恋人1、Happy
第二国境についてはこの世界の基準なので、現実世界の第二国境とは別物と考えて下さい。念の為。
アミール王子に拾われた俺はリゲルブルクの王都、城郭都市ドゥ・ネストヴィアーナで人として暮らす事になった。
魔性の欲を抑える術も自然と身に付けた。
アミール王子に紹介されるまでもなく、俺は王都で沢山の半妖や半獣と会った。
皆、匂いで一発で判った。
向こうも匂いですぐに俺が同族だと気付いている様だった。
俺はこんなにも自分と同じ半端者が人の世で人と混じって暮らしている事に驚いた。
今日もまた、雑踏で擦れ違い様に目の合った名も知らぬ同族と会釈をし合う。
たまに話しかけられて情報交換する事もあった。
人の世で暮らしている同族は、皆、苦労して来たのだろう。誰もが親切で優しかった。
王都は俺が今まで知っているどの街よりも大きく、華やかで都会だった。
人の世の事は割と知っているつもりだったが、毎日が驚きと発見の連続だった。俺は人の世で人として暮らした事はないので、それは当然の事だったのかもしれない。知っている様で知らない事が沢山あった。
あの時の二人、――アミール王子とイルミナートは、俺にとても良くしてくれた。
あの二人はこの国でとっても偉い人だったらしい。
王子が俺のコウケンニンとやらになってくれて、この二人が良くコトバゾエと言う奴をしてくれたので、王都で暮らすにあたって俺が困る事は特段なかった様な気がする。
俺は王子に勧められるがまま剣の道に入った。
剣術の授業はとても楽しかった。
獣として暮らしてきた期間が人生の大半を占める俺は、動体視力と運動神経が人並み外れているらしい。そんな俺はあっと言う間にこの国一の剣士になった。
でも正直な所座学の授業は苦手だったし、今でも文字の読み書きは苦手だ。
王都での暮らしは、毎日が楽しくて充実していた。
今となっては母親の事も彼女の事も、ここに来るまでの事は全ては夢だったのではないか?俺は化物ではなく、この国で産まれ育った人間なのではないか?と思う事すらあるのだ。
しかし背中の火傷の痕を目の当たりにすればあの人の事を思い出すし、しばらく肉を喰わなければ人を喰いたくなり、自分が人ならざる者である事を思い出す。
そして彼女と同じ年頃の少女を見掛ける度に、美しく成長したであろう彼女の事を想像せずにはいられない。未だあの場所で辛い生活を送っているかもしれない彼女の事を思い出して、現実を噛み締める。
(早く、迎えに行かなくちゃ)
―――でも、俺はまだ彼女に会いに行けない。
(もっと強くならなければ……)
人の世で人として生きるには、俺にはまだまだ学ばなければならない事が沢山あった。
難しい事は良く判らないが、ある日、インボウ?とか言う奴に巻き込まれ、俺達は国外追放の身になった。
王子とイルミナートともう一人、初めて見る顔の男も一緒だ。
王子は城を出る時、俺達に「しばらく苦労をかける」言って頭を下げたが、俺からすればこれのどこが苦労なのかさっぱり分からない。首輪で繋がれ行動を制限される訳でもない。毎晩屋根があり雨露を凌げる場所で眠る事が出来て、飢える事も渇く事もない生活の一体どこに苦労があると言うのだろう。
俺達は本来ならば国外に出なければいけないらしいのだが、王子は第ニ国境と言う国内でありながらも国外であり、追手が追い掛けて来るのが難しい場所に潜伏する事を選んだ。
第二国境とは人が登る事が不可能な山岳地帯や渡る事が不可能な渓谷、魔性の類がうようよしていて危険な森や魔境が国と国の境目にあり、国境のラインが明確ではない場所の事だ。
例え滞在しているのが公になっても第二国境内ならば、例え国王陛下だって文句をつけ難い場所なのだと言う。
その第二国境とは、俺が昔住んでいた懐かしの森だった。
王子は有事の際に備えて国内外のいたる所に隠れ家なる物を用意していたそうだ。
彼は「まさかここを使う事になるとは思わなかったよ」と苦笑混じりにそのログハウスの扉を開ける。
扉が開かれた瞬間、誰もが固まった。
小屋の中に充満していた黴と埃の臭いが、扉の中から外へとむわっと噴出する。
床には鼠が走り、天井には無数の蜘蛛の巣が張ってあった。
誰も入ろうとしない小屋に入ると、俺は一目散に鼠を捕まえる。
「アミー様、ネズミ捕まえたよ!これどうする!?食べる!?食べる!?」
「……私は食べなくていいかな、外へ捨てておいで」
俺が捕えた鼠を見てイルミナートは額を押さえ嘆息し、エルヴァミトーレにいたってはついに泣き出してしまった。
エルはここに来るまでずっと半泣きだったが、ついに限界が来てしまったらしい。
「ここ、一体何年掃除していないんですか……?」
「んー、……確か最後に来たのはヒルを拾った時だから6年、いや、7年前か?」
「…………。」
それから大掃除が始まった。
エルヴァミトーレは掃除の最中ずっとくしゃみをしていた。
森小屋での暮らしも快適だった。
掃除が終わってもエルヴァミトーレはくしゃみをしていたし、イルミナートもあれが食べたいこれが食べたい酒が飲みたいと良く愚痴っていたが、俺からすれば人の多い王都よりもやはり森の中の方が落ち着いた。
俺がここにやって来た後いの一番にやったのは、獣の姿に戻り、小屋の付近の木に爪でマーキングを施す事だった。
森の主が帰還したと言う事はすぐに森中にすぐに知れ渡って、この小屋に近付く者も王子達に手を出そうとする者もいなかった。
その日も俺は縄張り巡りをして来た。
俺がこの森を出てから新しい森の主になっていた黒狼が血の気の多い奴で、俺がマーキングした所にマーキングを付け直すのだ。
奴にやられた場所に改めてマーキングを付け直して周る。
「すぐに森を出るから、その間だけは見逃して欲しい」と話をしたいと思っていたが、この様子だと近々戦闘は避けられそうにない。
マーキング途中で遭遇したら戦いは覚悟しなければと気を張り詰めて周ったが、今日も奴に会う事はなかった。
―――ここに住んでいる間、俺はこの縄張り争いに負ける訳にはいけない。
王子とイルミは俺が日々縄張り争いに精を出すその意味が判らない様だったが、これは意外に大事な事なのだ。
ここで俺が負ければ、森の魑魅魍魎達が一斉に王子達に襲いかかってくる事になる。
そうなったら彼等はもう、今までの様に小屋の外には出られなくなってしまう。小屋の中だって危険だ。
確かにこの小屋は良い場所に建てられている。
王子は知人に譲って貰ったと言っていたので誰が建てたのかは知らないが、とても良い場所を選んで建てた。ここはこの森の中で唯一聖気が溢れ返っている場所だ。
故に魔性達は近付きたがらない場所だが、ただの獣である狼には聖気なんてものは関係ない。
つまり俺が負ければ昼夜を問わず、この小屋の周りに猛獣達が徘徊する事になる。
小屋の前で一日中炎を熾していれば獣達が小屋に近付いて来る事はないが、逆に妖魔は灯りに誘われてやってくる。
これは魔性の血が流れている俺にも覚えがあるのだが、夜中、暗い場所で光る物を見ると俺達はもう足を止める事が出来ない。
あれは人間の食欲、睡眠欲、排泄欲等の生理的欲求を上回る。
つまり俺がこの縄張り争いに敗北すると、夜、この家では灯りを使う事が出来なくなる。
大地から溢れる聖気とは夜になると静まるものだ。
そこで火を熾せば、キッチンに仕掛けたホウ酸ダンゴに家庭内害虫が群がるが如く妖魔が釣れる。
妖魔の本性とは残虐だ。
森に住む妖魔達はえてして人の血肉に飢えている。
王子達が奴等に見付かってしまえば最後、きっと恐ろしい事が起きるだろう。
王子達がいくら強くても、連日連夜の妖魔戦に耐えられるとは思えない。
低級妖魔ならともかく、中級、上級に連続で来られたら俺もまずい。
王子は結界を張っていると言うが、それで目くらまし出来るのは魔獣や低級妖魔までだ。
だからこそ結界の中には俺が居て、俺が新しい森の主に負けていないと言う事を証明する事が何よりも重要なのだ。
だからこそ俺はこの縄張り争いには負ける訳にはいかない。
「ただいまー。王子ー、イルミー、エルー、いないのー?」
その日、帰宅すると小屋には誰もいなかった。
(ん?この匂いは……、)
懐かしい女の子の匂いにまさかと思う。
「助けて…!!」
「ん?」
男しかいないはずの小屋で女の子の声がした。
匂いの元に駆けつければ、ベッドの上でなんだかとんでもない事が起きている。
「って、うわあ、なんだこれ!?」
ベッドの上には何故か全裸の美少女がおり、謎の触手ににゅるにゅる絡まれていた。
彼女はベッドの柵に鎖で繋がれているので、どうやらその触手から逃げる事が出来ないらしい。
「た、助けてください!!」
張り詰めた瞳でこちらを見上げながら叫ぶ少女の事を、やはり俺は知っている様な気がする。
確信が持てなかったのは発情した雌の匂いが混ざっていたからか。そしてその匂いに俺の雄の部分が過剰に反応し、思考が停止してしまったからかもしれない。
「騎士様、この虫は私のここに貼りついている本体に精液をかけると弱まるのです、お願いです、どうか助けてください!!」
「えっええええええっ!?」
―――そして俺は彼女と再会した。
成長した彼女はますます美しさに磨きがかかり、俺だけでない、王子やイルミ、エルまでをも魅了した。
触れるのを、いや、話しかける事すら躊躇う現実を超越したその美しさに、俺は彼女が本当にあの小さなお姫様だったのか判らなくなった。
―――だが、彼女は彼女だった。
「ふふふ…ヘンなの。ヒルって本当にぽてとみたいです」
「……ぽてと?」
「ええ、私のお友達です。元気でやってるみたいで良かった。……また会いたいなぁ」
彼女は俺の事を覚えていてくれた。
あの時のあの気持ちを俺は言葉では表現出来ない。
体が震え、沸きあがる喜びに身を任せ、彼女に抱き付いて自分の正体を告げたい衝動にかられた。
「どうしたの、ヒル」
「いや、なんでもないんだ…」
(言ってしまおうか)
―――俺があの子犬 なんだって。
でも、駄目だ。
言ってしまえば最後、俺が化物だと言う事も彼女にバレてしまう。
「もしかしてとは思っていたけど。……スノーホワイト、やっぱり、君だったんだね」
「なっ何がですか?」
だから俺は言わなかった。
「俺がずっと探していた俺の運命の人!!」
「へっ?」
「スノーホワイト!好き、好き、好きっ!!」
「ちょっと、いきなりどうしたの!こんな所で駄目よ、ヒル!」
正体を明かせないのは少し寂しい気もしたが、それでも俺は幸せだった。
俺はただ、この子の隣にいるだけで幸せなんだ。
可愛いすぎてたまに頭からガブリと食べてしまいそうになるけれど、そこは我慢、我慢。
この幸せが壊れない様に、俺の秘密がバレない様に、俺は俺なりに努力をしていたつもりだった。
****
その日はとても天気が良かった。
川で洗濯をするスノーホワイトを手伝おうと、俺は忠犬よろしく川まで着いて来た。
しかし悲しいかな、俺が手伝おうとしてもむしろ彼女の邪魔にしかならない様だ。
何枚か洗っていたシャツを破いてしまった後、「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくわね」と言われ、暗に家に帰れと告げられてしまったのだが、彼女を一人にしてまた盗賊に浚われでもしたら困る。
仕方ないので俺は彼女からそう遠くない場所で、今夜のおかずになりそうな物を捕まえて暇を潰す事にした。
ここで獲れる沢蟹は唐揚げにすると美味い。虹鱒 はそのまま塩をふって焼くだけで充分に美味いが、ムニエルするとこれがまた最高に美味い。どれだけ美味いかと言えば、舌の肥えた王子やイルミが唸るくらいだ。
「よっと!」
木の棒に先の尖った石をくくりつけた物で、6匹目の虹鱒を仕留めた時の事だ。
「きゃああああああああああ!!」
「スノーホワイト!?」
辺りに響き渡る悲鳴に何事かと川下の方を振り返ると、巨大な黒狼が彼女に襲いかかろうとしている所だった。
(あいつは……!!)
あのマーキング野郎!――…現、森の主だ!!
背中の剣に伸ばした手が空振りして空気を掴む。
俺は上着と共に剣を川下の方に置いて来た事を思い出した。
岸まで剣を取りに行ったら間に合わない。
人の足でここから走っても絶対に間に合わない。――となると、
「この子に……触るなああああああああっ!!」
獣の本性を現し黒狼に飛び掛る他、俺には選択肢はなかった。
ガッ!!
彼女に鋭い牙で襲いかかろうとしている黒狼の喉笛めがけて噛み付き、俺達はそのまま川の中に転がった。
「ヒル……?」
浅瀬でバシャバシャ水飛沫を上げながら格闘する二頭の巨大な狼を、彼女はただ呆然と見つめている。
驚愕で目を見張る少女のその顔に「やってしまった」と胸に苦い物が込み上げるが、もう遅かった。
―――終わったと思った。
グオオオオオオオオオッ!!!!
そして俺はこの苛立ちや悲しみ、やるせなさを全て目の前の黒狼にぶつけた。
全てが終わった後、辺りは酷い惨状だった。
血で真っ赤に染まった川には、大きな黒い狼だった物が一体転がっている。
「驚かせて、ごめん」
人型に戻った俺を呆然と見つめる彼女から目を反らす。
全身血塗れの自分は今、彼女の目にどう映っているのだろう?
(おぞましい化物だろうか? それとも――、)
喉奥に痰の様にへばり付いている黒狼の血が気持ち悪かった。
それを吐き出した後、口元の赤を拭う。
「今まで黙っててごめん。――…実は俺、人間じゃないんだ」
「…………。」
腰が抜けたのか、川の浅瀬に尻餅をついたまま微動だにしない彼女にそっと背を向ける。
「さよなら、だね」
俺が化物で驚かないのなんて、あの王子様くらいだ。
アミー様だって俺に利用価値がなければ拾いはしなかっただろう。
普通はこうだ。
この反応が正しい。
「……待てよ、馬鹿」
低い、押し殺した声に俺の足が止まる。
ガッ!
ふいに後から投げられた何かを、俺の手は条件反射で掴んだ。
「これ、は……?」
俺がキャッチしたのは、古ぼけた黄色のボールだった。
それは彼女を忘れる事が出来なかった俺が、彼女に一目だけでも会えないだろうかと城に行った時に失敬したボールだった。――小さい頃、彼女と毎日遊んだあのボール。
「お前の部屋掃除した時に出て来たんだよ、お前、ぽてとなんだろ!?」
その言葉にギクリと体が強張る。
頭から氷水をかけられ、強制的に夢から目覚めさせられた様な気分になった。
「なに、を……」
「いつもお前が俺の前で絶対に裸にならないのって、背中の火傷の痕のせいなんだろ?ぽてとと同じ場所にあるあれのせいなんだろ!?」
(バレてる……)
彼女は怒っていた。
怒気を隠そうともしないその瞳に、射抜かれた様に俺はただその場に立ち尽くす。
「勝手に俺の前から居なくなるな、このクソ犬!お前、あの時もそうやって一人で逃げたよな!俺がどれだけ寂しかったか知ってるか、コラ」
「スノー、ホワイト……?」
バシャッ!!
「誰も気持ち悪いだなんて、言ってないだろ!」
立ち上がり様に叫ぶ彼女の言葉に自分の耳を疑った。
(なんで男口調なのか解らないけど……)
再会後、この子はたまに男口調になる事があるんだけど、もしかしてこっちが彼女の素なのだろうか。
「だって。今の……見ただろ? 俺、化物なんだ」
「お前は今も昔も、俺からすれば可愛いワンコだよ」
「嘘だ……、」
「嘘じゃねぇよ。俺の可愛いぽてとが少しばかり大きくなっただけじゃねぇか」
「そんなの、嘘に決まってる」
(信じられない……)
一歩こちらに近付く彼女から逃げる様に、俺はかぶりを振りながら一歩後退する。
「嘘なんかつくか。お前が気持ち悪いんなら俺の方がずっと気持ち悪いわ」
「え……?」
この子は一体何を言っているんだろう。
彼女のどこに気持ちの悪い部分があると言うのか。
キョトンとする俺を見て彼女は口ごもり、しばし沈黙した。
たった今、口から出掛けたその言葉をそのまま全て言ってしまって良いのか悩んでいる様だった。
夕日が彼女の白いシャツを赤く染める。
俺は何も言わなかった。―――…いや、何も言えなかったと言った方が正しい。
「俺、」
夕日をバックに大きく深呼吸すると、彼女は意を決した様に顔を上げた。
「……俺、実は男なんだ」
真顔でそう言い切ったスノーホワイトの言葉は、想定外以外の何物でもなかった。
俺は瞬きをしながら彼女を凝視する。
「俺の名前は三浦晃 。……前世の記憶を持ってる」
夜の匂いのする風が吹き荒れる中、俺達はただ黙って見つめ合った。
再会した時はセミロングだった彼女の髪も、ここに来てから随分伸びた。
濡れた彼女の長い髪が茜色に染まって行く。
刻々と色を濃くしていく夕焼けが、彼女の顔に影を作った。
(一体、何を……?)
何かを覚悟した様子でエプロンドレスの裾をギュッと握り締める少女を、俺は呆然と見下ろした。
すみません、長くなったので分けました。
あと1話でHappyは終わります。
次話ほのぼのレイプ(和姦)、もふもふ姦です。
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