恋人6、Dopey
―――それはある日の朝の事。
いつもよりも早く目覚めた私は、私達の為に朝食の準備をしているであろう愛しの姫君を労おうとキッチンに向かった。
『朝もはよからスノーホワイトですか』
「愛し合う男女が片時も傍を離れたくないと思うのは当然の事だろう」
欠伸を噛み殺しながら寝室を抜け出した私は、幽魔と軽口を叩き合いながら細長い廊下を歩く。
『それだけじゃない癖に』
「ん?何か言ったかい」
『アミール様は若くて羨ましいな、と微笑ましく思っているだけですよ』
意味有り気に笑う幽魔の言葉の意味する物が、自分のズボンを下から盛り上げている怒張を指している事に遅ればせながら気付くが、私は素知らぬ顔ですっとぼける。
「うるさいなぁ、愛だよ愛。私は愛する姫 の傍に1秒でも長くいたいんだ。別に下賤な下心からではない」
『ではそのズボンのでっぱりは何ですか?』
(ついに言った、この剣…)
幽魔と会話が出来る様になってからつくづく思うのだが、この剣と話している安酒場で飲んだくれている助平親父に絡まれている様な気分になる。
「お前も随分と野暮な事を言うね、男の憂鬱な毎朝の生理現象だよ」
『普段は爽やか笑顔でギラギラした性欲とは無縁そうな顔をしているアミール様でも、やっぱりそのでっぱりは付いて、性欲があるんですよねぇ。難儀なものです』
「…………。」
『しかし世の女性達は皆、アミール様のその育ちの良い王子様然としたお顔に騙されてしまうんでしょうね、おお、怖い怖い』
「うん。……幽魔、さっきからお前は何が言いたいのかな?」
『肉体の感覚が恋しい剣の嫉妬ですよ、気にしないで下さい』
また幽魔のやっかみが始まった。
剣の石から発する声も男だが、唯一神に石の中に封じられる前の彼の性別もやはり男だったらしい。
幽魔は気の遠くなる様な歳月を生きて来たらしいが、そんな彼でもスノーホワイトの様な夢幻的な美しさを持つ女性と甘い夜を過ごした事はないらしく、私と彼女の密夜を思い出せばチクチクと皮肉を言うのだ。男の嫉妬とはなんて見苦しい物なのだろうか。
不思議な事に、私は”リリスの夜”から帰還した今もこの様に幽魔の声を聴く事が出来た。
幽魔曰く、一度”リリスの夜”と言う精神世界で私達が長い間精神感応したからだろうと言う話だった。
元々私と幽魔の波長はとても合っているらしい。
人間の私には、幽魔やウンディーネの言う”波長の合う”と言う感覚がいまいち判らないのだが、彼等の例え話によると私と幽魔・ウンディーネの間には、遮蔽物が何もない様な状態なのだとか。
ちなみに彼等の話によると、波長が合わない相手との間には、何枚も分厚い壁があるような感じがするらしい。
幽魔からすると、エミリオなどは鉄の箱に閉じ込められている様なもので、箱の外からどんなに叫んでみようが声も届かないのだそうだ。
ウンディーネとエミリオの箱の例え話を私と幽魔でもしてみると、今まで私達は狭くて小さな部屋に閉じ込められている様な状態だった。
つまりあの夜、私は感覚的に幽魔がどこにいるか分かってしまった。
今までの私達は同じ部屋の中にいるものの、幽魔が部屋のどこに置いてあるか全く分かっていない状態だった。
私はその部屋に自分の剣が置いてある事すら知らずに、幽魔のある方向とは全く逆方向を向いていた。
あの夜、彼と精神感応をした事もあり、私はその小部屋の中で幽魔の存在を認識する。
幽魔の位置を知った私はそちらを振り返る事が可能となり、実際幽魔を自分の手に取り使って事が可能となった。
『はあ~あ。あんなラブリーなお姫様とメイクラブが出来るアミール様達が羨ましいったらありゃしない……』
助平親父の本音が出た。
この様に口喧しく非情にうっとおしいのだが、彼と精神感応が出来る様になった今の私は”幽魔の牢獄”の能力を全て使いこなす事が出来る。
リリスから帰って来てから一度、私は森に一人で出掛けて幽魔を使って実験をしてみた。
そして驚いた。今まで私はこの剣の能力を10パーセントも使いこなせていなかったのだ。
冗談抜きで今の私ならば世界征服も難しくはないだろう思った位だ。――…ただ、この世界にはあと6つ”神の石”が存在する。
(”冥府の刃”…)
その一つを思い出し、苦々しい感情が胸に沸き上がって来た。
幽魔の話によると、驚く事にもう一つの神の石――”冥府の刃”も我が国にあった。
(まさか父がもう一つ神の石を隠し持っていたとはな…)
灯台下暗しとは正にこの事だ。
なんでも父がいつも肌身離さず持っていたアメジストに似た石質の刃の剣がそれらしい。
幽魔を問い詰め、彼の知っている事を全て吐かせた私は、また何度も驚かされる事になる。
なんと幽魔と冥府は持ち主の私や父の知らぬ所で、良く世間話をしていた仲なのだそうだ。
確かに私が成人の儀でこの剣を父に授けられる以前、この二本の剣は父の手元にあった。
それもあって幽魔達は二人(?)仲良く邪神として天界をブイブイ言わせていた頃の話や、自分達を石に封じ込めた唯一神の悪口などで盛り上がっていたらしい。
「悪いね、お前達を友人同士戦わせる事になりそうだ」
『腐れ縁なだけで、別に奴とは友人ではありませんよ。――…それに、そろそろラインハルトは楽にしてやるべきだと前々から私達の意見は一致しています』
「……しかしお前は随分父の肩を持つな」
私からすればあの男の人間性に美点を見出す事の方が難しいのだが、幽魔は私の父の事が別に嫌いではないらしい。
現在の主である私を気遣ってはっきりと明言こそしていないが、父に好感を持っている様子がチラホラ見え隠れしている。
『そりゃ前のご主人様ですしね。冥府の方はラインハルトと子供の頃からの付き合いなので、かなり入れ込んでいますよ』
「それはもしや父と冥府の共鳴度が高いと言う事か?」
『そちらなら私とアミール様の方が断然上です。私達と違い冥府とラインハルトの間には何枚か壁がある。私が最後に見た時、ラインハルトと冥府の波長は30%程度でした』
「それでも父上達の方が先日までの私達よりもずっと上じゃないか」
”リリスの夜”以前の私達の共鳴度は10%程度だ。
『まあ、元々そういう血筋なので。……アミール様も冥府を持てば、リリスに迷い込まずとも30%は確実だと思いますよ』
幽魔が意味有り気な事を独りごちる。
私がそれを問いただす前に幽魔は話を変えた。
『―――…問題は、私と冥府の相性です』
「相性?」
『神の石にも様々な属性があるのですが、私と冥府の属性は闇になります。私は”幽魔の牢獄”です。名前でお分かりでしょうが、元々攻撃力に長けているタイプの石ではないんですよ。アミール様もご存じの通り、捕獲専門の石なんです』
「ふむ…」
『しかし向こうは”冥府の刃”と名付けられただけあって攻撃専門の石です。形もキューブ状の私と違い、刃そのものです。純粋な攻撃力なら冥府は神の石の中でも1、2を誇る剣になります』
「うーん、それは困ったねぇ…」
幽魔は自分は攻撃専門の石ではないと言うが、それでも私はこの剣さえあれば、高位魔術を自在に使いこなすイルミ達よりも強力な術を使いこなせるようになる。
父が冥府を使っている所を見た事はないが、攻撃専門の”冥府の刃”がどれだけ強力なのか考えると自然と溜息が漏れた。
これは精霊魔法にも通じる事だが、同じ属性同士がぶつかり合えば純粋に力の強い方が勝利する。
いにしえの邪神を封じ込めた”神の石”に対抗出来るのは、同じく太古の時代を生きた邪神を封じた”神の石”しかない。
父の持つ冥府に対抗出来る武器を私は幽魔しか持たないが、幽魔の話によるとこの剣だけでは私に勝ち目はないのだ。
『問題は陛下の隣にホナミがついていると言う事です。ご存じの通り、あの妖狐の属性は炎です』
「戦力配分の問題だな、改めてイルミと策を練り直さないとなぁ…」
私は溜息混じりに腕を組んで唸った。
うちにはイルミナートとエルヴァミトーレと言う高等魔術を扱う事が出来る魔術師が二名いる。二人の魔術の腕は、我が国ではトップクラスだ。
ちなみにイルミナートとエルヴァミトーレの属性は水になる。
イルミナートは水属性の補助と防御魔術を得意とし、エルヴァミトーレは氷の攻撃魔術を得意とする。
これは水魔法に限った事ではないが、水魔法は水辺で使うと巨大な威力を発揮する。
王都ドゥ・ネストヴィアーナは、別名は水の都とも呼ばれている。街中を運河が網の目のように張り巡らされてあって、水だけならば世界一豊かな街だ。
ルジェルジェノサメール城も城中のいたる所に水が流れている。
ウンディーネの加護があるあの街は、水属性の魔術師が世界で一番力を発揮出来る場所だ。
炎は水に弱い。
相手が普通の妖魔ならあの二人ホナミにぶつけるだけで話が済むのだが、今回の相手は厄介な事に妖魔の中でも最強クラスの銀髪紅目の最高危険種になる。
上級以上の妖魔は戦いで追い詰められるとリリスの様な亜空間を作り出す。
妖狐も王都が自分の苦手とする戦場だと言う事を十二分に理解している。劣勢だと思えばすぐに亜空間を作り出して、私達をその中に閉じ込めようとするだろう。
あの手の魔性の作り出す亜空間とは彼等がその世界の神であり、世界そのものが彼等の意となり動く。 私も何度か閉じ込められた事があるが、一度彼等の空間に閉じ込められてしまえば現実世界に戻るのはとても難しい。
純粋に火力が足りていない。
父の持つもう一つの神の石の存在を知るまでは、イルミの水魔法の援助を受けながら私とヒルデベルトが先陣に立って斬り込み、私達の後からエルヴァミトーレが氷の魔術で攻撃すると言う算段だった。
しかし父が冥府を持っていると知ったらそうはいかない。
神の石に対抗出来るのはやはり神の石しかない。
私は妖狐討伐から抜けて、単身父の相手をしなければならない。
幽魔の話を聞くに石の相性から私は冥府に勝てるかどうか、かなり怪しい。
共鳴度は圧倒的にこちらの方が高いので何とかなるかもしれないと幽魔は言っているが、それも定かではない。私がどれだけ時間を稼げるかが勝負の分かれ目となるだろう。
イルミ達が妖狐を倒してこちらに駆け付けてくれるまで持ちこたえる事が出来なかったら、私達の敗北は決定する。
更に今、私には頭の痛い問題がもう一つあった。
(教皇国カルヴァリオ……)
我が国のお家騒動を、教皇国のミカエラ皇王はやはり見逃してはくれなかった。
イルミの計算によると、向こうがリンゲインに仕掛けるのもマナの祝祭日だろうと言う話だった。
教皇国に放った諜報員からも、マナの祝祭日にリンゲイン侵略が開始されると言う話を先日確認した。
小国のリンゲインでは、教皇国の兵に攻められたら全面降伏するしかない。――…しかし、リンゲインを失えば困るのは我が国なのだ。
父の王としての使命感に微かな望みを賭けて、最後にもう一度諜報員に父の動きを探らせたが、あの馬鹿は相も変わらずホナミと二人で贅沢三昧遊び明かしているらしい。
私は城を出てからも我が軍部の上層部の者達と、内密に連絡を取り合っていた。
国を守る事が彼等の使命だ。父は軍部の人間達に見切りを付けられた。彼等はかなり前から私の懐に取り込んでいる。
教皇国がリンゲイン侵攻を始めれば、彼等は私の指示通り動く事になっている。
とは言っても私派に寝返ってくれた兵は6割で、残りの4割は父派だ。どんなに今が阿呆でも、父が王として君臨してきた時間とその間の実績は大きかった。
本来ならば私がそちらの指揮を取りに行かなくてはならない。
私は彼等をお家騒動に巻き込んだ挙句に、主への背信を唆し、謀反に加担させたのだ。彼等に誠意を見せる為に私が行くのが筋だ。
正義はこちらにあるとは言え、あの手の組織は主への忠誠が美学となっている。
私のした事は第一王子と元次期王位後継者と言う自分の権威を笠を着て、彼等の誇りを踏みにじった行為である事に何ら変わりはないのだ。
最悪の場合、私が行けなくても宰相のイルミナートには行って貰わなければならない。
―――お家騒動の真っ最中と言う事もあって、うちの優秀な宰相殿は私に一度リンゲインを見捨てる事を提案した。
元々マナの祝祭日でも勝率は五分以下なのだ。
このタイミングで教皇国にリンゲイン侵攻を始められてしまえば、リンゲインを守る事は不可能だ。
我が国のお家騒動が落ち着くまでリンゲインにはせいぜい囮となって貰いましょうと彼は言った。
「過去の歴史的事実を検証した結果、今の状況ならリンゲインを救わなくとも水竜王の怒りを買う事はありません。リンゲインを救いたければまずはリゲルブルクを取り戻してからだ。そうでないとリンゲインと共倒れになります」と彼は言った。――…宰相殿の言っている事はもっともだと思う。
そして次にイルミは、その姿をひとたび目に入れてしまえば最後、視線だけでなく魂までもを吸い取られる程美しいリンゲインの姫君、スノーホワイト・エカラット・レネット・カルマン・レーヴル・ド=ロードルトリンゲイン――…私の婚約者に眼を付けた。
何度か彼女を抱いた後彼は確信したらしい。――彼女の美貌は大きな武器になる、と。
ミカエラは闘争心の強い肉食タイプの男だ。英雄色を好むと言うが、あの手の精力的で上昇志向が強い男は、得てして女遊びも激しい傾向にある。
敗戦国の美しき姫君が手元にあれば、ミカエラは興味本位で必ず一度は手を出すはずだ。
ミカエラも今まで数多の美女とお手合わせをしてきたと言う話だが、そんな彼でもスノーホワイト程の美女を抱いた事はないはずだとうちの宰相殿は明言した。――絶対にハマる。そして抜け出せなくなるだろうと彼は言う。「やりようによってはかなりの時間稼ぎになる」と言い、女の体を知り尽くしたうちの宰相殿は彼女の体を開発して行った。
私もその隣で及ばずながらその手伝いをしていた訳だが、彼女は体を重ねる事にどんどん美しくなって行った。
正直な話をしてしまうと、出会った当初のスノーホワイトは年相応のみずみずしい色気こそあるが、男を陶酔させる類の色や妖艶さを持ち合わせているタイプの女性ではなかった。
元々スノーホワイトはその手の女の肉感的な魅力を前面に押し出しているタイプではなく、水仙の花のように清らかで清楚なタイプの女性だ。
しかし今の彼女はどうだろう?
元々の彼女の持ち味である楚々たる風情こそ消えていないが、微笑み一つで男を蕩心させるほど匂やかなものがたちこめる女性に成長した。
今の彼女はちょっとした仕草からもこぼれるような艶かさで溢れている。
今の彼女に魅了出来ない男がこの世に存在するとは思えない。――…それは私とイルミの共通認識だった。
ミカエラがスノーホワイトに溺れればそれで良し。
スノーホワイトには「時間を稼げば稼いだ分だけ、兵を出してやろう」と言ってあの狂犬の元に送り込む。
自国を守る為ならば、彼女はそれこそ命懸けでミカエラを誘惑するだろう。
スノーホワイトは普段は控えめで大人しい少女だが芯は強い。そして自分の国を、民を愛している。
今はまだ自分の美貌を使いこなせておらず、使うつもりもない様に見受けられる彼女だが、そうやって完全に退路を断ってしまえば、それこそ自分の最大の武器である美貌をフル活用するはずだ。
そしてその美貌 の使い方はもうその体にしっかりと教え込んでいる。
私はうちの宰相殿のその合理的と言える策にYESともNOとも言わなかった。
そして彼にある奇策を持ち掛ける。
驚きで目を見張るイルミナートに、私は「マナの祝祭日まで、お前が心変わりするかどうか待つ」とだけ言った。「もしお前が心変わりしなかったのなら、お前の策で行こう」と微笑む私に、宰相殿は解せぬと言う顔付になった。
その時のイルミは私が何を言っているのか理解できない様だった。
しかしそれからほどなくして、彼は私の言った言葉の意味を理解する。
たまに私を睨む彼の瞳は恨めしそうだった。
スノーホワイトは心どころか魂まで洗われる笑顔を振りまいてイルミナートを魅了して行く。
彼は彼女に惹かれ行く自分に困惑してる様だった。
日に日にイルミの眼鏡のレンズの奥の瞳に苦悩の色が強くなって行く。
―――私は賭けたのだ。
スノーホワイトがうちの宰相殿を魅了し、懐柔出来るかどうか。
そして私は見事その賭けに勝利した。
イルミナート自身は気付いていなかった様だが、スノーホワイトが彼にとって今まで付き合ってきた女性達とは違うと言う事に、私はかなり早い段階で気付いていた。
ここに来て女日照りが続いているから。体の相性が良いから。ロードルト・リンゲインの末裔ならば私には相応しいかもしれない。そう、言い訳にもならない言い訳を続けて自分を誤魔化し出した彼が落ちるのは時間の問題だと思った。
そして私の思惑通り彼女の事を愛してしまった宰相殿は、私の奇策に協力すると言った。
最初は本当にただの偶然だった。
偶然の成り行きで彼女はイルミをはじめとした私の部下たちと関係を持つ。
本来ならば、私は彼等の主としてそれを止める事が出来たがしなかった。
―――だからあの夜、
『例の件、乗せられてやりますよ』
『それは助かるよ、イルミ』
『ただ、一言言わせて下さい』
『ん?』
『あなたは鬼畜外道だ』
自他とも認める鬼畜宰相のその言葉に思わず私は吹き出してしまったが、彼の私を見る目は穏やかではなかった。
イルミはあまり自分の感情を出さない男だが、今回は珍しく抑制がきかぬ様で私への怒りに戦慄いていた。
『あなたの思惑には気付いていました。あなたはスノーホワイトを私達に抱かせる事により、私達の懐柔をしていたのでしょう』
『なんの事だろう、私にはさっぱり解らないな』
『誤魔化すな、アミール』
鋭い一喝に、私はきょとんとした表情を浮かべてみる。
恐らく今スノーホワイトをおぶっていなかったら、彼は私の胸倉を掴みあげていただろう。
『……私はこれでも腹を立てている』
『イルミが怒るなんて、珍しいね』
長い付き合いになるが、私はこの男がこんなに怒っているのを初めて見た。
―――イルミナートの言っている事は当たっていた。
そう、それはイルミナートだけではなかった。
私はあえて彼等と彼女を共有した。
スノーホワイト言う人質が私の手元にある限り、イルミナートは私を裏切る事が出来ない。
彼女を愛おしく思えば思う程、彼女と彼女の大切にしている国を守りたいと思うだろう。それは私の忠実な僕として動いてくれる事と同意語なのだ。
だからこそ彼は私に怒っていた。
まんまと私に乗せられてしまった事への怒りも大きい様だったが、―――…こちらからしてみれば、むしろ感謝して欲しいくらいである。私は血涙を飲む思いで彼等に自分の婚約者を”貸して”やっていたのだから。
『しかし彼女が弟君とまで関係を持ったのは計画外だったようだな』
『…………。』
思わず顔から笑顔が消える私を見て、イルミナートは小気味が良さそうに唇を吊り上げる。
イルミには私と弟がウンディーネの血を引いている話はしていない。よって私達が女性関係に慎重になってしまう真の理由は知らない。
ただ聡いこの男は、我が王家にまだ秘密がある事を薄々察している様だった。
『私はお前のその冷酷さを買っていた。目的を遂行する為ならば冷徹に徹し、私が躊躇う程情け容赦ない事をやってのける所も、抜け作の仮面を被って周りを欺き冷酷無比な本性を隠すその抜け目のなさも、利用できる物なら何でも利用するその図々しくふてぶてしい性格も、国の伝統や格式的ばった物が時代遅れで合理的ではないと知るとあっさりと切り捨てる事が出来る現代的な思想も。お前の荒唐無稽な言動にはいつだって意味があった。――――…しかし、今回ばかりはやり過ぎだ。今回お前のした事は男の風上にもおけない人でなしの所業だ』
そこまで一気に言い切ると、彼は深くゆっくりと息を吸って吐いた。
そして落ち着きを取り戻した声で続ける。
『貴方がスノーホワイトを愛している事は知っている。しかし同時に貴方程彼女を大切にしていない者もいないだろう』
『心外だな、私ほど彼女を大切にしている男はこの世にはいないと思うが』
『良く言う。……自分の目的の為に好いている女の体を使う男がいるか?しかも同意すら得ていない。お前は目的を伏せたままスノーホワイトを快楽の虜にして、彼女の体を体良く利用した。お前のやっている事は非合法の売春宿の主と同じだ』
(私の気持ちや必死の覚悟などを何も知らない癖に、随分と好き勝手に言ってくれるな…)
思わず目が冷たくなる。
(ああ、そうだ。確かに私は彼女の体を利用した。……だがそれの何が悪い?)
ヒルデベルトはとても良い戦士に育ってくれた。
先の大戦で先陣を切り、一人で二千の首を刈った彼の剣技には舌を巻いた。
恐らく純粋な剣の勝負では私はもう彼に敵わないだろう。獣の姿に戻れば、二千の倍の敵兵を撃破する事は容易いはずだ。
出来る事ならば長い間我が元に留めて置きたい戦力だが、あの男は地位や金、名誉では縛れない。
ここでまたスノーホワイトだ。
人間女性に興味のない様に見えたヒルデベルトだったが、スノーホワイトには違う反応を見せた。そして自分の正体を人にバレる事をあんなに嫌がっていた彼が、スノーホワイトには自ら自分の正体を打ち明けたのだ。
あの後私はヒルデベルトを問いただしてみたのだが、何でもスノーホワイトは彼の昔の飼い主だったらしい。私は歓喜のあまりに思わず笑いだしてしまった。――これでまたしばらくヒルデベルトを自由に使える。
メルヒと聞きピンと来た。
彼は元凄腕の暗殺者 だ。リンゲインの暗部の第一人者であり、王家に仇なす者の数々を葬って来た男でもある。この戦いが終わったら是非ともスノーホワイトともども我が城 に来て貰いたい逸材だ。
出来るのならばこのまま上手く誘導して、妖狐討伐にも協力させたい。
彼がいればこちらの戦力は大幅にアップする。
エルヴァミトーレもそうだ。
彼自身も優秀なのだが、彼の存在はイルミナート攻略の鍵でもあった。
いつも口では憎まれ口を叩き合っているが、イルミナートはあれでかなり彼の事を気にかけている。
エルヴァミトーレの存在は私からすると体の良い人質の様なものであった。彼を手元に置いておけば、イルミナートは私の寝首を掻く事が出来なくなる。
しかしエルヴァミトーレだけではイルミナートを完全に落とす事が出来なかった。そしてここでもスノーホワイトが最後の決め手となった。
嫉妬で眠れぬ夜もあったが、全ては彼女と彼女の国を守る為の手段だ。
自分一人でスノーホワイトとリンゲインを守る事が出来るのならば私だってこんな事をしない。する訳がない。
しかし残念な事に私は完全無欠の超人ではないし、首を斬られば呆気なく死ぬ人の子だ。魔力すら持っていない。
私は自分の能力も自分の限界も知っている。
自分の限界を超える努力し未知の世界に挑戦をすると言う事は、通常ならばそれは大層素晴らしい事なのだろう。――しかし、私には生まれながらに背負っている物がある。私の様な立場に立つ人間からすると、その手の賭けは時として蛮行としかなりえない。綺麗事だけでは国など治められない。
だからこそ私は自分の器を超える愚行は考えられなかった。
彼女とリンゲインを失い、自国をも危機に追い詰める様な自殺行為だけは避けなくてはならない。
そう。私だけでは稀有な能力を持った有能な人材を長期間手元に引き留めておく事は不可能だった。――だから彼女を使った。
しかし別に私がイルミナートをはじめとした他の恋人達を扇動した訳ではない。
切欠は本当に偶然であり、私の意図とした物とは真逆で不本意な物だった。しかし私はその流れにそのまま乗ったのだ。
それが彼女と彼女の国を間接的に守る事に繋がる。――…そして馬鹿ではないこの男も、本当はその事を理解しているのだ。
私の思惑を理解していたのにまんまと乗せられてしまった自分に対しての怒り、迂闊にも彼女を愛してしまった事により様々な計画に狂いが出た事への憤り、スノーホワイトを愛してしまったからこそ、自分が彼女と彼女の国にしようとしていた鬼の所業に対しての後ろめたさ、その諸々の怒りを撒き散らかして私に当たっている。
『イルミ、それは今までたっぷりと甘い蜜を吸ってきたお前に言える事か?私が売春宿の亭主なら、お前はその非合法の店の常連客だろう?――…いや、違う。お前はさしずめ私の売春宿で働く調教師だろうよ』
痛い所を突かれたのだろう。
イルミナートはほんの一瞬だけ鼻白んだ顔をしてみせた後、やれやれと肩を竦める私を睨みつけた。
彼の怒りにはもう一つ理由がある。
私の奇策が実れば私は彼女の救世主となる。
同時に彼女の心を射止める可能性が他の恋人達よりも格段に高まる。更にリンゲインの姫君と言う立場にある彼女は、私の求婚を断れなくなる。――イルミは自分が私の恋路の踏み台にされた事が悔しいのだろう。しかしスノーホワイトが愛しいと思うのならば、彼は全てが終わるまで私の踏み台として徹するしかない。
『これは雇用者 に対するルサンチマンの一種なのかな?だとしたら困ったものだね。うちの仕事熱心な従業員 は必要以上に”調教 ”を頑張ってくれた様だが、雇用主 を悪に仕立て上げて自己の正当性を主張する事に、酷い自己矛盾を感じないのかな?そもそもお前は資産と暇を持て余している私に「今はこの手の商売が儲かりますよ」と非合法の売春宿の経営を持ち掛けて、調教師として雇って下さいと言ってきた張本人じゃないか。お前が今私に向けている怒りは道理にかなっていないよ。それは自分が彼女にしようとしていた事に感じている罪悪感のまやかしだろう?その矛先を私に向けてくれるな。それともスノーホワイトを溺愛するがあまり、うちの宰相殿はまともな思考も働かなくなったのかな』
一触即発の空気の中、冷ややかな笑みを口元に浮かべて笑う。
『もしこれがスノーホワイトの前で私よりも優位に立つ為の手段だと言うのならば、お前にしてはちょっとお粗末だね』
睨み合いと共に禍々しい沈黙が続く。
沈黙を破ったのは向こうの方だった。
イルミナートは彼はスノーホワイトを背負しながら、クイッと眼鏡を直す。
『……アミール。お前にだけは彼女の事を渡さない、これは宣戦布告だ』
『へえ、それは面白い』
目を細める私に彼は淡々とした口調で続ける。
『――――…お前の作った鳥籠から私が彼女を開放してやる』
『あはははは!そんな事を言っちゃうと、なんだかお前が正義の味方で私が悪者みたいだねぇ』
『笑うなアミール、不愉快だ』
再び私達は無言で睨み合う。
(勝負 をしたいのならば、別に買ってやっても良いが)
苛々しているのはこちらも同じなのだ。
私が幽魔を持ち「外に出てやるか?」と言う前に、彼は最後に一言だけ言い捨てて部屋を出た。
『私は彼女に本気だ。この一件が終わったら、私はお前の事も自分が彼女や彼女の国にしようとしていた事も全てを打ち明けて、その上で彼女に求婚する』
バタン!
乱暴に閉じられた扉に私は、「やれやれ」と肩を竦める。
『……スノーホワイトは私の物なのに。困ったねぇ』
窓を見上げると、ウンディーネと目が合った。
上機嫌な様子で何か叫びながらこちらに大きく手を振る女神様に気付かないフリをして、私も自分の寝室に戻った。
*****
「そろそろ真剣に作戦を練り直さなければな…」
『マナの祝祭日まで、あと2週間切りましたからねぇ』
イルミナートが起きたら、ルジェルジェノサメール城襲撃作戦について二人で話を詰めるべきだろう。
あの夜以来私と彼の間には不穏な空気が漂っている。
とは言っても私も彼も大人なのでそれを表に出す事はない。
当面の目的は一致しているので、彼が私の協力を欠く事はない。
(しかしまさかここで神の石がもう一つ出て来るとはなぁ…)
イルミはまた何でそんな事を知っているんだ、どこから得た情報だとしつこく聞いてくるだろうが、適当に誤魔化しておこう。
(お前のその明晰な頭脳をせいぜい利用させて貰うよ、イルミ)
クツクツと喉で嗤う私を見て、幽魔が「笑顔が邪悪です…」と人聞きの悪い事をぼやく。
(スノーホワイト…)
やはり彼女は私の幸運の女神なのかもしれない。
彼女が意図して行動した事でなくとも、私にとってそれは全てが良い方向に転がって行く。
(やっぱり私にはあなたが必要なんだ)
早く彼女の顔が見たい。
早く彼女の事を抱きしめたい。
急かす気持ちで足が自然と早くなったその時――、
『おっと、アミール王子、今朝のお仕事を忘れてますよ』
「ああ、そうだった」
幽魔の言葉に私は足を止める。
考え事をしていたせいですっかり失念していた。
王族と言う立場に産まれ、日常の細々とした雑事――家事と言う物の経験が皆無で、家の事は何も物が出来ない私だったが、そんな私にも出来る仕事はあった。
私に課せられた仕事の一つにとして、朝晩の廊下のカーテンの開け閉めと、窓を開けて空気の入れ替えをすると言う物がある。
今朝の仕事を忘れていた事を思い出し、私が元来た道を引き返そうと思ったその時の事だ。
「ルーカスさん、……な、なんで…?」
「お前、アキラだろ?」
「なに…を……、」
キッチンからは何やらやんごとなき気配が漂っている。
(なんだ…?)
私は足を忍ばせ、キッチンに近付いた。
すみません、1万文字超えたのでいったん区切ります…。
次話、TSエロ回です。
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