【閑話】嘘つき男と囚われの魔女
ミュルクヴィズに連なる様にして隣接した村の、無人の民家の鏡が怪しく光る。
鏡の中から這い出て来た銀の髪の美男は、リディアンネルの使い魔のエンディミイリオンだった。
男は執事服の襟元を直すと民家を出て足早に歩く。
(アキ様…)
―――妙な胸騒ぎがあった。
マナの祝祭日が近い。
使い魔達の力が弱るその日、リディアンネルのは護りは一年でもっとも薄くなる。
しかしリディアンネルは魔女だ。
どんなに恨みを買えども毎年マナの祝祭日は難なく乗り越えてきたし、使い魔達がへばっているその時期に襲撃に遭う事があっても一人でも返り討ちにして来た。
三浦亜姫の記憶を取り戻してから魔女らしい残忍さが消えはしたが、リディアンネルは魔女だ。リディアンネルとして生きて来た32年間の記憶も、魔法の知識も失われてはいない。
前世の弟だと言う白雪姫 達は、この手紙さえ届ければマナに自分の主を打とうとはしないだろうと確信じみた物がある。
―――しかし、
(大虐殺 の狐…。)
リゲルブルクに潜伏している魔性については、独自に調査した。
想像以上の大物の名前が出て来た事に戸惑いはしたが、奴は半妖だ。
体の半分が魔の者の以上、マナの祝祭日に弱まるのは向こうも同様である。
カルネージの狐とは、人の世に干渉する魔性達の間でも悪い意味で評判の半妖だった。
いにしえの時代、奈落の底にある地界で魔族と妖魔の間で大きな戦いがあった。
先の大戦の理由は、妖魔の狂暴性にあった。
これはもう本能だとしか言いようがないのだが、若い妖魔はどうあっても血肉と殺戮を好むのだ。
意味もなく殺戮を繰り返す妖魔達により、地界は荒れた。
ただでさえ少ない地界の住人の数が減ったある日、闇の帝王は重い腰を上げる。
そして魔族と妖魔の全面戦争が始まった。
しかし争いは意外にもたったの数日で片付いた。
敗北したのは妖魔達だった。
かの王と彼が従える高位10魔族の力は圧倒的だった。
彼等に恐れをなした妖魔達は上の世界――…ここ、人間界へと追い出される事になる。
何千年か何万年後か判らないが、上の世界の摂理や生態系を乱す事なく、彼等と共存する事が出来ればいつか地界の扉は開こうと王は言い残して、扉を閉めた。
妖魔達は苦悩した。
人間界とは太陽が照り返し、聖気が大地から沸きあがり、闇の世界で生きて来た妖魔達からするととても暮らしやすいとは言い難い場所だった。
妖魔達は太陽の光の少ない森の中や洞窟、神の祝福のない呪われし土地など、以前住んでいた地界と空気の似た場所でひっそり暮らす事になる。
妖魔達の共通の望みは、いつの日か地界に帰る事だ。
だから人を喰らう事があっても人の国まで滅ぼす愚か者はいない。
血に飢えた若い妖魔達もそこは心得ており、たまに欲が抑えられなくなっても小さな村を半壊させるのが関の山だ。しかしそれでもやり過ぎると同族間の目が冷たくなるので、やはり皆ある程度自分を抑えて暮らしている。稀にその掟を破る妖魔も出て来るが、その時は同族間で厳しい制裁に合う。
その掟を理解していない鼻つまみ者達が半妖だ。
彼等は別に地界に帰りたいとは思っていない。
半分が人間の彼等からすれば、この地の空気はそんなに悪い物でもないらしい。
それ故に、半妖の大半は純粋な妖魔とは馴染めない。
ある程度育つと彼等は魔の世界から人の世に行く。そして人の世にとけ込む努力をして、平穏に暮らしている。
しかしそんな半妖の中から、たまにタブーを犯す者達も出る。
―――それが力を持った半妖、カルネージの狐の様な存在だ。
地界に帰りたいと言う欲求がない彼等は、妖魔間の掟を守るいわれもない。
だから人の世に干渉し、人の世を荒らす。
妖魔達からすれば純血ではない彼等は同族ではない。
だからこそ、掟を破っても制裁する理由もない。
ただ自分達とは別の生物で、相容れない生物だと認識している。
(杞憂かもしれないとは思うのだが…)
確かに今、リゲルブルクは軍事力を強化している。
妖狐の狙いがリンゲインだとしても、この時期に仕掛けてくるとは思えない。
既にマナの祝祭日まで半月を切っている。
仕掛けてくるのならば、常識的に考えてマナが終わってからだ。
もしこの時期に手負いになった場合、マナで大きなダメージを受け、最悪命を落とす事になる。
だからこそ魔の世界に通している者ならば、誰もがこの時期は争いを避ける。これは彼等の中での暗黙の了解だ。
そしてそれを破った者もまた同族間で制裁を受ける。
「半妖か…」
ふと漏らした声は我ながら重苦しい物だった。
そんな魔の者達の間の常識や掟が通じないのが、半妖と言った奴等なのだ。
相手が純粋な妖魔でない限り、動きが読めないのが今の懸念材料であった。
出来るならば今、アキの傍を片時も離れたくないのが本音だ。
(どちらにせよ、早く戻らなければ)
「また村の入り口にあのお店が来てるの!私、両想いになれるネックレス買っちゃった!」
「私は願い事を三つ叶えてくれるペンダント!」
その時、キャッキャとはしゃぎながら駆けて行く村娘達とすれ違う。
(願掛けか魔具の類かは知らんが、暢気なものだ)
そんな物を買うだけで願いが全て叶うのならば、世界はもっとシンプルな物のはずだ。
「ようお兄さん、寄ってかない?安くしとくよ?」
その時、路上で布を広げ女性用の装飾品を売っている物売りに声をかけられる。
フードを目深に顔を隠した怪しい物売りだ。
人間の外見年齢で表現すれば、十代半ばくらいだろうか?
「『7つの輝く丘の空羽衣』、『永久 の愛の鐘 』『星の海を閉じこめた耳飾り』、『流れ星の3つの夢』。これでどんな女でもいちころだ」
「…………。」
さっきの娘達が話していた物売りだろうか?
馬鹿らしいとは思ったが「どんな女もいちころ」と言う言葉に、思わず足が止まってしまう。
(ほう…)
あまり高級感はないが、この辺りの工芸品の特色が出ている。
物売りが売っているアクセサリーからは、わずかに魔力の波動が感じられた。
アクセサリーから感じられる魔力の波動と同じ物を男から感じ、ジッとその怪しい商人の顔を見る。
「半妖か」
「ああ、いかにも。妖魔のお兄さん」
チラリとフードから覗いた男の髪は、水色だ。
隠しているのは顔ではなく、正確には人にあるまじき髪色だった様だ。
自分は人間が見ても不自然でない様に軽く外見に術をかけているので問題ないが、その手の術も満足に使えない半妖は、こうやって物理的に毛色を隠すしかない。
そして自分の何かしらの能力を使って日銭を稼ぎ、人間界に溶け込んで暮らしている事が多い。
「喰うかい?」
自分は今、先を急いでいるのだ。
断ろうと思ったが、数分程度なら世間話に付き合ってもいいか、と有難く受け取ったリンゴを一齧りする。
「人の世はどうだ?」
「こうやって流れ者の身でやってく分にはそう悪いもんじゃないね、たまに誰かに恋すると辛いものがあるけど」
人間界で暮らして行くに当たって、一つの場所には留まれない。
人からすれば年を取る事のないように見える自分達は不気味がられてしまう。
どんなにその土地が気に入っても、稀に人に恋をする事があっても、長くて10年でその土地から移動しなければならない。
「ところでお兄さん、今恋してるだろ?」
「いきなり何を言い出すのだ」
思わず食べかけの林檎が喉につまり、咽てしまった。
「いや、分かるんだって。妖魔ってさ、恋するとあの血に飢えたギラギラ感が目から消えて穏かな顔付きになるから。種族によって恋すると逆にもっとギラギラする奴もいるけどな」
「…………。」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、別に否定する事でもない。
だからと言って肯定する必要もないので話題を変える事にした。
「売れてるようだな」
「まあね。この辺りじゃ効果絶大って結構有名なんだぜ、オレの作った恋の魔具」
「そのようだな」
半妖が作った魔具であるのなら、効果が出る事もあるだろう。
元々妖魔とはその手のまじないが得意な種族が多いのだ。
もっともまじないとは言っても、彼等が良く用いるのは呪術の方だが。
―――馬鹿くさいとは思ったが、
「お勧め商品は?」
「意中の妖魔のお姉さんとねんごろになりたいなら『恋の媚薬 魔女の1000年祭』『隠さない情熱の篝火 ブレスレッド』がオススメ。復活愛・略奪愛がお望みなら『シャンパンの泡 溜息ピアス』『自由の花の花飾 り』『流れ星の3つの夢』辺りがオススメかな」
「……略奪愛にも復活愛にも縁はないんだが、何故そう思った?」
「え?だってお兄さんみたいな綺麗な顔をした男が落とせない女って、やっぱその手の女じゃないの?ごめんよ、てっきりそっちだとばかり……」
なんだそれは。
「……なんと言うかこう、そういう激しい物ではなく。もっと普通の、穏かな幸せが続きそうな奴はないのか?」
「なら『永久 の愛の鐘 』で決まりだ。これを毎日一回欠かさず鳴らすだけで、お兄さんと愛しい人の永遠の愛は約束される」
男が得意気な笑みを口元に浮かべながら渡してきたその真鍮製の鐘 を受け取り、チリンと鳴らしてみる。
(これは…)
一振りした瞬間、鐘の音と共に、鼓膜を揺さぶり頭の中にまで浸透されて行くその不可思議な音に瞠目する。
「これにする」
「まいどあり!!」
****
「買ってしまった…」
スッカラカンになった財布が心もとない。
『永久 の愛の鐘 』だけではなく、魔女の10年祭、100年祭、1000年祭と言う媚薬を3種類も買ってしまった。
ちなみに10年祭りは10年、100年祭は100年、1000年祭は1000年薬の効果が持続するらしい。中に込められている魔力量から言って、10年薬はともかく、100年薬と1000年薬は絶対にぼったくりだろう。
それが分かっているのに、男の口車に乗せられてついつい買ってしまった自分の愚さが嘆かわしい。
なんだか最近、自分が俗物と化してきたような気がする。
やや自己嫌悪に陥りながら、早速チリンチリンと『永遠 の愛の鐘 』とやらを鳴らしてみた。
(良い音だ…)
不思議な音のする鐘だった。
この鐘の音を聞いていると、本当に彼女との愛が永久 となる様な気すらするから不思議だ。
本物か偽物かは判らないが、例え偽物だとしても、気持ちの良い夢を見る為に金を使ったのだと思えばそんなに悪い物でもない。
そんな事を考えながら、仄暗い森の小道を歩く。
―――その時、
ただでさえ暗いミュルクヴィズの森が真っ暗になった。
(なんだ……?)
頭上を見上げると、空が真っ黒な雲で覆われて行く。
ビイイイン!!
「――――っ!?」
城の周りに自分が張った結界が破られる感覚に、男は慌てて元来た道を走り出した。
ここから村まで走って40分、いや20分程度だろうか?
(アキ様、どうぞご無事で……!!)
―――城に着くまで想像以上に時間を要した。
何故なら城の鏡と言う鏡が、ガラスと言うガラスが全て割れていたからだ。
ミュルクヴィズの森の隣にある名もなき村からリンゲインの城下町にある民家の鏡の中へと鏡を潜り、その後は城まで走った。
こうなってしまうと殊の外使い勝手が悪くなってしまう自分の特殊能力を呪う。
城は酷い惨状だった。
大きな地震にでも襲われた直後の様に、大広間のシャンデリアや窓ガラスは全て割れ落ちて、飾られていた豪華な花瓶や壷などの調度品も全て床に転がっている。
金の狐が、化物が出たと泣き叫ぶ城の使用人達を搔き分け、最上階へ走る。
(アキ様……っ!!)
噛み締めた唇から鉄の味がした。
興奮のあまり、縦に長く開きそうになる瞳孔を手で押さえながら、ただ上へ、上へ、階段を駆け上がる。
バン!!
「アキ様!!」
力任せに王妃の寝所の扉を開ける。
もぬけの空になったリディアンネル部屋は、城の中でも一番酷い有様だった。
扉を開けた瞬間鼻を掠める血の匂いと床を染める赤に、男は自分の嫌な予感が的中してしまった事を悟る。
天蓋ベッドのカーテンは、赤黒い血で書かれた書き置きが残されていた。
《真実の鏡よ。――我が軍門に下り、我のしもべとなれ》
魔女の血とは人間の血と匂いも味も違う。
この距離でも判った。
―――カーテンの血文字は、床の血液は、彼の主の物だ。
「カルネージの狐……」
ブワッ!!
男の銀の髪が浮き、赤い瞳孔が縦にグワッ!っと開く。
もう、人型を保っているのは不可能だった。
風もない城内ではためく男の燕尾服は、次の瞬間音を立ててビリビリに破れる。
突如城に現れた化物に悲鳴を上げる人間達を食いちぎりたくなる衝動を堪え、彼は自分の鏡の中に頭から入った。
―――目指すはリゲルブルクの中心部、城郭都市ドゥ・ネストヴィアーナの中央に位置するルジェルジェノサメール城。
(絶対に許さない……。)
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