刃を寸前の所でルーカスが弾き飛ばした。
「うおおおおおおおおお!!お姫様は俺達が絶対に守るぞーっ!!」
「へへっ、燃えるじゃん!なんか俺達、すっげーカッケーじゃん!?」
「なんかこういうのっていいな、俺達まるで正義の味方みたいじゃね?」
「元々俺等は悪い魔女 に立ち向かうリンゲインの良心かつ、正義の味方だったはずなんだがなぁ」
「そういえば俺達何で盗賊なんかやってたんだっけ?」
エミリオ王子を助け起こすとルーカスの壁になりながら、ヴラジミール達は苦笑混じりに談笑をしながら剣を振るう。
「エミリオ様、大丈夫っスか?」
「フン、当然だ。愛剣 もまだまだ暴れ足りないと言っている」
「そりゃあ頼もしいわ。――…アキラ、ここは俺らに任せてさっさと行きな!」
友の力強い言葉に頷くと、俺はまた祭壇に向き直った。
「ルーカス、背中は任せたぞ!!」
「任せてください、エミリオ様!!」
―――もう大丈夫だ。
俺は今、俺に出来る事に集中しよう。
例え今、彼等が倒されて、ミカエラ達に背中から斬られて死んでしまう事があったとしても、俺は後悔する事はないだろう。――…心からそう思った。
湖から発せられている目も眩む程の光りと、吹き付ける激しい逆風に煽られながら俺は顔を上げる。
石に導かれるまま、一歩、また一歩、歩き出す。
―――黒曜石の祭壇の前まで来た。
祭壇の向こうの吹き抜けから、下の湖面から激しい旋風と共に、眩い金色の光りが巻きあがるのが見えた。
俺は今、自分が何と言えば良いのか、何をすれば良いのか知っていた。
石が巻きついた腕をこの祭壇の上に翳すのだ。
「我はすべての命の源、始まりの光を手にする者なり
地脈を統べる竜の神、幽光の刻 の中を生きる者よ」
石の中で燃える炎に反応する様に、黒曜石の祭壇の内部にも、紅い光りが血液の様に巡りはじめる。
目を瞑ると、また”力ある言葉”が頭の中に浮かんで来た。
また石の中から全てを燃やし尽くす様な、邪悪なまでに赫焉とした赤黒い光りと、強大な魔力が溢れ出す。
「今、そなたを戒める闇の鎖を眩耀の煌きで解き放たん
今、そなたを封じる幽冥の檻を赫焉の炎で掻き消さん
天地創造の理に従い、下れ、我に下れ…、」
ジャジャジャ…!!
「我は煌煌の征服者、太陽神の力をこの手にする者なり…!!」
その”解放の言葉”と共に、スノーホワイトの腕に巻きついていた鎖の先端は鋭い刃となり、右手の平に収まった。
うっすらと目を開けると、俺はその刃でスノーホワイトの左手首を躊躇いなく掻っ切った。
「今、失われし紅 の契約を結び直す
今、失われし血の契約を思い出せ
我は太陽王の血胤、紅鏡 の姫、天と地を統べる者なり」
スノーホワイトの血が黒曜石の祭壇に落ちた瞬間――、血が落ちたその場所から祭壇内部に、そして祭壇外部に紅い光が駆け抜け、放出された。
古城だけでない、闇の森全体に紅い光りが満ち溢れる。
「まずい!!このままでは…!!」
ミカエラの絶望的な声。
「よっしゃ!アキラ、でかした!!」
「アキラ、行っけえええええええええええええっ!!」
背後でルーカスとエミリオ王子が叫ぶ。
眩い光りと歓声に包まれながら、俺は頭に浮かんだ”彼の者”の名前を叫んだ。
「目覚めよ、水竜王シャデルルミアーナ!!」
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目を開けて、まず一番最初に驚いたのは自分がまだ生きている事だった。
その次に驚いたのが、世界が滅びていない事だった。
”彼の者”の名前を呼んだ瞬間、世界を焼き尽くす灼熱の劫火に身体を包まれ、俺はてっきり自分は死んだものだと思っていたのだ。
(生きてる…?)
光なのか炎なのか判らない、そんな激しい熱が消えたその時、俺の頭上には黄金の竜が居た。
その巨大な竜の姿に、その場にいる誰もが言葉を失った。
下の湖面から金色の光と水飛沫と共に出現した竜は、巨大な羽を羽ばたかせて、古城の最上階に着地した。
『私を目覚めさせたのはお前か、人の子よ』
「はい、私です」
その声は人語でこそあったが、普通の人間の声とは違い、その場にいる俺達の脳に直接響いた。
戦意を喪失したのか、教皇国の兵士達が何人か剣を落とす。
カランカランと剣の転がる音が背後から聞こえる中、竜神は言う。
『お前の望みは何だ?』
「私の願いはただ一つです。戦火の炎を鎮め、民達に安寧の世を与える事です」
俺の言葉に何故か竜神は笑った。
『ロードルトの時と同じだ』
「え?」
『あいわかった、ではまずは目の前の敵を滅ぼせばいいか?』
竜神の言葉にミカエラ達は剣を構え直すが、腰が抜けている兵が何人かいた。
泣きながら震える兵や、床のタイルに手を付いて懺悔し、神に祈り出す兵までいた。
「…………。」
その姿を見てしまったら、スノーホワイトの中にも確かにあった怒りや悲しみ、憎しみ等の負の感情が消えていく。
これは竜神の力なのだろうか?
病室で一人、俺とアキの目覚めを今か今かと待ち続けるお袋の姿が鮮明に浮かんだ。
俺の手を握るお袋の目元に光る涙に、今までずっと押さえて来た郷愁の念がブワッと込み上げて来る。
―――産まれた世界と国が違うだけで、彼等も俺と同じ人の子だ。
きっと故郷 には彼等の無事を祈る親や恋人、もしかしたら子供がいるのだろう。
そして彼等の帰りを、今か今かと待ち続けているのだろう。
『どうする?』
竜神の言葉に俺は静かに首を横に振ると、ミカエラ達の前まで行った。
「ミカエラ様、どうか剣をお収め下さい」
皇王の持つ剣先に触れ、そのまま下に下ろす。
ミカエラは何も言わなかった。
瞬きをする事も忘れた様子で、目の前の小国の姫を愕然と見下ろしていた。
「ミカエラ様、お願いです。どうか軍を撤退させて下さい。これからも休戦協定さえ守ってさえくだされば、私は――、」
「殺せ」
ミカエラは剣を捨てるとその場にどっしりと座り込む。
その言葉に、今まで震え上がっていたカルヴァリオの兵士達が反応した。
「ミカエラ様!駄目です!!なりません!!」
「リンゲインの!どうかお許し下さい、私達にはミカエラ様しかいないのです!!」
「やめろ見苦しい」
ミカエラは部下達を諌めると、もう一度だけスノーホワイトに「殺せ」と言った。
「殺しません」
俺の言葉にカルヴァリオの兵達の顔が輝く中、ミカエラは怪訝そうに顔を上げる。
「何故だ?お前は俺が憎くないのか?俺はつい今しがた、お前の国の兵達の首を何十も刈ってきたばかりだ」
「……それでもです。私はもう、この地に一滴たりとも血を流したくない」
―――それは紛れもない本音だった。
水竜王が復活し安堵したのか、緊張の糸が解けたのか、スノーホワイトの頬を涙が滑る。
「憎しみの連鎖は、いつかどこかで誰かが断ち切らなければなりません。そうしなければいつまでも、どこまでも、怨嗟の炎がこの地から消える事はない。それは既に長い歴史が証明しています。私達はそろそろ歴史に学ぶべきなのよ」
「…………。」
「その炎を私の所で止める事が出来るのならば、私はここで喰い止めたい。――…800年前、始祖様がなさった様に」
スノーホワイトの涙を見て、ポカンとした表情を浮かべていたミカエラが失笑とも苦笑ともつかぬ物を口元に浮かべる。
「……甘いな、甘すぎる」
「私もそう思います」
「まるで砂糖菓子の様に甘い。もしやお前は砂糖か何か出来ているのではないか?」
「もしかしたらそうなのかも」
スノーホワイトを白砂糖姫 の愛称で呼んでいる王子様の顔を思い出し、思わず苦笑してしまう。
「今俺を殺しておかなければ後悔するのはお前だぞ」
「後悔するかもしれないけどしないかもしれないわ」
涙を拭いながら微笑むと、ミカエラはぐっとつまった。
「確かに甘いのかもしれません。それでも私はこれから何十年、何百年先まで、リンゲインとカルヴァリオが仲良く出来ればいいと思っています」
「何故だ?」
「だって私達、お隣同士じゃないですか」
スノーホワイトのその驚く程シンプルな言葉に固まったのは、ミカエラだけでなかった。
教皇国の兵もエミリオ王子もルーカスもウラジミール達も、その場にいる全ての者が固まった。
「リンゲインもカルヴァリオも大陸で1、2を争う厳冬地方です。……すぐには無理かもしれない。それでもいつか、芽吹きの春は新緑の絨毯の上で花の香りと鳥達の囀りを楽しみ、暑い夏の夜は渓流で涼みながら星座と星の瞬きを数え、収穫 の秋は手を取って喜びを分かち合い、厳しい冬は肌を寄せ合い温めあえる様な、そんな素敵な関係になれれば良いなって思うんです」
スノーホワイトのその言葉にウラジミール達が、鼻を啜る。
「お姫様…、あんたって人は」
「畜生、……ちょっと見ない内にあっという間に大人になりやがって」
啜り泣きながらハンカチで鼻をチーンとかむ盗賊達の音に紛れてミカエラは言う。
「愚かな……、またいつか俺の様にリンゲインを我が物にしようとする王が出て来たらどうするつもりだ?」
「その時はその時です。お天道さまに恥じぬ様、毎日清く正しく生きていれば、今回の様にまたうちの竜神様が助けてくれるかも」
「ね?」と言って後に待機する金色の竜を振り返ると、彼は尻尾を大きく振って応えた。
どうやら水竜王も苦笑した様だった。
「……甘い、やはりお前は甘すぎる。俺がお前なら竜神が再び眠りに付く前に、最低でも自国に攻め入ったカルヴァリオとバルジャジーアに鉄槌を下し植民地とする。そして西の大陸の制覇に乗り出すだろう」
「私の願いはリンゲインの民が毎日心穏かに暮らす事だけです」
「だからこそだ。リンゲインは貧しい、うちと同じく厳冬地方だ。豊かな資源を持つ国に攻め入って領土を拡げれば、厳しい冬に民が凍える事も飢える事も少なくなるだろう。真に民を想うのならば、リンゲインの様な国こそ戦争をはじめるべきだ」
―――ミカエラの言っている事は正論だった。
彼の言っている事は一国の統率者として正しい。
一国の王として間違っているのはスノーホワイトの方である事を、実は俺も理解していた。
だが、スノーホワイトは絶対にそれをしない。
争いを好まない彼女の優しい性分がそうさせると言うのも勿論あるが、実はそれだけではなく、もう一つ理由があった。
これはスノーホワイトの勘なののだが、そこまで大それた野望や野心を持つ者には、今彼女の右手にある『煌煌の征服者』も、今隣に立っている竜神も力を貸してくれなかったと思うのだ。
そしてそれをする気がないスノーホワイトだからこそ、彼等は力を貸してくれた。
カルヴァリオとバルジャジーアに仕返しをした挙句、世界征服をするなどと言ってしまえば最後、彼等に見捨てられてしまうであろう事をスノーホワイトはどこかで理解している。
しかしだ。
この全てスノーホワイトの感覚的な話であり、理屈ではない。
俺もスノーホワイトも、今この男を説得させるに足る言葉を持っていない。
三浦晃ならきっと、水竜王の力を使って力ずくでミカエラに言う事を聞かせるだろう。しかしスノーホワイトちゃん的にそれはNGらしい。
「…………。」
少し考えた結果、この手の男は言葉で説得させるよりも本能に訴えかけた方が早いような気がした。
「ミカエラ様、お願いします」
その言葉を最後に、俺は言葉を紡ぐのをやめた。
最強美少女アイコンスノーホワイトのつぶらな瞳で、彼の目をジッ見つめて訴える。
―――ややあって。
「わかった…。軍を撤退させよう」
ミカエラは不承不承に頷いた。
「流石スノーだ!流石俺の姪っ子!!」
「本当にやりやがった!このお姫様!!」
「すげえ、すげえよあんた!!」
ヴラジミール達から歓声が上がる。
ヴラジミールはスノーホワイトを抱き上げると、クルクル回りだした。
「も、もう、叔父様ったら…、」
ヴラジミールによる回転は、すぐに盗賊達による胴上げに移行した。
ワッショイワッショイされながら俺は水竜王に向き直る。
「そうだわ、シャデルルミアーナ。国境までお願いしていい? 私の騎士が心配なの」
『あいわかった、わしの背中に乗ると良い』
「ありがとう」
ヴラジミール達の手を借りて、俺は水竜王の背中によじ登った。
竜神の背に跨り首に捕まった所で、未だ下でポカンとした顔のままこちらを見上げる王子様と騎士の姿に気付き顔を顰める。
「どうしたお前達、乗れよ。ヒルを拾いに行くぞ。その後はシャンティエルゴーダを占拠してるバルジャジーアの5万の兵を追い払って、水の都に戻ってアキと鏡と合流しなきゃなんねぇ」
二人はしばし放心した様子で俺を見上げていた。
森の木々の合間からは、既に朝陽が顔を覗かせている。
「もうじき夜が明ける。時間はあと1日半しかない、やる事は沢山あるんだ」
遠くの朝陽に目を細めながら言うと、二人は顔を見合わせて一つ頷き、水龍王の背中に飛び乗った。
「アキラ、やっぱお前すげーよ!」
「フン、流石は僕が見込んだ女のだけの事はある」
『では行くぞ』
竜神が空高く舞う。
「叔父様、私、行って参ります!!」
「スノー!俺達も後で駆けつけるぜ!!」
「頑張れよ、お姫様!!」
古城から水竜王が飛び立った瞬間、ミカエラと目が合った。
彼は笑っていた。
初めて見る男の笑顔に驚く俺に、隻腕の皇王は残った腕を挙げる。
「ミカエラ様!リンゲインとの友好条約の件、考えておいて下さいね!!」
「ああ」
頷いてくれたミカエラに破顔し大きく手を振り返すと、彼の笑顔に苦笑めいた物が混じる。
「じゃあ行くぞ!!」
―――目指すは国境、ボマーラ草原。
****
―――スノーホワイト達が消えたはじまりの城の最上階で。
朝陽の中、小さくなって行く竜神の背中を見送りながら、ミカエラは笑っていた。
妙に爽快な気分だった。
「……撤退するか」
「ミカエラ様、本当に宜しいのですか?」
「そんな事をなさればあなたのお立場が…」
「構わない」
(スノーホワイト、面白い女だ。これは是が非でも手に入れたくなってきたぞ)
最初は美しいだけの非力な姫君だと思っていた。
しかし伝説の竜神の眠りを解き、奇跡を起こして目の当りにさせたその姫に、――…教皇国の狂犬と呼ばれた男の中に、未だかつてなかった種の新たな炎がメラメラと燃え上がる。
(あれの婚約者は確かリゲルの王太子だったか。あの抜け作には過ぎた女だ)
「―――…いいだろう、スノーホワイト。次はリンゲインではなくお前を奪いに行ってやる」
****
その光はリンゲインの首都、シャンティエルゴーダからも良く見えた。
遠くの空に光る金色の光りに、巨大な竜の姿に、バルジャジーアの捕虜となった民達は涙を流し打ち震えていた。
「水竜王だ…水竜王が復活した…」
「ばば様、姫様よ!姫様が竜神の背中に乗っているの…!」
「信じられない、あんな遠くの空なのに姫様の姿が鮮明に見える…!」
「彼の王はこう言い残したと言われている。
太陽に恥じぬ様善良に生きよ
太陽の恵みに感謝して生きよ
さすれば終末の日も、箱舟で救いを出そう
国家が窮地に瀕した日も救いの手を差し向けよう、と」
「奇跡じゃ…、奇跡じゃ…!」
城の最上階の回廊に立っていた、真紅の薔薇のドレスを身に纏った人形の様な子供は、肉眼で金色の竜を確認すると踵を翻す。
彼の腰まで伸びた長い髪がさらりと揺れた。
「我々も撤退するか」
年の頃なら10歳前後。結局使わず終いだった細剣 を惜しむ様に、軽やかに宙を切って遊ばせた後、柄に閉まって微笑む少年の名前は剣王アルスティーユ。
先日父王デュランに代わり、密かに王位に就いたバルジャジーアの幼き剣王である。
薔薇の花飾りをスカートの全面に縫い付けた色鮮やかなドレスを着込んでいるその姿は、薔薇の花の妖精か何かの様に麗しいが、れっきとした男でバルジャジーアの第6王子だ。
昔からバルジャジーアと言う国では、王子が産まれたら18歳まで姫として育てなければならないと言う慣例がある。
バルジャジーアの王族にはある呪いがかけられている。
それ故に王子の成人までの生存率は低い。
王子の生存率を高める唯一の手段が、18歳まで姫として養育する事だった。
―――その均衡も100年前に裏剣王が消えた事により、崩れてしまう。
裏剣王がいない今、王位に就いた者は徐々に身体が石化して行くと言う呪いから逃れられない。
「えっ!?いいんですか!!」
「太陽王が再来し、水竜王なんて神様 が出て来たんだ。神仏に人の身で敵いっこない。帰るしかないだろう」
「は、はい!畏まりました!!」
「リゲルの国境で遊ばせていた12剣聖達にも撤退命令を。時間は充分稼いでやった。これでカルヴァリオに義理は果たした」
バルジャジーアの最重要機密の一つだが、今、呪いに悩まされているのは彼の父だけではない。彼の5人の兄達全員も、ほぼ動けない状態下にある。
―――呪いを解除する方法はただ一つ。
どこか逃げ隠れた裏剣王の末裔を連れ戻し、贄の間に閉じ込め、今まで通り生贄になって貰う他ない。
しかしこの100年、アルスティーユの祖父や父は死に物狂いで捜索したが裏剣王を見つけ出す事が出来なかった。
アルスティーユの祖父も最後は石となって帰らぬ人となった。
彼の父も、兄達も今、石となろうとしている。それが第6王子の彼が王位を継いだ理由でもあった。
裏剣王を連れ戻す他、呪いを緩和させる方法はない。
しかしカルヴァリオに点在する聖地、――…その中で、もっとも神聖なる聖地からの泉から湧く、稀少な湧き水を飲む事でその呪いを緩和する事が出来るのだ。
その湧き水と交換条件に、幼き剣王はリゲルブルクに進軍を開始した。
(太陽王の正統なる血胤、スノーホワイトか)
「俄然興味が沸いて来たな」
(今年の舞踏会に誘いの文でも出してみようか)
今までの経験から考えるに断られるのが関の山なのだろうが、その時は12剣聖を何人か使って、強引に連れ出してみるのも良いだろう。
(ぼくは彼女に会わなければならない気がする…)
何故かは解らない。
しかし兄弟一勘が良いと言われたアルスティーユの勘が、彼女と会う事が自国を、そして家族を救う事に繋がる様な気がしてならないのだ。
「まあいい。今回は見逃してあげるよ、お姉さん」
不敵な笑みを浮かべながら、剣王達は城の階段を降りる。
「……ん?」
階段を降りる途中で、床に落ちていた小さな肖像画が彼の目に入った。
その肖像画の下に小さく書かれている名前は、――…スノーホワイト。
(……へえ、驚いた。もしかしたらこれはぼくよりも美しいかも)
肖像画の中で微笑む美しい少女から、どうしても目を離す事が出来なくなったアルスティーユは、その肖像画をバルジャジーアに持ち帰る事にした。
(年の終りの舞踏会が今から楽しみだ)
―――剣王アルスティーユをのせた鉄鋼船はシャンティエルダ湾から撤退した。
****
「信じれられん、神話の再来だ…」
「奇跡だ、奇跡が起こったぞ…!!」
何だか周りがガヤガヤと騒がしい。
「竜の背中に誰か乗っている、……ああ、やっぱり姫様だ!姫様だ!!」
「太陽の化身を従えし偉大なる王が金色の野に舞い降りた時、悪しき心を持つ者と人の心を忘れた者は、煉獄の炎で焼き尽くされん。―――…伝説は、古き言い伝えは本当だったんだ…!!」
(え…?)
ヒルデベルトが顔を上げる。
逆光なのか何なのか判らないが、彼は眩しすぎて前を直視する事は出来なかった。――でも、この匂いを忘れる訳がない。
「皆、武器を収めなさい。スノーホワイト・エカラット・レネット・カルマン・レーヴル・ド=ロードルトリンゲインの名において、戦いの収束を命じます」
(この声は…!)
金色の竜神の背から、金色に染まった草原の上にふわりと降りて来たその少女に、ヒルデベルトが目を見開いた。
「スノー…ホワイト?」
「ヒル、遅くなってごめんな」
目に映る全てが神々しく、美しくて、ヒルデベルトはここはあの世なのかもしれないと思った。
彼女が地に降り立った瞬間、金色の竜が吹いた息吹により、ヒルデベルトの身体を燃やそうとしていた炎が沈下して行く。
同時に彼を戒めていた縄もはらりと解けた。
「迎えに来たよ」
落下してきたヒルデベルトをその少女は細い腕で、しっかりと抱きとめた。
大好きなあの子の柔かな肌の匂い。衣服越しに伝わる優しい体温と心臓の音。――…これは夢じゃない、現実だ。
「無事か、ヒル。ってあんまり無事じゃなさそうだな」
「お、おれ、もう死ぬって、……もう二度と君に会えないと思った、もう終りだって…!」
「ごめんな、遅くなって本当にごめん。……ってかお前、もう二度とあんな事すんなよ。ずっと一緒だって言ったのお前だろ。勝手にいなくなんな」
仏頂面でヒルデベルトの背中をポンポン叩きながら言う少女の言葉に、彼の瞳から涙が溢れ出す。
「お前等、剣を収めろ!!」
「すぐにミカエラ様も来ますよー、カルヴァリオの皆さんはそろそろお帰りの時間ですよー!」
エミリオ王子とルーカスが教皇国の兵士達に投降を促す中、スノーホワイトは自分のスカートを裂いてヒルデベルトの傷を縛る。
「ひっでーな、全身ボロボロじゃねぇか。……悔しい。マジで悔しい。お前までこんな事になってたなんて。やっぱりミカエラなんて許さなきゃ良かったかも」
目に涙を溜めながら自分の手当てをする少女の背後に佇む巨大な竜に、やや気圧されながら彼は言う。
「スノーホワイト、いったい何がどうなってるの?この竜 は?」
「んー…実は俺も良く判ってないんだけど、水竜王が復活して力を貸してくれたんだ」
「そっか…。俺、今回ばっかりはもう駄目だと思ったよ」
「俺もだわ、今回はマジで死んだと思った。……でも、お前が生きていてくれて本当に良かった」
目元に光る物を拭いながら顔を上げるスノーホワイトに釣られて、ヒルデベルトも彼女の目線を追う。
ヒルデベルトもボロボロだったがエミリオ王子とルーカスも負けてはいない。
ルーカスの腕が一本なくなっているのに気付き、彼女の目に浮かんだ物の正体に気付く。
(ルーカス、お前…。約束守ってくれたんだな、ありがとう)
隻腕となった同僚騎士の姿に、流石のヒルデベルトも言葉を失い鎮痛な面持ちとなる。
しばしして、手当てが終わるとスノーホワイトは懐から古ぼけたボールを取り出した。
「約束通り、帰ったらこれで遊ぼうな」
すす汚れた顔でこそあったがその少女の見せたその笑顔は、美しい彼女が今までヒルデベルトに向けた笑顔の中でも1、2を争う物だった。
「アキラ…、」
「ん?」
「も、もう我慢出来ない!!」
「へ?」
「俺、君の事が好きなんだ!!本当に、本当に、大好きなんだ!!」
そのままスノーホワイトを倒し、顔中にキスの雨を降らす騎士に、遠巻きに見守っていたリンゲインの女官達の間からキャー!と黄色い悲鳴があがる。
「ちょ、ヒル!皆見てる!や、やめて!!」
「やだ!やめない!!だって大好きなんだもん!!スノーホワイト、好き!好き!!大好き!!」
ヒルデベルトは顔中に見境なくしていたキスを一旦止めると、切なそうに眉を寄せ、目を細めた。
「もう、絶対離さない」
二人の唇と唇が重なろうとした、その瞬間――、
「はいはいストップ、そこまでなワンコ君」
「絶対離さないじゃないさっさと離れろ!さっきからお前達は公衆の面前で一体何をやっている!!」
二人の男がヒルデベルトの身体をスノーホワイトから引っぺがす。
「えー、ケチー。俺頑張ったんだからちょっとキスする位いいだろ」
「そういう問題ではない!そもそもスノーホワイトは僕の未来の妃になるべく産まれて来た女だ!」
「いやいやいや、違います、これは俺のっス。つーか今思うと前世から俺のだった様な気がします」
「ちょっと待て!何勝手な事言ってんのお前等!!」
遅れて到着したミカエラ達が撤退準備を進めるのを確認した後、彼等はまた竜神の背中に跨り、空へ飛び立った。
「さて、次はシャンティエルゴーダかな」
『いや、その必要はなさそうだ』
シャンティエルダ湾からバルジャジーアの鉄鋼船隊が撤退していくのが見えた。
「流石の剣王も竜神様とやりあう気はないって事か」
「まあ、悪くない判断だ」
ルーカスの言葉にエミリオ王子が頷く。
「じゃ、次はリゲルブルクの首都、城郭都市ドゥ・ネストヴィアーナに向かってくれ。うちのお袋に化けた女狐退治だ」
「狐退治まで付き合ってくれるのか?」
意外そうな顔をするエミリオ王子に、スノーホワイトは首を傾げる。
「当たり前だろ、お前達はリンゲインの危機に駆けつけてくれたんだから」
「し、しかし我が国のいさごさにリンゲインの竜神の力をお借りても良いのだろうか?」
「いいよな、シャデルルミアーナ」
『わしは構わんよ』
「だってさ」
竜神の答えに、エミリオ王子はいつになく神妙な面持ちとなり姿勢を正す。
「水竜王シャデルルミアーナ殿、我が国を挙げて感謝を申し上げます。どうかリゲルブルクにあなたを祭る神殿を作る栄誉をお与え下さい」
『ほっほっほ。では急ぐとするか、しっかり捕まっておるのだぞ』
軽やかに竜神が笑いながらスピードを上げる。
雲の合間を潜り、風と一体となり、空を翔けて水の都を目指す。
あっと言う間に城郭都市の外壁が見えて来た。
こちらでも激しい戦いがあったのだろう。
街の半分は瓦礫と化している。
竜神が城郭都市の上まで来ると、瓦礫の中から大勢の人達が歓声を上げながら飛び出して来た。
民が地上から手を振っているのを見て、スノーホワイトはヒルデベルトと笑いながら手を振り返す。
「ありがとう」
風と歓声に掻き消されそうな小さな声でエミリオ王子が呟いた。
「礼なんか言うなよ。言っただろ?クソ親父を一発殴ってやるって」
「アキラ…」
「それに、うちとお前の国は友好国だろ?」
スノーホワイトは後を振り返るといつかの様に王子様に右手を差し出す。
エミリオ王子はいつかの様に、硬く、強く、彼女の手を握り返した。
「ああ、我が国とリンゲインは友好国だ。今までも、これからも、この先もずっと永遠の友好国だ」
****
「ふう…」
あの王子様も随分と無茶な注文をする。
300人の政敵の情報が詳細に書かれたリストを捲りながら、メルヒは銃を肩に抱え直す。
取りあえず今、水の都に滞在している者は大方片付けた。
(あと15人)
そろそろ国境にいるリストメンバーも帰って来る頃だろう。
軍隊が帰って来たら、祝勝パレードを開催するらしい。
―――そこで一網打尽にする。
(大通りでパレードが開かれるとして、どこから狙うのが一番良いか)
銃で狙うのに良さそうなポイントを探しながら、瓦礫の中を彷徨い歩いていた時の事だ。
「竜だ、竜だわ…!」
「あの大きさはただの竜じゃない、……竜神だ!」
王都の中心で暴れ狂う巨大な狐と白豹を恐れ、避難所に避難していた王都の住民達が、バラバラと表に飛び出して来た。
「金色の竜……背中に誰か乗っている!!」
「エミリオ様だ!エミリオ様がのっているぞ!!ああ、騎士様も一緒だ!!」
頭上を覆う巨大な影に、メルヒはざわめく群集達と一緒に顔を上げる。
空には神々しいまでに光り輝く金色の竜が居た。
「おーい、皆、無事かー!?」
その竜の背中に跨っている4人の男女の姿は、メルヒに見覚えがあった。
こちらに手を振る騎士は、あの良く食べる若造――…ヒルデベルトだ。
「禁門府の騎士様だわ!!ヒルデベルト様だわ!!」
「きゃー!格好良い!!ヒルデベルト様-っ!!」
「やーん!ルーカス様もいらっしゃるわ!!」
「ルーカス様ぁ!抱いてー!!」
若い婦女子の黄色い声に、軟派な騎士が反応する。
「よっしゃ、ここは一つファンサービスしてやんねぇと!可愛い女の子を平等に愛するルーカスさんはここでっす!ここですよー!!」
「ルーカス!」
調子の良い騎士――ルーカス殿が投げキッスやらウインクするのを見て、エミリオ王子が彼の頭をぼかりと殴るのが見えた。
(良かった、皆生きてる)
―――皆、傷だらけだがちゃんと生きていた。
いつも通りの彼等の様子にメルヒの頬が緩む。
「きゃああああ!!エミリオ様ああああああ!!」
「相変らずクールなお姿に痺れちゃうーっ!!」
「エミリオ様ああああああ!!こっち向いてー!!!!」
中でも一番人気はエミリオ王子の様だった。
リゲルの王室の人気――…特に、正統なるリゲルの血を引く、アミール王子とエミリオ王子の国民人気は非情に高いと話には聞いていたが、これは想像以上だ。
若き婦女子達の黄色い声にメルヒはやや圧倒される。
エミリオ王子がブスッとした顔のまま女達に片手を上げて返すと、女が何人か卒倒した。
「きゃあああああああ!!こっち向いた!!エミリオ様がこっち向いたあああああああ!!」
「今の見た!?今の見た!?エミリオ様が私に手を振って下さったの!!」
「馬鹿!今のは私に振ったに決まってるでしょう!?」
騒いでいるのは何も女達だけではない。男達もだ。
「美しい……誰だ!一体誰なんだ!あの美しすぎる少女は!!」
「なんて美しいんだ……あれは本当に人間なのか?女神か何かなのではないのか?」
「彼女は紛れもない人の子です。スノーホワイト・エカラット・レネット・カルマン・レーヴル・ド=ロードルトリンゲイン。リンゲイン独立共和国の姫殿下です」
群集に紛れてぼそりと告げると、一際大きな歓声が上がる。
「凄い凄い!リンゲインのお姫様が竜神と一緒にリゲルブルクを助けに来てくれたのね!!」
「スノーホワイト姫殿下、万歳!万歳!!」
「太陽の化身を従えし、偉大なる一族に光りあれ!!」
先頭で竜の首に捕まりながら、キョロキョロと辺りを見回していたその少女は自分の姿を見付けたらしい。
「メルヒ!!」
メルヒは真実の鏡に問わずとも判る。
太陽よりも眩しい笑顔を浮かべ、自分に向かって無邪気に手を振るその姫君は、世界で一番美しいと言う事を。
世界一美しい少女の笑顔の破壊力に、メルヒの周りに立っていた男達はふらりとよろめき卒倒した。
「リゲルブルクの皆さん、お初にお目にかかります! リンゲイン独立共和国の王女、スノーホワイト・エカラット・レネット・カルマン・レーヴル・ド=ロードルトリンゲインです! 友好国の危機と聞き駆けつけました!今度はリンゲインがリゲルを救う番です!!」
オオオオオオオオオオオオオ!!
民達から巨大な歓声が上がる。
プロモーションの一貫か、歓声の中エミリオ王子が姫様の肩を抱く。
それを見て、後の騎士二人は面白くなさそうな顔になった。
(姫様、本当に水竜王を…)
眩し過ぎるその光りにメルヒが目を細る。
(あなたはやはり私の想像通り、いや、想像を超えて偉大なお方だ)
「神よ。あの方と同じ時代に、同じ国に産まれる事の出来た奇跡に心より感謝を申し上げます。……姫様、あなたにお仕え出来た事が、私の人生の一番の誇りです」
その大男は地面に平伏して竜神を拝む民達に混ざって平伏する。
(ミュルシーナ、見ているか? あなたの娘は、もうどこに出しても恥ずかしくない立派な女王だ)
****
―――そしてこちらでは。
「迷ったわ」
「迷いましたね」
西の大陸で一、二の大きさを誇る、巨大な城――ルジェルジェノサメール城で迷子になっている鏡の女王主従がいた。
「あーん!折角の生イルミ様と生エルにゃんを見失っちゃったー!!」
頭を掻き毟る主に、鏡の妖魔は暗い目でぼそりと呟く。
「……このまま一生出会わなければいいのに」
「ねえ、鏡、ここらに鏡はないの?鏡を潜ってあの二人の近くまで行けないの?」
「ええ。探してはみたのですが、どれも割れていて使えそうな物がないんですよねぇ…」
(と言う事にさせて戴きます。すみません、アキ様)
「困ったわねぇ」
主の後で鏡の妖魔はベッと舌を出した。
バタバタとリゲルブルクの国旗がはためく城の屋根の上に座ったリディアンネルは、こちらに近付いてくる眩い光に気付いて顔を上げる。
光の正体は、金色の竜だった。
その巨大な竜に跨る4人の男女の顔は、見覚えがある所の話ではない。
「スノーホワイト!……って事は、あれ、アキラ君達!?」
「え、ええ、恐らく。あの竜は、水竜王が復活した……よう、ですね」
長生きをしている鏡の妖魔だったが、そんな彼であっても水竜王を直に目にするのは流石に初めてだったらしい。
主と一緒にポカンとした顔のまま、自分達の前を突っ切って行く金色の竜を見送った。
竜はまっすぐにルジェルジェノサメール城の最上階――…玉座の間へ向かう。
「鏡!私達も行きましょう!!私の気のせいでなければ、……え、えみ、エミリオたんが!エミリオたんが、いた!!いた!?いたわよね!?あれ、本物!?マジもん!?生エミリオたん!!!?」
「…………。」
リディアンネルは屋根を飛び降りると、鼻息荒く走り出す。
主の後に続く執事を包むオーラはドス黒い。
(あーやだやだ。どうせ玉座の間に着いたら7人の恋人が全員集合してるってオチなんでしょう? 浮かれに浮かれるアキ様のご様子が見事に想像出来る…)
****
―――玉座の間では、夜が明けても戦いは続いていた。
イルミナートとエルヴァミトーレが来ても、こちらは善戦と言う訳には行かなかった。
それほどまでに裏剣王は強かった。
その時、窓から射し込む金色の光りに誰もが戦いを中断する。
「あれは」
「まさか、水竜王…?」
―――一番最初に反応したのは妖狐だった。
「まずい……ラインハルト、逃げるぞ!あれは化物だ!!私でもお前を守り切れない!!」
「私は逃げないよ、この国の王だから」
「はあ!?なにを、」
「本来王とはそういう物なんだ。そしてその死に様を見せるのが、あれの父親として私に出来る最後の仕事なんです」
穏かな笑みを浮かべるラインハルトに、妖狐は瞠目する。
「今まで私に付き合ってくれてありがとう。君は、ずっと空虚だった私の心を埋めてくれた」
「まさか、お前……私が人間ではない事に気付いていたのか?」
「私にはこれがあるからね」
手に持つ『冥府の刃』に意味ありげな視線を送り、苦笑を浮かべる男に彼女は言葉を飲み込んだ。
「私が時間を稼ぎます。―――…君はお逃げなさい、心優しい東の狐」
「い、いやだ、私は、私は、」
動揺した黒髪の少女の頭から狐耳が生え、ドレスの隙間から尻尾が覗く。
(好機!)
「幽魔!行くぞ!」
『はいよ!』
―――二人に出来た隙を見逃すアミール王子はではなかった。
「これで最後だ!……月と屍肉の檻棺 !!」
グオオオオオオオオオオオオオッ!!
『幽魔の牢獄』の中から飛び出した、黒い狼の影がラインハルトに襲いかかる。
「これは…!」
「ハル!!」
これがアミール王子の最終奥義なのだろう。
振り上げた剣から伸びる黒い影を操る彼の額には玉の汗が浮いている。
「喰らえ、喰らえ、全てを喰らえ、喰らい尽くせ…!―――…月を喰らいし古 の邪神 、マーナガルム!!」
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
黒い狼の影がラインハルトの剣を擦りぬけて彼の胴体に喰らいつき、そのまま玉座の後の壁に衝突する。
「やった!」
「アミール様!流石です!!」
レジスタンスメンバーがガッツポーズを決め、手を叩き合う。
「ぐっ」
ラインハルトが血を吐いて倒れた瞬間、狼の影は『幽魔の牢獄』の中に収まった。
剣を杖に片膝を付いたアミール王子が咳き込むと、彼の口元からも赤い物が流れ出る。
「許さない……許さない……よくも、私のハルを…!!」
倒れたラインハルトを目にした妖狐の周囲に、ボッ、ボッ、といくつもの鬼火が産まれた。
「殺してやる……殺してやる……」
黒髪の小柄な少女の姿が、銀髪紅目の大人の女の物に差し代わる。
血の様に紅い女の瞳が暗く光ると、その鬼火は、地獄の劫火となって燃え上がった。
―――最高危険種、白面金毛九尾の狐の嚇怒の炎に、謁見の間の天井が、壁がドロドロと溶けて行く。
謁見の間に赤黒い瘴気と灼熱の炎が充満して行く。
「イルミ!!防げるか!?」
「くっ」
「父さん!」
半ば気を失いかけていたエルヴァミトーレが、ドロドロと溶かされて行く結界の様子に飛び起きる。
「手伝います!!」
「フン、勝手にしろ」
「勘違いするな!あんたの為じゃない、自分が生き延びる為だ!!」
エルヴァミトーレはイルミナートの隣に立つと彼の腕を掴み、彼に魔力を送る。
いつしか結界の外は、溶岩の海と化していた。
「だから私は嫌いなんだ、人間なんて……皆、皆、死ねばいい……」
白面金毛九尾の狐を中心に、また凶悪な劫火が巻き上がる。
ジリジリと狭くなって行く結界に、誰もが死を覚悟したその時――、
「アミー様!皆!お待たせしました!!」
謁見の間に金色 の光りがふわりと舞い降りた。
「スノーホワイト…!?」
―――彼女はすぐに状況を察したらしい。
「シャデルルミアーナ、お願い!!」
彼女の鋭い声に、金色の竜――…水竜王がその巨大な羽根を羽ばたかせると、炎はたちまち掻き消えた。
『―――魔の物よ。去れ、ここは人の国だ』
その低く厳かな竜神の声と共に、眩い金の閃光が妖狐に迫る。
「きゃあああああああああああああああああああああ!!」
「ホナミ君!!」
魔の物には耐えられないその光に蹲る妖狐の前に、口元の赤を拭いながらラインハルトが立ち上がる。
「冥府、頼む!これが最後でいい!どうか私に力を貸してくれ…!!」
ギチギチギチ…!
冥府の刃が紫水晶のドームになって二人を包んだ。
「な……お前、バカだろう!何故逃げぬ!?何故庇う!!」
「さっきも言っただろう、私は君に救われたんだ」
二人の身体を包むには狭過ぎるドームの中で、妖狐は男に喰ってかかった。
「わ、私はホナミではない!」
「ああ、そうだね、君はホナミ君じゃない。……最後に君の名を教えてはくれないか?」
「名だと?私の名など聞いてどうする」
「ただ知りたいんだ」
「私の名は、……玉緒前 、稀瑕子 」
ラインハルト名前を聞かれ、――…戸惑いながらも彼女は、稀 に見る瑕 ちの子と言う真名 を告げた。
「キカコ君か、美味しそうな名前だね」
「はあ!?どこが!」
ビギビギビギ…、
「どこがと言われても。……私は子供の頃からキカの実が大好きでね」
そう言ってニッコリ微笑むラインハルトに稀瑕子 は何か叫ぼうとしたが、結局彼女はそれを口にする事は出来なかった。
何故ならば次の瞬間、冥府の刃で作られた紫水晶のドームは砕け、神々しくとも凶悪な光に全てが吹き飛ばされてしまったから。
≪現在確認されている神の石≫
「冥府の刃」→バルジャジーアからリゲルブルクへ(アミの爺さんが持ち出した)
「幽魔の牢獄」→アドビス神聖国からリゲルブルクへ(国家間の友好の証に)
「煌煌の征服者」→ロードルト→カルヴァリオ→リンゲインへ(ミカエラ→スノーちゃん)
「黄昏の夜」→知的探求国デンマーズ→のち、アドビス神聖国へ(メチルがリリアさん達と盗んだ)
「大海の恵」→アドビス神聖国
ムーンライトノベルさんにアップした小説で出てきているのは、今の所この5つです。
ちなみに三大神器は、
・バンジャリデアの宝剣
・ピデアンの盾
・聖十字の化身
の3つになります。
剣と盾はルカがエミリオ王子に倒された際に奪われましたが、聖十字の化身はルカが持ったまま逃走しました。
聖十字の化身の効果でルカ・アドビスは不老不死で今も生きてます。
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