4・理性と破滅の間で蜿いてる
そうか、エルの年齢上げた分だけイルミさんの年齢も上げなきゃならん事を忘れてた…。
しかし彼の年齢を上げ過ぎるとパブスクにアミと一緒に通っていた設定が崩壊すると言う罠。
完結後その辺りを全てを修正するので、今は見逃してください…。
お、おやすみなさい。(←徹夜
「ホナミ君、どうか私に約束してくれ。もうあの日の様に私の前から、――いや、この世界から忽然と姿を消す事だけはしないと。頼む、頼むよ」
「ええ、陛下。私達はずっと一緒ですわ」
「私が死ぬまでずっと一緒にいてくれるんだよね?」
「だから何度もそういっているでしょう、陛下」
女が自分を抱き締める男の背中を優しく撫でると、男は落ち着きを取り戻して行った。
「そういえば何時からだったかな…」
「はい?」
「ホナミ君が私の事を”ハル”と呼んでくれなくなったのは……」
寂しそうに微笑みながら眼鏡をナイトテーブルに置くラインハルトに、彼女の笑顔が凍り付く。
「何を言っているの”ハル”、私はずっと”ハル”と呼んでいたわ。そうでしょう?」
「ああ、そうだったかな…」
(―――もう、何なんだあの魔女は)
何かの精神感応系の術でも使ったのだろうか?
再度ラインハルトにまやかしの術を施し直し一息付くと、彼女はその疲れ切った中年男の寝顔をしばらく見つめていた。
「ホナミ、ね…」
(そんなに良い女かしら)
何とはなしに寝台の上から降りて、鏡台 に自分が変化している女の顔を映し出してみる。
確かに顔は可愛らしいかもしれないが、――…東の大陸から来た妖狐からすると、夜色の髪にも瞳にも取り立てて魅力を感じる事は出来ない。
黒髪蒼目と言う組み合わせがこちらの大陸ではもっとも神聖視されていると聞くが、この聖女様の瞳は蒼ではない。東に虫の様に存在していた黒目黒髪の人間達と同じ様にしか見えない。
その時外から感じた気配に、鏡に映った黒髪の少女はその艶やかな唇を紅い舌で妖しく舐める。
そのまま寝室の床に溶けるようにして消えた彼女が現れたのは、城郭都市の中央広場からルジェルジェノサメール城の城へと続く、長くて長い階段の上だった。
階段の下にある大きな噴水の前には燕尾服の執事が一人、静かに佇んでいる。
「ああ、嬉しい。エンディー、私に会いにきてくれたのね?」
「アキ様を返せ」
ブワッ!!
男の背後の噴水の水が噴きあがりアーチを描くのと同時に、男の瞳孔が縦長に開き、彼の燕尾服がはためき出す。
「男なら力づくで奪い返すせばいい」
妖狐の紅い唇がニッと歪むのが合図だった。
―――突如水の都に巨大な金狐と白豹が出現し、水の都、城郭都市ドゥ・ネストヴィアーナは大混乱に陥った。
王都の守衛や騎士団が城郭都市内の住人に避難指示を与え、避難所へ先導するそのどさくさに紛れ、裏の細い運河から小さなゴンドラで城の地下に侵入しようとしている男達の姿があった。
頭から布を被った黒ずくめの怪しい男達をのせた小船 が、ルジェルジェノサメール城の裏手に辿り付く。
城内に水路がいくつも存在するルジェルジェのサメール中には、この様に城へと繋がる水路が幾つかある。
鉄格子の扉の前で番をしていた兵が彼等に気付くと陽気に片手を上げる。
「ようお客人。今日は天気が良くないから、道中ドゥ・ネストヴィアーナの観光名所、大運河ディクルトジュペリアの底で眠るサンタマリア広場は見れなかっただろう?」
「サンタマリアの悪夢なら良く見えた」
「ところで俺の今日の運勢ってお兄さん分かるかい?タロットで占ってくれよ」
「ペンタクル9の逆位置」
「そりゃおっかねぇ」
合言葉の確認が終わると、水の中に半分顔を埋めていた鉄格子の扉が上へと上がって行く。
完全に入口が開くと、黒ずくめの男達をのせた小船はそのまま城の下水路に入った。
暗い地下水路の中、先頭の男が持つ心許無いランプを頼りに小船は進んで行く。
突き当たりまで来ると、男達は小船を停めた。
「御早いお帰りをお待ちしております、イルミナート閣下、エルヴァミトーレ様」
「恐らく20分かからないと思いますが、私達1時間経っても戻らない場合は逃げる様に」
「畏まりました」
「うわ!?うわわわわわわ!」
小船から降りたイルミナートがランプを持った船頭と話をしていると、船から降りようとしたエルヴァミトーレが下水の中に落ちそうになっていた。
イルミナートが嘆息混じりにその手を掴んで上に引っ張りあげる。
「本っ当に鈍臭い坊やですね、一体誰に似たんでしょう」
そのままスタスタと先を急ぐ男の背中を追いかけながら、エルヴァミトーレは頬を膨らませた。
「……誰って、遺伝的な話をすれば父さんか母さん辺りだと思いますけど」
「クロエか。まあ、あの女も大概でしたからね」
母親の事を悪い言われムッとしたエルヴァミトーレは、男に追いつき様、何か言い返そうとする。
(え…?)
しかしふいに男が見せた柔かな表情に、喉まで出かかった文句を飲み込んでしまった。
「ああ、そうだ。そう言えば昔、クロエもゴンドラから運河の中に落ちたんですよ」
「え?」
「あれは彼女がはじめてうちに来て向かえた、春の精霊祭。灯篭流しの晩だったか。運河の中に魚など泳いでいる訳がないのに、絶対に魚が泳いでいると言ってきかなくて。……誰かさんと一緒で、あの女も随分頑固でしてね。下を覗き込んでそのままドボンですよ。坊やは母親似なんでしょうね」
「…………。」
クスクスと楽しそうに自分の知らない母の昔話を語る男の様子に、エルヴァミトーレは固く口を結んで唇を噛み締めた。
(なんでお前がそんな顔して母さんの事を話すんだよ…)
エルヴァミトーレの不機嫌そうな様子に気付いたらしい男も口を噤む。
その後、しばらく二人は無言で薄暗い地下室を歩いた。
沈黙に耐えられないと言う訳ではなかったが、地下室の窓から差し込む光と外から聞こえる派手は衝撃音に、彼はなんとなく前を歩く男に話をふってみた。
「鏡さん、随分派手にやってるみたいですね」
しかし今度は無視された。
(なんなんだよ、本当に)
何が何なのかさっぱり分からない。
最近、この男の自分に対する態度が軟化している様な気がする。―――…と思えば、今の様に無視されたり、冷たく一蹴されたり、からかわれたり。この男が何を考えているのか、エルヴァミトーレには皆目検討もつかなかった。
(……全てが片付き平時に戻ったら、また赤の他人に戻るんだろうな)
―――ずっとその日を待ち望んでいたはずなのに、せいせいすると思っていたはずなのに、何故こんなにも胸がモヤモヤしているのか。
一文官のエルヴァミトーレにとって、アミール王子やエミリオ王子もだが、宰相のこの男も本当ならば天上人の様な存在だ。
それを言ったら禁門府のエリート中のエリートの騎士であるヒルデベルトやルーカスもそうだ。
平民生まれのこの二人はまだ取っ付きやすい性格をしているので、城に戻っても顔を合わせたら向こうから話かけてくれそうだが、流石に王子兄弟や宰相閣下であるこの男は違う。
自分の前を足早に歩く男に置いていかれない様に必死に走るが、元々コンパスの長さが違う。
エルヴァミトーレはすぐに息を切らしてしまった。
ぜいぜい言うエルヴァミトーレを男は嘆息混じりに振り返ると、歩調をやや緩める。
「ったく、この時間がない時に」
「……ごめんなさい」
こちらが悪い事は自覚していたのでしおらしく頭を下げると、男はいつもの様にエルヴァミトーレを小馬鹿にした口調で哂う。
「おや、今日は随分と素直じゃないですか」
「あれ、知りませんでしたか?僕ってわりと素直な方ですよ」
「どうやら坊やの辞書の中にある素直と言う言葉の意味は、一般的な辞書の中に書かれてある物とは違うようですね」
あー、本当に腹が立つ。
(でも、元の生活に戻ったら、こんな風に話す事もなくなるんだろうな…)
そう思うと、今、言わなければならない気がした。
今を逃せば多分、一生聞き出す事なんて出来ない。
―――自分とこの男が二人きりになる機会なんて、恐らくこれが最初で最後だろうから。
(アミー様には本当に敵わないな…)
思い返すとあの王子様は、自分達二人に何度かチャンス与えてくれていたのだ。
最初はソレが何を意味するのかすら、エルヴァミトーレは解らなかった。
この男がつまらなそうな顔になり「余計な事を…」と呟くその意味を理解してからは、エルヴァミトーレも同様の事を思うようになり、時にはあの王子様に反発心まで感じたりした物だ。
(―――…アミー様は恐らく最初から分かっていたんだろうな、僕がこの人の弟じゃないって事に)
「あ、あの!」
「着きました」
「えっ?」
「……困りましたね、もぬけの殻です」
エルヴァミトーレが意を決して何か言おうとした瞬間、目当ての地下牢に到着してしまった。
男を追って地下牢に入るとそこは無人であった。
「『焚刑の呪鎖』。……ここで鏡の女王が拷問されていたのは確かな様です」
壁に備え付けられた金具にかけられている黒い鎖が『焚刑の呪鎖』なのだろう。
短期留学した魔導大国で、教科書でしか見た事のなかった太古からの呪われし呪鎖が今、目の前にある。人の世ではもう何百年も前から禁じられている、禁術を行使して作られた鎖の現物にエルヴァミトーレの喉がゴクリと鳴る。
しかしそれと同時に、床に出来た真新しい赤黒い染みに気付き彼は眉を寄せた。
「酷い。この出血量では……もう生きてはいないかもしれない」
「人ならそうですが相手は魔女です。単身ここを抜け出したのか、それとも死体になったのでどこかに捨てられたのかは不明ですが。――…私達の用事は済みました。さて、ゴンドラに戻りましょう」
「待って!」
違和感があった。
(これは…?)
エルヴァミトーレは、赤黒い染みの中央にあるドロドロした物を杖の先でつつく。
「僅かですが『焚刑の呪鎖』の他の呪術の残り香がします!これは――…」
灰となり粉塵と貸した後、魔女の血とまざりあったコウモリの残骸に彼が気付いたその時――、
「危ない!!」
ジャッ!!
エルヴァミトーレを突き飛ばした男の左手に、『焚刑の呪鎖』が巻き付いた。
瞬時、炎を帯びて腕に食い込む鎖に男の顔が歪む。
「この薄鈍 !!呪術に使われた魔具は殺された者の怨念を帯びると、お前の大好きな教科書には書いていなかったか!?色を見れば、この鎖が何人かの魔女の命を吸っている事は一目瞭然だろう!!」
「ご、ごめんなさい!え、えっと、こういう時の解除魔法は、えっと!」
エルヴァミトーレが慌てふためいている間に、男は一人でさっさと鎖を外してしまった。
破れた服の布の間から見え隠れする赤い物に動揺が隠せない。
「すみませんでした!僕が回復魔術を――、」
「いらん、さっさと帰るぞ」
冷たく突っぱねられて、手を振り払われて。やるせなさと同時に言いようのない怒りが込み上げて来た。
「…………捨てた癖に」
さっさと牢の中から出る男の背中に呪うように訴えると、彼の足がピタリと止まる。
「僕も母さんもいらなかったんだろ。だから捨てたんだろ。――…なのに……何で今あんたが僕の事を庇うんだよ?お前にとって僕は、生きていても死んでいてもどうでもいい存在なんだろう?なのに、なんで助けたりなんかしたんだ!?僕なんかほっといて一人でさっさと帰れば良かっただろう!!」
「…………。」
「僕だってお前になんか助けられても嬉しくとも何ともない!!むしろ迷惑だ!!今更なんなんだよ!?一度捨てたんだからもう僕の事なんかほっとけよ、僕達は赤の他人だろう!!」
男は振り返ると、もう一度だけ「帰りますよ」と言ってエルヴァミトーレに背を向ける。
その感情の映さない無機質な瞳から、エルヴァミトーレは何かを読み取る事は出来なかった。
「答えろよ!父さん!!」
―――その時、
(え…?)
バン!!
牢屋の中に突如出現した金の狐の尻尾がエルヴァミトーレの身体を牢の外の壁まで叩き飛ばした。
「ん…」
一瞬意識を失ってしまった様だ。
目を覚ますと、憎くて憎い、世界で一番大嫌いな男の瞳が驚く程近くにあった。
「生きていたか、相変らず悪運の強い坊やですね」
こんなに近くでこの男の顔を見るのは、初めてヴィスカルディーの屋敷に赴いた時、この男に女と間違われて押し倒された時以来の気がする。
恐らくイルミナートはエルヴァミトーレの心音を確認していたのだろう。
男は彼が目を覚ますとすぐに起き上がり、エルヴァミトーレに背中を向けた。
自分達の前には障壁がはられていた。
「起きたのならば、早く攻撃魔術を唱えて援護しろ」
自分が気を失っている間、ずっと結界を張って守っていたらしい男の息が少し上がっていた。
ひたすら金狐達の攻撃を障壁で押さえる男の後姿に、エルヴァミトーレは歯を食いしばる。
「……こんな所で恩を売ったって、一生許してなんかやらないからな」
「はいはい、いいからさっさと術を唱えなさい」
「僕に命令するな」
金狐達の群れと対峙しながら、二人は背中を合わせながら会話を続ける。
「で、いつ気付いたんですか?」
「……ユーリウスに魔力がないと聞いた時に。母さんにも魔力はなかった。となると魔力を持っているあんたが一番怪しかった。……でも、ずっと認めたくなかった」
魔力を持って産まれる者とは突然変異の場合もあるが、遺伝的な要素によるものが一番大きい。
魔力を持たないユーリウスとクロエの間に産まれた子供が魔力を持って産まれる可能性もなくはないのだが、その確率は極めて低い。
ならば故レベッカ伯爵夫人からイルミナートが継いだ魔力を、エルヴァミトーレが継いだと考えるのが可能性としては一番高かった。
「―――…認めたくないけど、でも、実際そうなんだろ?」
「まあ、坊やに魔力があると言う事はそうなんでしょうねぇ。気持ちの悪い事に魔力の属性が同じで、魔力の波動まで似ていますし」
「一体どうなってるんだよ、母さんは確かに最後『ユーリ』って言ったんだ」
「クロエ本人も最後まで父の子だと思っていたんでしょうね。実際私も父も屋敷の者達ですら、坊やに魔力があると判る前までは、父の子だとばかり思っていましたよ」
一瞬遅れて意味を理解したエルヴァミトーレの顔が怒りで染まる。
「お前等父子は母さんの事を、一体何だと思っていたんだ!!まさか父子揃って母さんを弄んだのか!?」
金狐を数匹凍り浸けにした後、エルヴァミトーレは杖を男に突きつけた。
男は小さく息を吐くとやれやれと肩を竦めた。
「私の初恋でした」
エルヴァミトーレはさらりと答える男の横顔に思わず見入ってしまった。
「父に寝取られたんですよ、私の人生の中で一番苦々しい思い出です」
(そん、な…、)
絶句して震えるエルヴァミーレの背後に、金狐の鋭い爪が襲いかかる。
「―――やっぱり、あんたの事なんか大嫌いだ…!!」
ガッ!!
後を振り向きもせず振り上げたエルヴァミトーレの杖が、金狐の爪を叩き落とす。
「ええ、それでいい。それで私は一向に構わない。――…ただし全てが片付いたら籍を入れますよ、いいですね」
「え?」
「いいですね、エルヴァミトーレ」
―――初めて父に名前を呼ばれたエルヴァミトーレの顔に朱が走った。
「返事はどうしました?この私が坊やの様な育ちが悪ければ、可愛げもないクソガキを認知してやると言っているのです。ああ、感謝してくれても構いませんよ」
「な、な、な…!!」
全力で断ってやろうとしたが、聡いエルヴァミトーレはあのお姫様を手に入れるにはヴィスカルディーの姓があった方が有利だと言う事に気付いてしまった。
それだけではない。彼女がこの男に揺らめいたとしても、自分と同じ年の婚外子がいると言う事実は大きなデメリットになるだろう。
(あんたがそのつもりならいいだろう。ぜいぜい伯爵家の爵位を僕の出世と彼女を手に入れる為の算段に利用してやる!利用しまくってやる…!)
エルヴァミトーレの口元に黒い微笑が浮かぶ。
「父さん、あんたの財産食い尽くしてやるから覚悟しろよ」
「食い尽くせるものなら食い尽くしてみるといい。金なら屋敷の全ての部屋の壁紙にしてもいい程余っている」
****
妖狐の気配が消えてすぐに、ラインハルトがスッと目を開いた。
彼は寝台をむくりと起き上がると、呆然と呟く。
「ミウラアキ……私の、娘…?」
何やら外が騒がしい。
寝台を降りて窓から下を見下ろしてみれば、水の都に火が上がっていた。
ワアアアアアアアアアアア!!!!
「俺達の国を取り戻すぞ!!」
「税を上げ民を苦しめた愚王を!俺達を苦しめた寵妃を追い出すんだ!!」
レジスタンス軍を率いる金の髪の王子―――息子のアミールの姿を見つけて、彼は苦笑を浮かべる。
(そろそろ私の時代も幕引きか)
「アミール様だわ!!アミール様が帰っておいでだわ!!」
「アミール様!あなた様のご帰還を私達一同、首を長くしてお待ちしておりました!!」
「どうか長きに渡り悪政を敷いた愚王を討って私達をお救い下さい!!」
アミールを追い出してから民に課した税を上げ続けた事もあり、彼等を迎える者達は皆好意的だ。
涙ながらに息子を迎え入れる城のメイド達の歓声がこんな城の上まで届き、彼はまた苦笑した。
あれもエミリオもベルナデットに似て、晴れの舞台に映える顔で良かった。
自分に似ていたらあそこまで民を惹きつける力もなければ、カリスマ性も何もなかっただろう。
有権者とは男女共に容姿の良い政治家を優遇する傾向にある。
政治家だけでなく、国の顔である王族も言わずもがなだ。
美しい王子や姫はただそれだけで民達に愛され、彼等の誇りとなる。
近年リゲルブルクの王室の権威が貴族院よりも増して来たのも、故意的に美しい者の血を王室に入れて来た事が大きい。
「今戻ったよ。皆の者、長い間迷惑を掛けた。今まで良く耐え忍んでくれたね、遅くなって本当にすまなかった」
「アミール様!アミール様!」
「ああ、なんて勿体ないお言葉…、」
その王子の言葉に感銘を受けて、泣き崩れる城の者達の様子をラインハルトは静かに見守る。
(これならもう、大丈夫そうだな)
「私が戻ったからには、もう彼等の好きにさせない。――…今から私が城を、国を取り戻す!!」
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
兵の声が、民の声が、城の壁を震わせてラインハルトの耳に届く。
「父はどこだ?」
「こちらです!どうぞお通り下さい!」
「王子!私達もお供いたします!!」
城の衛兵達も愚王がのさばる城を守り、愚王の為に戦う気はないらしい。
すぐに白旗を上げると息子達解放軍のメンバーに道を譲る。
(これで良い)
―――長年愚王を演じて来た甲斐があったと言うものだ。
『お父さん!』
その時、ラインハルトの脳内に先程地下牢で会った女の声が蘇る。
(ミウラアキ…)
出来るのならば彼女ともう一度話がしたい。
何がどうなっているのか分からないが、恐らくまたあの女神が絡んでいるのだろう。
彼女の事をあんなに詳しく知っているあの存在は、自分の娘以外の何者でもないだろう。
「娘、か…」
ラインハルトの口元が緩む。
彼女がホナミ君と自分の本物の娘ならば、話したい事が沢山あった。
(ホナミ君は元気だろうか?弟もいると聞いたが、彼が今まで私の代わりにホナミ君と君を守ってくれていたのだろうか?それなら彼には何度頭を下げても下げ足りない)
きっとホナミ君にも君にもたくさん苦労をかけてしまっただろう。
(―――それでも君はまだ私をの事を父を呼んでくれるのだろうか?私の事をまだ父と思ってくれているのだろうか?もしそうだと言ってくれるのならば、君の事を抱きしめても良いだろうか?)
話したい事、聞きたい事が沢山あった。
(だが、私は昔から運がない男だったからなぁ)
彼は自嘲気味に笑みを浮かべる。
もし自分が運のある男だったら、最初からこんな事にはなっていなかっただろう。
「さて。最後にこの国の王として一仕事するとするか。付き合ってくれるかい、盟友」
ラインハルトが寝台の横に立てていた剣を手に取ると、『冥府の刃』が彼の言葉に頷く様にぼんやりと光った。
―――優秀なあの王子に、自分が王として教えなければならない事があと一つだけ残っている。
彼は上着を羽織ると、『冥府の刃』で肩を叩きながら謁見の間へ向かった。
****
何かに導かれる様に古城へと向かう俺達の前に、数十人の男達が現われた。
その柄の悪いチンピラ集団には、見知った顔が幾つもあった。
「無事逃げられた様だな」
「盗賊さん達!?」
さっき俺達を逃がしてくれた盗賊達だった。
集団の前で一際背の高い熊の様な大男が、盗賊達を搔き分けて俺達の前に来た。
その大男の強面な悪人面に、エミリオ王子とルーカスがハッと剣を構える。
―――しかし次の瞬間、大男の顔がデレっと緩んだ。
「スノー!スノーじゃねぇか!久しぶりだな!元気だったか!?」
腰を捕まれてそのまま高く持ち上げられて、一瞬何が起こったのか理解出来なかった。
そのまま大男は子供に高い高いをする様に、スノーホワイトを持ち上げたままクルクル回る。
「最後に会った時はあんなにちっこかったのに、いつの間にかこんな別嬪さんになっちまってよぅ!!」
(この声は!)
「ヴラジミール叔父様!?」
スノーホワイトの父ローレンスの弟のヴラジミールだった。
失踪説から死亡説まであった叔父が何故こんな所にいるのか、俺にもスノーホワイトにも皆目検討がつかない。
「おう!昔からミュルシーナに似て可愛かったけど、本っ当に綺麗になったなぁ!スノー!好きな男はもう出来たのか?おっ、その顔は出来たんだな!?出来たんならオジサマに紹介してみろ、え、え?」
「や、やだ!いやだわ、叔父様ったら!くすぐったいです!」
ジョリジョリした髭面で頬擦りされ笑ってしまった俺を、戸惑う様にエミリオ王子とルーカスが見つめている。
「スノーホワイト、こちらの方は」
「ヴラジミール叔父様、私の父の弟です」
地面の上に下ろされながらも未だ髭をジョリジョリ擦りつけて来るオッサンを押しのけながら二人に紹介すると、二人はギョッとした。
「こんなむさくるしいオッサンの遺伝子がスノーちゃんに入ってるなんて、……オニーサン、信じられない」
ルーカスよ、全部聞こえているぞ。
ぶっちゃけ俺もそう思うんだが、一般的にその手の事は本人達に聞こえない様に言った方が良いと思うぞ。
「叔父上でしたか!!お初に目にかかります、僕はリゲルブルクの第二王子、エミリオ・バイエ・バシュラール・テニエ・フォン・リゲルブルクです!訳あって第二婚約者の地位に甘んじておりますが、元々は僕が彼女の第一婚約者でした!是非、僕とスノーホワイト王女殿下との結婚を許していただきたいと――、」
(って、ちょっとマテ)
青ざめ亡霊の様な顔でブツブツ呟くルーカスはこの際置いておいて。
ヴラジミールの前に来ると、興奮した面持ちで何やら訳のわからんアピールをはじめるエミリオ王子に思わず俺は突っ込みを入れる。
「おいエミリオちょっと待て!」
「良かった!お前の両親が亡くなっているとは聞いていたが、やはりリンゲインの方々とホナミ殿には、いつかしっかり挨拶をしたいと前々から思っていたんだ!!」
満足そうな顔でうんうん頷く王子様には、恐らく俺の言いたい事は絶対に伝わっていない。
「だから!一体何言ってるんだよ、お前は!!」
「そうですよエミリオ様!スノーちゃんは俺と身分の差を越えて結ばれる運命なんですよ!既に将来だって誓い合った仲だし、明るい家族計画についてだって念密な計画を――、」
「そんな事誓い合ってねぇし、そんな計画も立ててねぇよ!!」
鼻の下を伸ばしながら俺達のやり取りを見守っていたヴラジミール叔父様とやらは、何やら関心する様な顔になりうんうんと頷いる。
「いいねぇ若い者達は!俺も今のお前達みたいに、良く兄貴達とミュルシーナを取り合ったもんよ、若い頃を思い出すねぇ」
鼻の下を擦りながら悦に入った様子で頷いていた叔父様だったが、ふと何かを思い出した様に顔を上げる。
「ところでスノー、相棒 は元気か?あいつにはお前の護衛をする様に言っていたんだが、一体どこをほっつき歩いてる?」
「メルヒは……色々あって今はリゲルブルクに。ところで叔父様は何故盗賊に…?」
「ああ、こいつ等お前にチツノコ使ったんだって?きつめに絞っておいたわ、本当すまなかったな、スノー」
言われて見れば。あの時スノーホワイトちゃんにスケベな事をしたオッサン達は、あちこちらに青痣が出来ている。
「お前が許せないっつーんなら今ここで首刎ねてもいいが、どうする?」
三日月刀で手の平をポンポン叩きながら恐ろしい事をおっしゃる叔父様に俺だけではない、彼の後の盗賊達までが悲鳴を上げた。
「い、いいです!やめてください叔父様!!」
「そっか?」
「そ、そうだ!何故叔父様が盗賊に身を窶してしまわれたのですか!?」
「あ?ああ、俺は元々こっちの城の番人やってたんだよ。あの魔女 がやって来てから、こっちの城の管理費やら何やらが届かなくなってよぅ。兄貴に直談判しようにも城にも入れて貰えねぇし、その内兄貴はポックリ逝っちまってあの魔女 がリンゲインの最高権力者になっちまったじゃねぇか。しばらくはこの湖で魚釣って森の動物狩って細々と暮らしてたんだが、流石に限度ってもんがあるだろ? 仕方ねぇから、リゲルブルクから来るあの魔女の贅沢嗜好品の馬車を狙って生活してたって訳よ」
「…………。」
ヴラジミールの言葉に俺達3人は無言で顔を見合わせた。
事情は判った。判ったのだが、――…革命を起こしてリディアンネルから城を取り戻すとか、もっと他に何かやりようがあったのではないだろうか?
アキが鏡の女王に転生した事を考えると、結果としてはこれで良かったのだが何だか釈然としない。
「リンゲインがピンチなんだろ?――…来な。今こそリンゲインを守護する竜神様に目覚めて貰う時だ」
そして俺達は彼に導かれて古城の中に入った。
因果な物で、ヴラジミールが案内したのは古城の最上階だった。
相も変らず横一面だけ壁が存在しないその部屋は、今の季節が夏だと言う事を忘れてしまう程肌寒い。
城の真下にある湖から吹き付ける風が、部屋の空洞部位から強く入って来るせいだろう。
こんな廃墟同然の城で冬を越すなんて毎年命懸けだっただろうにと思ったが、ヴラジミールの話によると城の地下はそれなりに温かく、生活用品も揃っているのだとか。
「ここだ」
ヴラジミールが指差したのは、下の湖に向かって奉られている祭壇、――チツノコとの忘れられない思い出のある、例の黒曜石の祭壇だった。
何やらこの祭壇に供物を捧げ、祈りを捧げるらしい。
あの時あの場にいなかったヴラジミール以外のメンバーの顔は赤かった。
こんな時だと言うのにスノーホワイトちゃんのエッチな体と来たら、あの時の事を思い出してモジモジしてきてしまった。
(チツノコのイケなくて焦らされまくるあの感じ、すっげー良かったな…)
って一体何を考えているんだ俺!……じゃなくてスノーホワイトちゃん!!
(そう言えば昨夜はエッチしてなかったもんなぁ)
あいつらのせいだ。
あいつらのせいで色々と開発されてしまったこのけしからん美少女の体は、たった一晩エッチをしなかっただけで既に欲求不満状態に陥ってしまっている。
今夜はしたいんだが、するとなるとやっぱりエミリオとルーカスとの3pになってしまうのだろうか。
「マジかよ…、この祭壇ってそんな神聖な物だったのかよ…」
「…………。」
ルーカスの言葉に、この場で3人で致した事を思い出したらしいエミリオ王子と俺の顔が更に赤くなった。
気を取り直す様に咳払いをして、俺はヴラジミールを振り返る。
「え、えっと、叔父様。祈りを捧げるとは、一体どのようにすれば良いのでしょう?」
「さあ?俺は外部の人間だし、詳しい事は良く分かんねぇんだわ。ただ直系の王族が祈りを捧げれば水竜王が復活するって話なんだが…」
―――その時、下から響く馬の蹄の音に俺達は顔を見合わせた。
「追っ手!?」
ガラスの割れた窓から下を覗くと、数十の騎馬隊が古城の前に駆け付けた所だった。
その中の一際大きい、筋肉質な男の姿を見付けたエミリオ王子が叫ぶ。
「ミカエラ!」
「なんで?なんであの人がここにいるの!ヒルは!?ヒルは、どうなったの!!」
―――最悪の想像にスノーホワイトの体の力が抜けた。
****
「一体何人殺した、この化物」
「恐ろしい化け物だ」
「兄の仇だ!!クソ!この!殺してやる!!」
「やめろ、この手の化物は普通に殺しても死なん」
右肩と左腿を槍で大地に貫かれ、動けなくなった所でヒルデベルトは正気を取り戻した。
人型に戻った自分を見下ろしながら、銀の鎧の兵士達が何やら喚きたてている。
(ああ、そっか。――…俺、負けたんだ…)
遠く離れた場所に、降参したらしいリンゲインとリゲルブルクの兵達がまとめて縄でぐるぐる巻きにされているのが見えた。
(スノーホワイト……ごめん、負けちゃった)
「全能教会からのお触れによると、獣人は見つけ次第火炙りにしなければならない。お触れ通りに殺さなければ」
「コイツ等は生かしておくと女を襲い、出来損ないを作るからな。人類の敵だ、早く殺してしまおう」
「出来損ないならまだ良い。またこいつみたいな化物が産まれて、更なる悲劇が起こる事もある。どちらにせよ我々にとって害虫以下の存在だ」
『ごめんね、ごめんね、ヒルデベルト。獣人はカルヴァリオでは見つかったら火炙りにされるから…』
顔の思い出せないあの女の言葉が、彼の脳裏に蘇る。
(思い出した。―――……おれ、教皇国で産まれたんだ…)
『違います!違います!これは息子ではありません!ただの飼い犬なんです!本当に犬なんです!だからほら、馬小屋で馬達と一緒に飼っているでしょう!?』
『本当に?しかし、出生届けが…』
『すみません、私がおかしかったんです!!あの人に捨てられたから想像妊娠をして、犬を、この子を我が子だと思い込んでいたの!!そう思いたかったの!!』
『しかし、あなたの腹が大きくなったと言う目撃情報が…』
『想像妊娠なんです!本当に!!……男に孕まされて捨てられた愚かな女の狂言なのです、どうかお許し下さい。この通りです。どうか、どうかお許し下さい』
土の上に額を擦り付けながら謝る女の姿に戸惑う役人達。
『お役人様方で犬を飼った事はある方はいらっしゃいませんか?』
『ああ、うちに一匹犬がいるが』
『ならお判りになっていただけるでしょう? わんちゃんって可愛いんですよ、赤ちゃんみたいで可愛いんですよ。子犬なんて、ほら、こうして抱っこすると本当の赤ちゃんみたいでしょう?―――…我が子を抱けなかった哀れな女が寂しさを紛らわす為、自分の赤子にするにはうってつけの相手なのです』
―――馬小屋に縄で繋がれていた自分を抱き上げる女の体温を、手の平の柔らかさを、鼻先に触れた髪の匂いを、頭に零れ落ちた熱い水滴の感触まで、なんでこんな時に思い出すんだろう。
『ヒルベルトは私の大切な子供なの!!赤ちゃんなの!!お願い、連れていかないで!!』
―――今際の際に思い出すのは、ずっと思い出す事の出来なかったあの人の泣き顔だった。
兵士達の手によって、戦場に組み立てられていく簡易処刑台。
中央に立てられた十字の棒に手足を縛られて行く。
痛覚はもう既になかった。
(ああ、そっか……似てたんだ)
そう言えば母さんも、出会った頃の小さなお姫様も、いつも泣いていた。
(俺はただ、あの二人の涙を止めてあげたかっただけなのかもしれない…)
いつも声を殺して泣いていた二人の姿がヒルデベルトの中で重なった。
『ぽてと、おいで』
(あったかかったなぁ…)
足元から感じる熱に、初めてスノーホワイトと一緒に寝た夜の事を思い出した。
ふと足元の薪に放たれた火に気付き、次第に大きくなって行く炎を無感動に見下ろしながらも、その騎士が最後に考えるのはかの王女の事だった。
(―――…君の大切な国 、守れなくてごめんね)
また、一人で泣いてないといいんだけど。
あの子、昔から泣き虫だったから。
ペンタクル9→美しさ、若さ、愛人
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