恋人6、Dopey
(ここは……)
中は一条の光もない闇の世界だと思っていたが、意外な事に視界は開けていた。
ただ、やはりと言うか薄暗い。
私は森の中に居た。
ただ、さっきまで私達が居たミュルクヴィズの森と違うのは分かる。
樹齢が数千、――いや一万年はいっているのかもしれない。そんな大きな木々の合間を頭から落ちて行く。
重力は元の世界とは違う様で、落下して行く速度は穏やかだった。
酸素があるので水の中ではない気がするのだが、私の目の前を魚が泳いで行く。その横を鳥の群れが飛び去ってくのだが、その後に水の泡が発生していくのでやはり水の中なのだろうか。
耳を澄ませると、そう遠くない場所からフクロウの鳴きたてる音がする。
”リリスの夜”の中はとても不思議な世界だった。
何となく時間が気になって胸ポケットにしまっている懐中時計を取り出してみれば、時計の針は逆様に回っている。
恐らくスノーホワイト達は下にいるのだろう。
急いで下に降りようとしても降りられそうにないので、重力に身を任せて、この不思議な世界を楽しんでいると腰元から低い男の声がした。
『とんでもない所にやってきましたね、アミール様』
「幽魔。お前、話せたのか?」
声の主は国宝の神剣、”幽魔の牢獄”だった。
柄の部分にはめ込まれている宝玉が青白く光っている。
『ええ、私ならいつもあなたに話しかけていましたよ』
「ああ、それはなんとなく感じていた。いつも私の力となってくれてありがとう。――…それにしても、何故私はお前の声が聞こえる様になったのか」
『ここは精神世界に近い。だからここでは私の声も聞こえるのでしょう』
「なるほどな」
『しかしアミール様、今回ばかりは私の力ではどうにも出来ませんよ。私は数万年生きておりますが、”リリスの夜”に入って無事帰って来た者の話を聞かない』
「あはは、それは困ったねぇ」
いつもの調子で笑うと、意外にも人間くさい剣は「まったく…」と言って、溜息らしきものを吐く。
「でもお前なら何かここから出るヒントの様な物を知っているのではないか?」
『そりゃ伊達に長生きしていませんからね』
「うんうん、やっぱり私の幽魔は頼りになるなぁ」
『まったく。――…”リリスの夜”とは人間達が後付けして名付けたもので、ここは正確に言えば”夜の魔女リリス”の作った亜空間です』
「亜空間とは妖魔や魔族が作り出すあれかい?」
上級妖魔や魔族戦になると、彼等は自分が絶対無敵の自分の亜空間を作り出す事がある。
そこから脱出するにはその亜空間を作った者を見つけ出して始末する他ない。
『ええ、しかしリリスは”始まりの人”の一人です。ここは魔性ごときが作り出す亜空間とは比較にはならない世界です。広さだけで言うならば、西の大陸よりは大きいでしょう』
「驚いた、随分と広いな」
私が今まで戦った中で一番強力な魔族の作り出した亜空間ですら、うちの城郭都市一つ分程度の広さだった。
『ええ。そしてここは今までアミール様が見て来た亜空間は違う。良くも悪くもリリスには我等に明確な敵意はない。ここは今までアミール様が相まみえた魔族達が作り出した様な、我等をいたぶって殺すのを目的として作り出された亜空間ではない。……だからこそ、偶然この中に入って来た人間にリリスが興味関心を示すとは思えないのです』
「つまり、リリスもこの世界も私達に攻撃をしかけてくる事はない。その代わり私がリリスを見つけだしてここから出してくれと頼む他ないと言う事か」
『そうなるのですが……それもまた難しいでしょう、リリスは神話の通り男嫌いですから』
「それは困ったねぇ」
八方塞がりな状況に、私は落下しながら腕を組んで唸ると幽魔はまた嘆息した。
『その顔、実は全く困ってないでしょう』
「うん、実際どうにかなるんじゃないかなって思ってる。……それよりもお前、目もあるのか?私の顔が見えるのかい?」
『そんなの今はどうでも良いでしょうよ……』
「良くないよ。もしお前のどこかに目があるのなら、私と姫 の愛の営みを覗かれない様に、今度からは布でも被せておかないといけない」
『……こちらからすると本当に今更の話ですね』
(布をかぶせる事で見られる事は避けられそうだが、声はどうするべきなのか。違う部屋に置いておくと、何かあった時に困るし。)
真剣にそんな事を考えながら落下して行く私の目の前をまた1匹の魚が通り過ぎて行く。
良く良く見てみると、魚だと思ったそれは蛇の様に細長い生き物で、背中にはトンボの様な羽が生えていた。
現実世界では見た事のない生き物だ。
上へ泳いでいく様にして昇っていく、その謎の生物の姿の後姿を見送る。
この世界にも月はある様で、上には蒼の満月があった。
時間さえ許すのならば、いつかじっくりと探検してみたい世界だ。
『――やはり、妙だ…』
「何がだ?」
幽魔の呟きに、私は視線を自分の剣に戻す。
『……やはり、私が最後に遭遇した時より、リリスの怨念が薄まっている様な気がするのです』
「ふむ。時が彼女の心を癒したと言う事なのかな」
『さあ……私には分かりかねますが。この闇は恐らくあと数千年……いえ、下手をすれば数百年で消えるでしょう』
ただゆっくりと落ちて行くのも暇なので、私は幽魔に世間話ついでに”リリスの夜”ではなく、始まりの人であるリリスについての話を聞いてみた。
話を聞いてみると、私の知っている人の世に代々伝わっている神話と、幽魔の知っているリリスの話はそうかけ離れてはいない様だ。
(リリスの唯一神達への怒りが収まりつつあると言う事か)
これから数千年後か数百年後になるかは分からないが、”リリスの夜”が人の世から消えると言うのならば、それは私達人間からすれば朗報となる。
確実に人間界の魔獣の数は減る。
魔獣を作り出しているのは”リリスの夜”だけではないので、魔獣達全てが人間界から消滅する事はないが、それでも魔獣の絶対数は減るだろう。
妖魔や魔族程の脅威ではないとは言え、それでも戦闘訓練を受けた事のない一般人からすれば魔獣は脅威だ。
「しかし”リリスの夜”が消滅するまでずっとここにいる訳にもいかないしねぇ。……なんとか夜の魔女を見つけ出して、ここから出して貰わないと」
そんな話をしていると、スノーホワイト達の声が聞こえて来た。
地面ももう近いらしい。
「わがいおなごー!!わがいおなごも上から降って来たどー!!」
「此処で会ったが百年目!生でハメさせてもらうどー!!」
暗闇の中で目を凝らすと、苔の生い茂る倒木の上でスノーホワイトはナマハメ達に囲まれていた。
スノーホワイトはナマハメ達に怯える事もなく、たおやかな笑みを浮かべながら頷く。
「どうぞ」
「え、ええええええ!?嘘じゃろう!?いいのけ!?いいのけ!?」
「わ、わがいおなご……おめさ、何を言っどる?」
「オラだちに触られるのなんて嫌じゃろう!?」
私以上に動揺するナマハメ達に、彼女は自分の手の平をマジマジと見つめながら話し出した。
「お前達の気持ちは良く分かるんだ。俺は今、なんでかこんな美少女になってるけど、本来ならお前らに限りなく近い男だったし」
「わ、わがいおなご……?」
「ただレイプだけは良くねぇよ、絶対にしちゃ駄目だ。痴漢も駄目。覗きも盗撮も下着泥棒 もセクハラも駄目な。――…本当に当たり前の事だけど女は物じゃないんだよ。AVとか見てるとついつい忘れちゃいそうになるんだけど、女の人って俺達の大好きなおっぱいやお尻がついてる人でも男に快感を与えてくれる道具でもないんだ。心もあるし、感情もあるし、いきなり知らない男に触られれば怖いんだよな、マジ。男と女じゃ力の差もあるし。……こればっかしはホント、実際女になってみないと解んねぇ感覚なんだけどさ。女の体で生活する様になってつくづくそう思うようになったよ」
ナマハメ達は呼吸をするのも忘れた様子で彼女の話に耳を傾けている。
「女体って結構デリケートだし、優しく扱わないと駄目だよ。もう他の女の子に悪さしないって約束できるんなら俺の事好きにしていいよ」
その神々しい光に、聖母が地上に降臨したのかと思ったら私の愛しの姫 だった。―――…って、待て。ちょっと待ってくれ。
今まで他の6人の恋人達と彼女の肉体を共有してきた私だったが、ここは流石にストップをかけざるを得ない。
しかし私が声を上げる前に、ナマハメの一人が頭にかぶった鬼の面を取って叫ぶ。
「本当にいいのが!?見でみろ!!オラハゲとるぞ!?」
彼が鬼の面を外すと、面の上に髪の毛の様にして飾りつけられていた何かの動物の毛も一緒に取れる。
現れた光り輝く頭皮に、スノーホワイトは平然とした顔のまま頷く。
「うん、いいよ」
「い、いいのが!?ワシなんて、包茎だぞ!!」
「そんなの気にすんなって、俺も火星人だったし」
「えっ、ええええええええええ!?」
「ただフェラして欲しいんだったら、ちゃんと皮剥いて中もしっかり洗うんだぞ」
己の一物を取り出しスノーホワイトに見せつけたナマハメは、彼女の答えに茹蛸の様に赤くなって卒倒した。
「いいのが!ワシなんてこんな酷い顔しとるぞ!?猪みたいな顔だって言われてて…」
「俺猪好きだよ、鍋にすると美味いし」
「いいのが!オレなんぞこんな毛深いぞ!?」
「男らしくてイイ感じじゃん」
「いいのが!ワシなんて水虫だし息も臭いど!!イボ痔だし!!」
ナマハメ達は次々と己の体を曝け出して行くが、スノーホワイトは何が出て来ても顔色一つ変えなかった。
流石に最後の一人には水虫は治療しろ、歯磨きはしてくれと言っていたが。
「ナマでハメてみたいんだろ?ハメさせてやるから早く来いよ」
その言葉にナマハメ達は互いに顔を見合わせた。
彼等の目元は心なしか潤んでいる。
「まさか、この世におめさみてぇなおなごがいるとは…」
最初に面を外した禿げている男――リーダー格らしきナマハメが、スノーホワイトの手を取り、固く握った。
「ありがとう…オラだち、おめさに救われただ…」
「ありがとう、わがいおなご…」
「ありがとう、べっぴんなおなご…」
「な、ナマハメ!?え!!なんで!?」
ナマハメ達は涙を流しながら光の粒となって消えて行く。
スノーホワイトは驚きを隠せない様子で、唖然としながら彼等を見送った。
(驚いた…)
スノーホワイトはその優しい心でナマハメ達の魂を救ったのだ。
「なんだよ、……折角ヤらせてやるって言ってたのに」
地上に着地した私は、後頭をガシガシ掻いて、そのまま倒木の上に胡坐をかいて座る男らしい後ろ姿をしばし無言で見つめる。
(凄い。こんなの見た事も聞いた事もない…)
彼女はナマハメと遭遇した時の対処法を知っていたのだろうか?――いや、違う。今のはそうではなかった。
一般的に若い婦女子が森でナマハメに会ったら、彼等の嫌いな尻軽女のフリをするのが良いと言われている。好色な女のフリをして自らナマハメに迫ると、純潔の乙女をこよなく愛するナマハメ達のやる気は失せて、森の奥へ帰って行くそうだ。
(光の中で見えない物が、闇の中では案外良く見えるものなのかもしれないな)
私は虫も殺せぬ様な優しい女性を沢山知っている。
私には立場上、第二婚約者、第三婚約者と沢山の婚約者候補がいるがどの婚約者達もとても心優しい女性だ。
しかしその心優しい彼女達にも、今のスノーホワイトの様にナマハメ達の魂を救う事が出来ただろうか?――…考えるまでもなく、どの女性も無理だっただろうと言う結論に至る。恐らく誰にも彼等を救う事は出来なかっだろう。
婚約者候補のうち何人かは、ナマハメ達があのお世辞にも恵まれているとは言えない容姿を曝け出した時点で口汚く罵ったはずだ。
彼女達の優しさは酷く刹那的で、かつ限定的なものだ。
衆目の目がある場所ならば、自分に利害のない人間にも優しく出来る者は案外多い。
しかし誰も見ていない場所で、自分に利のない相手に思いやりの心を持って接する事の出来る人間は実はそんなに多くはない。――そして今回の様に、自分に仇名そうとしている相手にまで優しく出来る人間となると本当に限られて来る。
―――暗い闇の世界だからこそ、普段は彼女の美しさで目が眩んで見えない物が見えた様な気がした。
(スノーホワイト、あなたって言う人は……、)
だが私は彼女ほど人間が出来ていない。
私と言う者がありながら、ナマハメ達に自らの体を捧げようとした彼女に少し腹を立てている。
その醜い嫉妬を笑顔の仮面で隠して、私は倒木の影から姿を現した。
「スノーホワイト、流石だね。やはりあなたはただ者ではない」
「あ、アミーさま!何故ここに!?」
慌ててスカートを直し、女性らしい座り方と口調に戻る彼女に思わず苦笑してしまった。
(別に私はそのままでもいいんだけどな)
しかしこれはこれで悪くない。
「何故って。お姫様を助け出すのは王子の役目だろう?――…とりあえず、ここを出ようか」
「え、ええ」
それから私達は時の感覚のない、”リリスの夜”の中を彷徨い歩いた。
会話はなかった。
何となく私もおしゃべりと言う気分ではなかったし、それは彼女も同じ様であった。
しばらく歩いた後、ちらりと横目でスノーホワイトの顔を盗み見してみれば、彼女は神妙な顔をして俯いていた。
「何を考えているの?」
「さっきのナマハメさん達、……ちゃんと天国に行けたのかしらって」
「あなたは本当に優しい女性だね。……でも、流石の私もそろそろ嫉妬しちゃうなぁ」
「えっ?」
「こう見えても私は結構嫉妬深いんだ」
唇をへの字に結んで少しだけ不貞腐れた様な顔を作って彼女を見やった後、繋いだ手を握る力を少しだけ強めてみる。
「知ってます。――…アミー様の嫉妬深さなら、恐らく世界で一番私が存じ上げていますわ」
「今のは私への愛の告白だと受け取っていいのかな」
何故か私の受け答えに彼女が半眼になる。
「違います、夜の話です。……次の夜はもうちょっと手加減してくださいね…、毎週朝まであんな事をされたら私の体が持ちません」
私は自分のその手の感情を前面に押し出しているつもりはないのだが、そんなに彼女と伴に過ごす夜は、嫉妬心がダダ漏れになってしまっているのだろうか?
「ああ、そう言えばもうじき私の夜だねぇ、楽しみだ」
「……はぁ」
憂鬱そうに溜息を付く彼女の頬はほんのり赤い。
もしかしたら私と愛し合っている時の事を思い出しているのかもしれないと思ったら、喜ばしい気持ちと共に下肢に熱が集った。
(ここなら誰も見てないし、夜を待たずとも……。いや、しかし、今はそんな状況じゃないし)
流石にここで押し倒したら彼女に怒られてしまいそうだ。
母を幼い頃に亡くしたせいだろうか?子供の様な馬鹿な事をしたり、戯れを言ってスノーホワイトを困らせて、彼女に怒られるのが私は好きなのだと言う事に最近気付いた。
普段彼女に感じている甘酸っぱい恋心とはまた違う、嬉しいのに泣きたくなるような、狂おしい気持ちで胸がいっぱいになる。その際の小言を言う彼女の顔も好きなのだが、今彼女を押し倒す事によって彼女の中の私の株が下がる事を考えると悩ましい問題だ。
悶々としたものを抱えながら歩いていた時の事だった。
「アミーさま!見て、女の子がいるわ」
スノーホワイトの言葉に、彼女の目線の先に私も視線を向ける。
そこに居たのは年の頃15、6の白銀 の髪に蒼い瞳の美しい少女だった。――ただ、その美しさは人の子であるスノーホワイトの健全な美しさとは種類の違う物だ。
血の通わない、生気の感じられない少女の魔性特有の美しさに私は思わず腰の幽魔に手を伸ばす。
『アミー様、リリスです!!』
(やはりか……!)
―――不幸中の幸いと見るべきか、それとも…。
「あなたもここに迷い込んだの?一人で寂しくない?私達と一緒に行かない?」
「あなた達は……?」
「スノーホワイト、下がるんだ!!」
焦りを隠さない幽魔の声に、私は呑気な事を言いながら少女へ近付いていくスノーホワイトの腕を掴んで自分の後に下がらせた。
スノーホワイトは当惑した様な表情で私を見上げる。
「アミー様……?」
「この空間はお前の作り出したものだな?」
警戒の色を隠さない私を無感動な瞳で一瞥した後、銀色の髪の少女はゆらりと立ち上がった。
「あたしはリリス、夜の魔女と呼ばれる事もあるわ」
「えっ?」
「あなたのお名前は?」
不思議な事に、――…いや、そんなに不思議な事でもないのか。リリスには私達への敵意はなかった。
そればかりかスノーホワイトを見つめる蒼い瞳が、玩具を見つけた子供の様に輝いている。
「私はスノーホワイト、こちらはアミール様よ」
「素敵。可愛らしいお名前ね、可愛らしいあなたにぴったりだわ」
「あ、ありがとう」
「あたし、ずっと女の子のお友達が欲しかったの。――ねえ、スノーホワイト、あたしのお友達になってくださらない?ここでお話ししましょうよ」
リリスがスノーホワイトの手を握った瞬間、音もなく世界が変わる。
私達の目の前に、突如白いテーブルクロスが敷かれたテーブルが現れた。
テーブルの上には可愛らしい紅茶ポットやティーセット、クッキーやケーキが並んでいる。
森の中には代わりないが、そこは先程まで居た薄暗い森ではなく、明るい光の射し込む小さなガーデンパーティー会場に変化していた。
何とはなしに木苺の木に囲まれた秘密のガーデンの上を見上げると、上には巨大な茸の傘がある。
今まであった気が遠くなる程背丈の高い木々は、巨大な茸へと変わったらしい。
(やはり、ここは彼女の亜空間のようだな…)
それにしても今まで戦ってきた魔族や妖魔の作り出した亜空間と違って、随分とメルヘンチックな空間だ。
この手の物は空間を作り出した者の個性や趣味が出るらしいが、リリスは少女趣味が強いらしい。
「うわあ、可愛い!」
「でしょでしょ?あのね、このトランプもチョコレートなのよ、一緒に食べましょうよ」
手を取り合いキャッキャと笑い合う少女達のその様子は非情に微笑ましいのだが、先程から私はリリスに完全に無視されている。
やれやれと肩を竦めて幽魔を見ると、彼も「ええ…」と小さく頷いた。
どうやら男の私はお呼びではないらしい。
先程から冷たく刺すようなオーラがリリスから私に発されている。
「――――……でも、そっちの男はいらない」
リリスのその言葉と共に、テーブルのフォークやナイフが宙に浮き、鋭い刃の部分を私に向けて冷たく光る。
無言で抜刀する私の前に、席に着こうとしていたスノーホワイトが駆け付けた。
「リリスちゃん!アミー様にそんな事をされたら困るわ!」
「何故?男なんてろくなものじゃないでしょう」
「多分、ここにいる彼はリリスちゃんの思っている様な男の人じゃないと思うの」
「なんでそう言い切れるの?」
「それはね、私があなたよりも彼の事を良く知っているからよ」
人差し指を立ててにっこりと微笑むスノーホワイトに、虚を突かれる。
(――それは、つまり……、)
私は発作的に彼女の事を後から抱きしめてしまった。
「ちょっ、アミー様っ!?」
「今のは可愛い事を言って私を喜ばせたあなたが悪い」
「も、駄目です!人前でやめてください!」
「これでも私は自分を抑えているんだけど。本当なら今、私はあなたに沢山キスをしてあげたい気分なんだ。でも人前でそういう事をすると姫 は嫌がるでしょう?」
「当たり前です!!」
「だからあなたは、しばらく私にこうやって抱き締められていなければいけないよ」
「意味が分かりません!!」
私達のやり取りをリリスは興味深そうな目で見守っていたが、パンと手を叩いた。
「ふーん、……じゃあその”彼”とやらの事を詳しく聞かせて?あたしとお茶会しましょうよ。スノーホワイトがあたしに有意義な時間を与えてくれたら、ここからあなた達を出してあげる」
私はその後、お茶会をしている彼女達の遥か頭上にある、巨大な赤い茸の傘の上から吊るされた鳥籠の中に閉じ込められた。
内側から一応鍵を見てみるが、魔術の気配がする。幽魔を使えば鍵を壊せない事もないだろうが、私はしばらくここで待つ事にした。
『どうしますか、アミール様』
「私は彼女を信じるよ」
スノーホワイト達の声はここまで届かないが、下を覗いてみると和やかなムードに見える。
欠伸を噛み殺してうたた寝する事しばし。私はすぐにその籠の中から解放された。
―――それから私は今夜、二度目の奇跡を目の当たりにする。
「いいわ、約束通りあなた達をここから出してあげる」
リリスの体が宙に浮かぶと、彼女の少女趣味の水色のエプロンドレスもふわりと揺れる。
彼女が広げた腕の中に、闇が産まれた。
闇の中には光があった。
彼女の人ならざる者の色の髪が、彼女の産みだした闇の中の星屑の光を吸って光り輝く。
「夜の魔女リリスの名においてあなた達二人に祝福を与えましょう。――…夜の安らぎ、フクロウの子守歌、夜鳴鶯の羽衣。灼熱の太陽に焼かれても、月の光の癒しがある事を。星の歌。静寧の世。戦火の炎、人々の心を鎮める、静けさを」
(嘘だろう……?)
「スノーホワイト、あなたとのおしゃべりとても楽しかったわ」
―――どういうワケか彼女を懐柔したスノーホワイトによって、私達は”始まりの人リリス”の祝福を受けた。
リリスの闇で世界が満ちる。
「また会いましょう、スノーホワイト。……アミール王子もね」
リリスの悪戯っぽいその声と共に、私達の体は元の世界に戻っていた。
****
「帰って来たみたいですね」
「ああ」
戻って来た場所は彼女が落ちた崖の上だった。
白んで来た空を見上げる。
今、夜が明けようとしている所だった。
「そろそろお家に帰りましょうか、アミー様」
朝焼けが眩しくて、いや、それ以上にこちらを振り返る彼女が眩しくて、私は目を細めた。
スノーホワイトは自分がどれだけ凄い事を仕出かしたのか理解しているのだろうか?
言霊と言う呪術を使う妖魔が居るが、その元祖となったのは始まりの人であるリリスであると言われている。――そのリリスに、スノーホワイトはあろう事か言霊を使わせたのだ。
しかも呪いではなく、祝福と言った最高の形で。
「リリスとは何を話していたんだい?」
「秘密です」
「何故?」
「女の子同士の秘密のお話ですから」
「私がお願いと言っても教えてはくれないの?」
うふふと笑って誤魔化すスノーホワイトは、やはり私の目に眩し過ぎる。
「私は羽の生えていない天使を産まれて初めて見たよ」
「え…?」
「スノーホワイト、君の事だ」
本心をそのまま告げると、彼女は当惑した様な表情になった。
「それとも君は魔法使いなのかな? 一体どんな魔法を使って、私をこんなに惹きつけるの?」
無事”リリスの夜”から解放され、緊張の糸が解けたのだろう。
ナマハメ、リリスと嫉妬させられ続けて、限界だった。――…彼女に触れたくて堪らない。
「悪い魔法使いにはお仕置きが必要だね。いけない呪文を唱えられない様に、私が君の唇をふさいであげよう」
そのまま抱き寄せて唇を塞ぐと、彼女は静かに瞳を伏せた。
「君は天使ではなく、私を惑わす為に天上から降りて来た墜天使なのかもしれないと最近思うのだよ。嵐が来れば簡単に折れてしまう、そんな可憐な花だとばかり思っていたが、それは私の思い違いだった。今宵の月をも惑わす妖美な常夜の精の様に危険な香りを今の君は秘めている。――…ああ、スノーホワイト、私の美しい人。どうかこれ以上私を惑わさないで」
「アミー様」
―――その時、
「……何?私はもう一度あなたにキスをしたいのだけど、」
私の胸を押しのけたスノーホワイトは、半眼で向こうを睨んでいる。
彼女の視線を辿ると、そこはうちの家庭菜園だった。
「……ヒル?」
家庭菜園の野菜を食い荒らしている銀色の狼は――…ヒルデベルトだ。
(――――って、何故彼女があの狼の正体を知っている……?)
今彼女の口から「ヒル」と聞こえた様な気がしたが、私の聞き間違いだろうか?
銀色の狼を睨んでいる彼女の横顔を唖然と見ていると、私達の姿を見つけたらしいヒルデベルトは、風の様な速さでこちらに駆けつけて来た。
狼が大きく跳躍した瞬間、ヒルデベルトはいつもの人型に戻る。
「あはっ!」
ヒルデベルトが膝を抱えたまま宙で一回転して地面に着陸すると、そこはもう私達の目の前だった。
毎度ながら人間離れをした動きをする。
「おかえり、スノーホワイト!アミー様!」
彼はそのまま突進する様にスノーホワイトに抱き着いた。
「心配したよスノーホワイト!!夜になっても帰って来ないんだもん!!一体どこにいたの!?何があったの!?怪我はない!?ねえ、大丈夫!?」
そのまま抱きしめられると頬擦りされ、頭を撫でられ、ペタペタ体を触られ、成すがままになっていたスノーホワイトだったが、ハッと正気に戻るとヒルデベルトの腕を振り解いて彼に掴みかかった。
「やっぱり野菜泥棒の正体はお前か!!お前か!!お前か!!お前か!!お前だったのか!!」
「えっ、どうしたのスノーホワイト」
怒りに打ち震えるスノーホワイトに、ヒルデベルトはきょとんと瞬きをする。
「お前のせいで俺はなぁ……麻縄の野郎に冤罪かけられて縛られるわ、淫蕩虫にアナル処女奪われるわで散々だったんだけど!!」
「え、えと、良く分からないけど……大好きだよ!スノーホワイト!!」
「大好きだよで全てが誤魔化せると思うな!!」
「……でも、俺、君の事本当に大好きだよ?」
「全裸で抱き着くな阿呆!!」
しばらく私は呆気に取られて二人のやり取りを見守っていたが、先程のスノーホワイトの呟きが聞き間違いでない事に気付いた。
「姫 、ヒルデベルトの正体を知っていたのか……?」
「そんなのとっくに知ってるっつーの!!」
「嘘……、ヒル、教えたんだ?」
「あ、うん!そうなんだよ、アミー様!実はこないだ教えちゃったんだよね、えへへ」
(教えた…?あんなに人に正体がバレるのを嫌がっていた、あのヒルデベルトが……?)
やけににこやかな顔で、あっけらかんと頷くヒルデベルトに私は言葉も出ない。
「えへへじゃねーよ!!つーかこんな所で何やってんだよお前!!」
「だってスノーホワイト達が中々帰ってこないから俺、心配で心配で!エルも畑に泥棒が出るって騒いでたから、ここで休憩がてらに見張り番もしてたんだよ!」
「……時に聞きたい事があるんだけど。ヒル、その手に持っている物は何?」
「ニンジンだけど」
「……で、何故そのニンジンに狼の歯跡がついているか聞いても良いかしら」
「ん? スノーホワイトも食べる?」
「……いらない」
「だよね! ニンジンって生で食べれない事もないけど、やっぱり微妙だなって俺も思ってたところでさ!」
「なるほど……それで見張りがてらニンジンを食べていた、と?」
「うん、小腹が減ったから手近にあった野菜を食べてたとこ」
「…………。やっぱり野菜泥棒の犯人、お前だろ」
「えええええええ!?俺、泥棒なんてしてないよ!?ただうちの野菜を食べてただけだよ!?」
「ああああああ!!もう面倒くさい!!直接エルに突き出してやる!!」
私はその場に茫然と立ち尽くしながら、ヒルデベルトをズルズル引き摺って行くスノーホワイトの背中を見つめる。
(凄い、やっぱりあなたは凄いよ…)
「欲しい。いつか絶対、私の物にしてやる……」
私の口から零れた呟きは、爽やかな朝の風に乗って木々の揺らめきと朝鳥のさえずりの中に消える。
朝の風が心地良かった。
私は大きく伸びをして、朝の森の澄んだ空気と新緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ後、二人を追い駆けた。
「酷いなぁ、私の事を置いていかないでくれよ二人とも」
「アミー様、スノーホワイトはなんでこんなに怒っているんだと思う?俺何かしたっけ?」
「まだ自覚がねぇのかよこの糞犬!!しばらくお前おやつ抜きだから!!」
「えええええええええ!?なんで!?どうして!?」
(父上の事も皇教国の事もなんとかなるだろう)
気楽に考えすぎだろうか?
いや、案外そうでもないはずだ。
―――なんたって私にはリリスの祝福と幸運の女神様がついているのだから。
長らくお待たせしました。次エロです。
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