6・教皇国には勝てなかったよ…。
カルルコルム山脈は標高8,850mのエベレストよりちょっと高い感じです。
「現状を説明します。教皇国の軍はボマーラ草原を南下し、リンゲインを実行支配した後はリンゲインを拠点として船で南下。そして植民地である東デリマに上陸、同様に植民地である西デリマに通過して北上。リゲルブルクを南から攻め込む作戦のようです」
イルミナートはどこからともなく取り出した教鞭の様な物で、樫の木のテーブルの上に広げた地図を指し解説を始めた。
恋人達の表情を横目で確認するとリゲルブルクのメンバーは皆既に承知の話らしく、イルミナートが今話しているそれは主に俺とメルヒとアキの使い魔に向けられた解説の様だった。
「我が軍は撤退と見せかけて草原の西にある闇の森に潜伏。リンゲインの5千の軍を追い込む教皇国の軍を後から挟み撃ちする作戦です」
「10万の軍は、いつ、どのタイミングで出撃するのですか?」
メルヒの質問にイルミナートは一つ頷く。
ピシャリと音を立てて、彼の持つ教鞭の様な物が教皇国カルヴァリオの首都カルカレッソを指した。
「向こうも3万の軍勢でリンゲインを落とすのは難しいと考えている。私の放った諜報員の情報だと、向こうは国境を落とした後、5万の軍を援軍で送る予定らしい。その時です」
「なるほど。簡単に見積もって、最終的には11万5千対8万になると言う事か。……よほどの事がない限り、負ける戦ではないな」
二人の会話に、この世界の地理が完璧につまっているスノーホワイトちゃんの頭脳は違和感を感じた。
「イルミ様、よろしいですか?」
「発言を許可しましょう」
挙手をすると、宰相殿は偉そうに腕組みをしながら頷く。
彼のその尊大な態度に、別にそんなにおどおどせんでも…と思うのだが、スノーホワイトちゃんも元は陰キャラの俺もそういうキャラなのだ。
おどおどと話し始める。
「そんな面倒な事をしなくても、教皇国カルヴァリオはリゲルブルクの北西にあるグデアグラマの半分を既に実行支配していると聞きます。教皇国がグデアグラマ領から直接リゲルブルクを攻める事はないのでしょうか?」
10年前リゲルブルクがグデアグラマを支配下に置くが、ここ数年――恐らく例の妖狐が現れた辺りだろう。その半分を教皇国に奪われたと言う話は、国政から遠ざけられていたスノーホワイトも耳にしていた。
リンゲインを落とした後、船で東デリマへ渡り西デリマを通過し、リゲルブルクに入るよりもそちらから攻め込んだ方が明らかに早い。
「そうです。リンゲインのルートは元々こちらの隙を付く奇襲用の物であり、本軍の囮なのです」
「と、おっしゃいますと……?」
「本軍30万のは部隊は、今回もグデアグラマからベーレ川を越えて来る」
「30万!?」
あまりもの大軍に思わずスノーホワイトは口元を手で覆ってしまった。
「既にベーレ川を挟んで我が40万の部隊と教皇国の30万の部隊が睨み合いを続いています」
驚きのあまり息を飲む。
しかしこの事もリゲルブルクのメンバーは周知の事実らしく、周りを見回しても俺とメルヒ以外に驚く者はいなかった。
(あれ…?)
驚愕しつつも、スノーホワイトちゃんの明晰な頭脳に疑問符が浮かんだ。
リゲルブルクとグデアグラマの間にはカルルコルム山脈がある。
カルルコルムは標高8,888mの世界最大の山脈だが、標高が高いのは中央部だけで、端の方の山に行けばそんなに高い山ではない。
例えば最東の闇の森に入った辺りの”終わりの山”。例えば西のアガルマーダ鉄鋼山。――あの辺りから教皇国の奇襲が来る可能性はないのだろうか?
スノーホワイトが挙手をしてその話をすると、イルミナートは軽く一蹴する。
「それはないでしょう。”終わりの山”はリゲルブルク側からなら入れるが、皇教国側からは際立った崖になっており入る事が出来ない。”終わりの山”に入る為に、わざわざカルルコルム山脈を登山して来るとも思えない」
「では西の鉄鋼山の地下通路からはどうでしょう?」
「それはないだろう。向こうも10年前のアガルマーダの悲劇を繰り返したくはないだろうし」
イルミナートの代わりにスノーホワイトの問いに答えたのはアミール王子だった。
顎に手を当てたままのほほんと答えるアミール王子を、リゲルブルクのメンバーは何故か戦慄した面持ちで見つめる。
「それにあそこには私が定期的に毒ガスを流しているし、今人は入る事は出来ないよ」
10年前の悲劇とやらを知らない俺だったが、彼が笑顔で続けた何気にとんでもない発言に戦慄する。
凍り付いた部屋の空気を一変させるように、イルミナートが咳ばらいをした。
「そうです。スノーホワイトの言う通り、我が国と教皇国の間にはカルルコルム山脈がある。あの山は標高が高く魔獣も多い。火炎竜の出現率が高い山でもある。現実問題、あの山の頂を数万の軍勢が越えて攻め込んで来るとは考えにくい。教皇国の西にあるグデアグラマ領に入ると、カルルコルム山脈は穏やかになり、比較的標高が低めで低級魔獣 しか出ないアガルマーダ鉄鋼山に入ります。向こうがうちに奇襲をかけるのならそこからでしょうが、アミール様のおっしゃる通り、先のグデアグラマ国境紛争により向こうも懲りています」
(なるほど…。となると、本軍の方も、リンゲインの方も奇襲を受ける心配はないって訳か)
イルミナートの言葉に納得しつつも、何故かスノーホワイトの胸は不吉な予感にざわめいていた。
(なんだ、この違和感…?)
「こんな状況です。国境の最寄りにある新兵訓練基地 には10万の兵を待機させてあります」
(何か……俺達は大事な事を見逃していないか…?)
しかし考えてもその答えは解らなかった。
戦争なんて俺もスノーホワイトも産まれて初めてだ。もしかしたらそれで緊張しているのかもしれないと自分を納得させる。
「グデアグラマ領のベーレ川沿いに40万、マル・バーチンに10万、リンゲインに10万、……水の都がガラ空きになると言う事ですね」
「ああ、そこを私が率いる解放軍20万で王都 に乗り込んで、寵妃ホナミからルジェルジェノサメール城を奪還する」
バン!と地図を叩いてアミール王子が立ち上がった。
「王都 に着いてからの具体的な計画に変更はない。私達は明日ここを立つ。3日後、サンクルトゲッテンダルクの高原の洞窟にある秘密基地で、各地に散らばっていた主要メンバーと落ち合い王都へ向かう。王都に着いたら運河にある拠点U、N、D、I、N2、Eに潜伏し、作戦実行準備の最終確認。マナの祝祭日を待ち、寵妃ホナミを討つ」
ごくりと誰かの喉の鳴る音がした。
(そうか、マナの祝祭日って7日後なんだ…)
カレンダーを確認して身が引き締まる思いとなる。――…俺達の最終リミットはあと10日。もう時間がないのだ。
俺達は10日以内にアキを救い出す事が出来るのだろうか?
そしてたったの10日でリンゲインを守り切る事が出来るのだろうか?
(って、俺がいなくなったらスノーホワイトちゃんも消えるんだろ?リンゲインはどうなるんだ?)
―――恐ろしい事に気付いてしまった。
一人青ざめ考え込んでいると、アミールが執事服の妖魔を振り返る。
「ところで……あー、あなたの事は何と呼べば良い?」
「鏡とお呼び下さい」
「では鏡。あなたの体は今どの程度回復している?」
「正直な所をおっしゃいますと、直接ホナミと相見えるのは難しい」
「ホナミの出す炎の狐ならば何とかなるのだろうか?」
「ええ、その程度ならば余裕です。露払いくらいならばいくらでもいたしましょう」
「ではあなたには囮になって欲しい。恐らく向こうは私達が手を組んだ事をまだ知らないだろう。王都へ着いたら鏡にはまず、主を取り戻しに来たと言って派手に暴れて貰いたいのだ。ある程度ならば城を破壊してくれても構わない。そして出来るだけ長い時間、ホナミと父上を引き離して欲しい。その隙に私達があなたの主を救出しよう」
「かしこまりました」
「ところでアキ殿が捕らえられている場所は判っているのですか?」
西の大陸の地図の上に、イルミナートがルジェルジェノサメール城の地図を広げる。
鏡は目を細めて地図を見ると、迷わずに地下の一点を指で指した。
「ここです、この地下牢です」
「しかしもう既に場所を移された可能性がありますね」
イルミナートの言葉に彼は家の窓ガラスを指差す。
瞬間、窓ガラスには薄暗い地下牢が映された。
「お義母様!!」
炎を纏う黒い鎖で縛られた継母の様子に思わず叫んで駆け寄ってしまう。――が。
(ふむ……)
男目線で継母を見るのは初めてだが、このクソババア……いや、お姉様、とても良い乳をしておりますね。ええ、非情に良い乳をしておりますね。
今まで俺 にして来た数々の事を帳消しにしても良い、むしろ今までのソレを一種のご褒美プレイと思ってヌキに使おうと思える、まことにけしからん躰をしていやがる。……だってさ、ほら。スノーホワイトちゃんみたいな美少女がリディアンネルみたいな露出度の高いS系のお姉様にいたぶられる構図って(勿論性的な意味で)萌えない?萌えるよな?
俺、元々この系統のいかにもって感じの性格が悪そうなお姉さんに強制射精させられたり、顔面騎乗強制クンニされるのが夢だったし…。
「場所はまだ移されていない。と言うか今後移される可能性も低いと思われます」
「それは何故ですか?」
後でイルミナートと鏡が淡々と話す中、俺は鎖で縛らているリディアンネルの超熟ボディーを視姦し、堪能していた。
アキには悪いがSM系のエロビを見てる気分です、はい。
窓ガラスの映像だけでは何を言っているのか判らないが、継母は目の前にいる誰かを挑発している様だった。
血の混じった唾をペッと吐いた彼女の頬が誰かの手により叩かれる。
次の瞬間、黒い鎖がリディアンネルの割れ目に喰い込み、豊かな乳房を根元から縛る様に戒めた。
「っ!?」
そのエロ過ぎる光景に、思わず俺は生唾をゴックンしながら窓ガラスに張り付いた。
(もう少しで乳首がポロンしそう!?鎖!!もう少し、もう少しだけ頑張って!!)
スノーホワイトちゃんが年頃になるまで世界一の美女だったと言う実績のある美魔女が鎖に縛られ拷問されているその光景は、非情に股間に訴える物があった。
「おおおおおおっ!?」
思わずポロンしかけた乳首に俺が歓声を上げると、執事服の妖魔はすぐに窓ガラスに映ったソレを消した。
舌打ちして姉の使い魔を睨みながら地図が広げているテーブルに戻ると、エルが何か言いたそうな顔で俺を見ていた。
「……そう言えば前から妙な違和感はあったんだよね、納得した」
「何が?」
そんな俺達の会話を他所に鏡達は話を続ける。
「妖狐はアキ様を『焚刑 の呪鎖』で戒めております。あの黒い呪鎖の術式は複雑で、一度発動させれば術者であろうともそう簡単に解除が出来るものではない」
「『焚刑 の呪鎖』……、あの女狐も相変わらず良い趣味をしておいでだ」
鏡の言葉にイルミナートは腕を組み、苦々しい顔付きになった。
イルミナートに輪をかけて苦々しい顔付きなった鏡は、彼の言葉に続く。
「ええ。ご存知の通り『焚刑 の呪鎖』とは魔女狩りの歴史の中で対魔女用に作られた呪術の一つです。魔女 様の眷属である私はその鎖に触れる事が出来ない。当然魔女である彼女もその鎖を自力で破る事は出来ない。なのでこちらで解除できる方がいらっしゃると助かるのですが…、」
青色吐息の鏡を見て、何故かとても悲しそうな目で俺を見つめていたエルヴァミトーレが挙手をした。
「鏡さん、多分僕解除できると思います!呪術の解除なら留学先で勉強してきましたから」
「本当ですか?」
「はい、状態異常の解除魔術の成績はいつもトップでした!」
「それは頼もしい!」
鏡の顔が輝くが、イルミナートが二人の間に入る。
「経験は?」
「は?」
「お前が解除系の術が得意である事は知っている。今私が聞いているのは、実際に坊やが『焚刑 の呪鎖』を解除した経験があるのかどうかです」
「ない……ですけど、でも、」
エルヴァミトーレの答えにイルミナートは大きな溜息を付いた。
「これはお遊びではない、100%出来なければ困るのです。坊やに解除実績がないのなら確実ではない。私が行きましょう」
「はあ!?確かに解除実績は0件だけど、教科書で何度も読みましたし、似た様な術式の解除なら解除実績だって…!!」
「もういい。イルミ、エル、二人で行け」
アミール王子がぴしゃりと言い放つと、鬼畜兄弟は田舎道を自転車で走っていた中学生が、牛蛙を車輪で踏み潰して内臓をブチまけてしまった時の様な顔になった。
「嘘!」
「アミー様、冗談でしょう?」
「私は本気だ。イルミはその呪鎖の解除実績があるんだろう?」
「え、ええ、そりゃあ…」
「良い機会じゃないか、この機に可愛い弟に直接指導してやれば良い」
「…………。」
「アキ殿を救出した後は、出来るだけ早くチームUに合流する様に」
「はあ、よりにもよって坊やのお守りですか…」
「最悪…」
王子様は鬼畜兄弟の不満を耳に入れる気は全くないらしい。
一人シリアスな雰囲気になり、何かを覚悟した様な瞳で顔を上げた。
「―――私はその間、父上を討つ」
いつになく真剣な王子様のその表情に、スノーホワイトの胸が締め付けられる。
「アミー様、おひとりで……ですか?」
「正確には一人じゃないよ、Uチームの少数精鋭部隊と行動する」
スノーホワイトを安心させる様に微笑んだアミール王子のその笑顔が、何故か不安を煽る。
「勝率は?」
こちらの不安に気付いたらしい彼は苦笑を浮かべて、スノーホワイトの頭の上に手を置いた。
「……本当に事を話しちゃうとね、私の持っている幽魔 と父上の持っている剣の相性もあるし、かなり厳しいんだ。父上の次は最高危険種が1匹残っているし」
「アミー様…」
「大丈夫だよ、安心して。必ず生きて帰ってリンゲインにあなたの事を迎えに行くから」
そのまま前髪をかき上げられて額にキスをされる。
小さく頷くと、彼はクスリと笑いながら今度はスノーホワイトの瞼にキスをした。
「不安?」
「少し…」
正直に答えるとそのまま抱きしめられて、王子様はいつもの様に額と額をこつんと合わせてスノーホワイトの瞳を覗きこんできた。
澄んだ蒼い瞳に至近距離で見つめられて、顔が熱くなる。
「不安にさせてしまってごめんね、でも私は絶対に死にはしないよ。だって死んでしまったらあなたを他の恋人達に取られてしまう、そんなの悔しいじゃないか」
「アミー様」
「私も不安で仕方ない。私がリンゲインに着いて行ってあげる事が出来れば良かったのに…。あなたの事を守る栄誉を他の男に受け渡す事しか出来ないなんて、悔しくて堪らないよ」
「アミー様ったら」
クスクス笑うと、鼻に鼻をこすりつけられて、くすぐったくて二人で笑った。
「隙あり」
と、油断していた所で唇を奪われる。
「も、もう!アミー様!?」
「嫌だった?」
「う。嫌じゃありませんけど…」
「じゃあもう一度してもいい?」
「っ!?」
―――その時、
「アミー様、あまり時間がないんですが」
ごほんと言うイルミナートのわざとらしい咳払いと、エルヴァミトーレの冷たい声にアミール王子は「ああ、そうだ」と他の恋人達を振り返る。
俺も一緒に後を振り返れば、部屋には険悪なムードが漂っていた。
エミリオ王子に至っては、胸の前で腕を組んで舌打ちをしながら、王子様らしからぬ様子でダンダンダンダン!と激しい貧乏ゆすりをしている。
まださっきの感触が残っている唇に触れながら、今のって恋人達のするやり取りみたいだな…と思った。
(って、俺とこいつ等って結局何なんだろう?)
する事はしてるし、俺も好意がない訳ではない。――…となるとこいつ等は、もしかしなくても俺の恋人達なのかもしれない。
(まあ、いっか…?)
ここは「白雪姫と7人の恋人」の疑似世界で、俺はヒロインスノーホワイトなのだ。
そろそろこいつらの事を俺 の恋人として認めてやっても良いのかもしれない。
「イルミ達は女王を救出した後、すぐに私と合流してくれよ」
「はいはい」
「かしこまりました」
「鏡、あなたは出来得る限りホナミにダメージを与えて欲しい」
「今の手負いの私では、確約できかねますが」
「まあ、それでもだ。出来るだけダメージを与えてくれ。その後はアキ殿を連れて逃げてくれて構わない。もし二人共余力があるのなら、そのまま手伝ってくれても構わない」
「それはアキ様の状態次第ですねぇ」
「ああ、それは重々承知している」
そこまで話すと、イルミナートから奪った教鞭らしき物で城の侵入経路をなぞりながらアミールは大きな溜息を付いた。
「しかし、やはりヒルなしで行くのは痛いなぁ…。いや、その分私の可愛い姫 が安全だと思えば良いのか」
「ヒルが強いのは知っていますが、そんなに強いんですか?」
「強いですよ、先の大戦でも一人で二千の兵を撃破しましたから」
「ひえぇ…」
なんだその人間兵器!
イルミナートの言葉に驚愕すると、アミール王子はいたって真面目な口ぶりで言う。
「スノーホワイト、だからヒルと合流したら出来るだけ奴の傍を離れないでね。今の私があなたに付けてあげられる一番の保険がアレなんだ」
「は、はい…」
そんな事聞いてしまったら、奴から離れる訳にはいかない。
(合流したら全力でヒルデベルトに全力でしがみ付いてよう…)
俺の胸中を読んだのか、それともアミール王子の言葉に不満を感じたのか、ルーカスとエミリオ王子が不満そうな顔で俺の左右に立つ。
「失礼しちゃうなー、実力で言えばオニーサンだってワンコ君にはそんなに負けてないと思うんだけどなぁ」
「この僕が一介の騎士に後れを取る訳がないだろう!」
「そうだね。二人共、私の可愛い姫君 の事をくれぐれも頼んだよ」
「フン、お前に頼まれずともこいつの事は僕が守ってやる。――スノーホワイト!」
「は、はい!?」
厳しい口調で名前を呼ばれ、怯えながらエミリオ王子を振り返る。
彼の方を振り返る、エミリオ王子は俺から目を反らし、フンと鼻を鳴らしながら髪をかき上げた。
「お、お前は、僕の馬に乗ると良い」
「は、はい…?」
「だから!お前は僕の後に乗せてやると言っているんだ!!」
「は、はあ…?」
真っ赤な顔で叫ぶ王子様は、あー……やはりツンデレと言う奴なのだろうか。
「まあ、積荷や体重換算から言ってそれが妥当ですね」
「ルーカス、どういう意味だ?」
弟王子とその騎士がくだらない口論を展開させる中、イルミナートに手招きされた俺はテーブルに戻る。
「次はあなた達の方ですね。私が何か言うでもなく、スノーホワイト、あなたには策があるようですが」
「はい」
「聞きましょう」
「リゲルブルクから10万の援軍を出していただけるのなら、城まで逃げるふりをして退却をするのが手だと思うのです」
「そして向こうの軍勢が追って来たら、挟み撃ち、と言う訳ですね」
「はい。イルミ様、何か気を付ける事はありますか?」
「……あなたにはもう私が教える事もない様な気がしますが」
チートなスノーホワイトちゃんの頭脳はこの男も認めている様だった。
この小屋で生活をする上で、スノーホワイトはイルミナートと過ごすと知力が上がる様に出来ている。
彼女が彼と読んだ本の中には、軍事関係の兵法書も数多くあった。
「それでも私はイルミ様のお言葉が欲しいわ」
「そうですか」
イルミナートは少し考えた後、最近スノーホワイトにだけ向ける柔らかな笑みを浮かべた。
「兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを賭ざるなり。夫れ兵久しくて国に利するは未だ之有らざるなり」
今のイルミナートの言葉を意訳すると「作戦が少しまずってもさっさと決着させれば勝てるよ、長引かせるとろくな事がない」と言う意味だ。
まさか異世界で孫子の言葉を聞く事になるとは思わなかったが、この世界にも孫氏的な過去の偉人はおり、彼等は現世の偉人達と似たような言葉を残している。彼等のそのありがたい言葉は兵法書にしかと記されて語り継がれている。
「教皇国カルヴァリオは国土は広大で食料自給率は高い国ですが、リンゲイン以上に厳寒期が長く厳しい地方故に食料貯蓄率はさほど高くはない。あの国の冬は西の大陸で一番長い。収穫期に大量に収穫した麦も、長い冬でほぼ尽きる地方です。それ故に遠征で疲弊している向こうの兵士の士気は既に落ちているはずです。向こうは短期決戦で終わらせようとするでしょう」
「はい」
「リンゲインの地の利を生かしなさい。そして天候を読みなさい。…そして、駄目だと思ったらすぐに逃げなさい。幸い、リンゲインは西に行けばすぐに闇の森 がある」
「ここ、ですか?」
「ええ。魔の物と遭遇する確率はありますが、リンゲインが落ちた場合森に入った方が生存率は高くなる」
(なるほど…、確かにその手があったか)
リンゲイン独立共和国の歴史から考えて、最悪のケースは海に逃げて他国に助けを求めるのが妥当だと思っていたが、言われてみればそれが最良かもしれない。
向こうもわざわざ魔物が出現する森に、か弱いお姫様が一人で逃げるとは考えないだろう。
もしリンゲインが落ちた時、俺 やリンゲインの民が森に逃げれば、教皇国の兵士達も追うのを躊躇するはずあだ。――それほどまでに、この世界の人間は森と言う物を恐れている。
(流石イルミだな…)
流石はリゲルブルク歴代最年少の宰相殿なだけはある。
羨望の中に、男としての俺の軽い嫉妬が芽生えた。しかしそれはすぐに胸の中から掻き消える。
―――さっきの「駄目だと思ったらすぐに逃げなさい」と言うイルミナートのそっけない一言に、彼の気持ちが全てつまっていた。
頬が熱かった。
「ルーカス、念の為、森での野営の方法をスノーホワイトに伝授する様に」
「言われなくても今夜するつもりでしたよ」
「フン、それなら僕だって経験者だからな!スノーホワイト、この僕が直々に教えてやってもいいぞ!!」
「あ、ありがとうございます」
「そうだね、最悪の事態のケースは常に考えて置いた方が良い。スノーホワイト、携帯食料は大目に持って行ってね。はい」
「エル、ありがとう」
キッチンの奥からエルヴァミトーレが大きな革袋を持って来た。
「あ!あとね、君の為にクッキー焼いたんだ!袋の奥に入ってるからお腹が空いたら食べてね?その時は僕の事も思い出して欲しいな」
「エル、……嬉しいわ、本当にありがとう」
袋を受け取った手をそのまま握り締められた。
そのまましばし無言で見つめ合っていると、イルミナートが弟の頭をひょいと横にどかす。
「スノーホワイト。これは最悪のケースの話になりますがヒルデベルトと合流出来ず、エミリオ様達ともはぐれてしまった場合、もしくはあなたを守る者が皆全滅してしまった場合、森に入ったら真っ直ぐに西へ――…リゲルブルクを目指しなさい。リゲルブルクに入ったら解放軍 のアジトがあるサンクルトゲッテンダルクへ向かうのです。アジトの周辺には結界が貼ってあるのでアジトを自力で見付けるのは難しいと思いますが、レジスタンスのメンバーが常に周囲を巡回している。高原をうろついていればきっと巡回兵がすぐにあなたを見付けるでしょう。彼等に発見されたらすぐに保護を求めなさい。あなたが名を名乗れば手厚く保護をする様に伝えておきます」
「イルミ様…、」
「スノーホワイト、あなたは聡明な女性だ。私がいなくても一人でできますね?」
「はい」
彼の信頼に応える様に満面の笑顔で頷くと、男は満足そうに微笑んだ。
肩に手を置かれ、目を瞑り、男の唇を受け入れながら最悪のケースを想像する。
―――多分、俺はサンクルトゲッテンダルクに一人で逃げる事はしないだろう。
エルヴァミトーレが「ずるい…」と後でぼやく声に、我に返って瞳を開く。
イルミナートとのキスが終わると、エミリオ王子がスノーホワイトの体をぐいっと引っ張った。
「ったく!」
ムスーッとした顔の弟王子にゴシゴシと痛いくらい乱暴に手の袖で唇を拭かれ、思わず声を上げる。
「い、いたいれす、えみりおはま!!」
「うるさい!!ったく、時間がないのに何をやっているんだ、そろそろ出発するぞ!!」
「エミリオ様、待ってください!僕、まだスノーホワイトにキスして貰ってないんですけど…!?」
「駄目だ!!」
「なんで!?」
「もう僕の我慢が限界だからだ!!」
エミリオ王子とエルヴァミトーレがギャーギャー騒いでいる中、荷造りをしている俺の体を後からギュッと抱きしめるのはアミール王子だ。
「シュガー、やっぱり離れたくないよ。……やはり幽魔に閉じ込め」
「アミー様」
「冗談だよ、冗談!」
ギロリと睨むと王子はパタパタと手を振るが、コイツは本当にやりかねない。と言うか前科まである。
「エミリオ、ルーカス。くれぐれも私の姫 の事を頼んだよ」
「フン、お前に言われずとも」
「まあまあ、俺も着いて行きますし」
「私も、です」
荷造りを手伝ってくれていたメルヒにアミール王子がストップをかける。
「ああ、待って欲しい。メルヒ殿には”無慈悲な銃火 ”の腕を見込んで頼みたい事がある」
「……知っていたのですか」
(”無慈悲な銃火 ”?)
初めて聞く物騒な二つ名に驚きを隠せない。自分の横で荷物に水袋をつめていた従僕を見上げると、彼は俺の方をチラリと見て小さく嘆息する。
「あなたの事は調べさせてもらったよ。まさかリンゲインで猟師をしているとは思わなかったが」
「…………。」
「この戦乱の最中にうちの弟と腕利きの騎士を2名、そして11万の兵リンゲインに貸すんだ。その対価と思って私の下で働いては貰えないだろうか?」
「……良いでしょう、ただ依頼の話ならば姫様の前ではやめていただきたい」
「メルヒ?」
「姫様、ご武運を」
メルヒは本当にその話をスノーホワイトに聞かせたくはないのだろう。
俺達は急かす様に外に追い出されて、別れの挨拶も早々に出発する事になった。
「スノーホワイト、忘れ物はない?大丈夫? ああ、僕もそっちに着いて行きたいよ…」
「スノーホワイト、私の元にちゃんと帰って来るんですよ、分かりましたか? ルーカス、この美しい雪肌に傷の一つでも作らせてみろ。帰ったら速攻降格、減俸だ。心しておけ」
「へいへい…」
「あああああ、やっぱり心配だ!! やはり幽魔に閉じ込めて私と一緒にリゲルブルクに連」
「アミー様…?」
「じょ、冗談だよシュガーそんな顔をしないでおくれ! いいかいエミリオ、ルーカス、くれぐれも私のシュガーを…、」
「いい加減にしろ!!アミール、しつこいぞ!!」
「じゃそろそろ行きましょっか?」
「え、ええ…」
スノーホワイト達を見守った後、アミール王子は一冊のファイルをメルヒに差し出した。
「メルヒ殿――…いや、”無慈悲な銃火 ”殿には、どざくさに紛れこの「リストに載っている人物を暗殺して欲しい」
「これは」
メルヒが渡されたリストにはリゲルブルクの大臣を始め、重鎮と言っても過言ではない人物が多々載っていた。
「私の政敵リストだ。ああ、後のページに行く程小物になっている。優先順位はこのリストに書いてある通り」
「多い、ですね…」
「私の政敵もだが、フロリアナとホナミが来てから城 で幅を利かせ、税金を横流しし私腹を溜め込んでいた小物から、権力を振りかざし民を虐げていた役人達もピックアップしてあるので、それなりの数になっている。私はこの機に城内 の大掃除をしたいと思っている」
「……300人、ですか」
「この騒動に紛れて始末して貰いたい」
「…………。これがリゲルブルクの為、そしてゆくゆくはリンゲインと姫様の為になるのですね」
「約束する」
「……11万の軍と、姫様の輝かしい未来との引き換えに、か。そう考えれば割の良い仕事だな」
「だろう?」
アミール王子と大陸でも有数のスナイパー”無慈悲な銃火 ”は、ガッシリと握手を交わした。
―――その頃、ボマーラ草原では。
焼け爛れた様に真っ赤な夕焼け空の下、一人の騎士が皇教国の3万の軍勢の前に対峙していた。
「お前は誰だ?」
「……ヒルデベルト」
紅に金を混ぜた強烈な色彩が草原だけでなく、彼の銀の甲冑と蘇芳 色の毛髪と瞳までをも紅く染める。
「ここから先は、一歩も通さない」
そして、ミュルクヴィズの悪夢と呼ばれた男が剣を抜いた。
簡単なリンゲインと周辺諸国の地図を拍手に載せました。
文字だけでは解り難いと思うので気になる方は参考にどうぞ。汚いですが。
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