涙で飾れ 黒い棺のマリアージュ
―――そして、あの夜。
「べルちんはろはろ~、何、アタシに用って」
エキセントリックな聖女様は、無用心にもたった一人で私が呼び出した水の神殿までやって来た。
ペタンペタンと、踵を踏んで履き潰したローファーと言う異世界の靴の音が神殿内に響き渡る。
金色に脱色した彼女の髪も、こちらに来てから随分と伸びた。
ある日、プリン?と言うものになって格好悪いと言い、彼女が男の様にバッサリと長い髪を切った時は驚かされた。今はその黒髪も肩の辺りまで伸びてそんなに不格好ではなくなって来ている。
ただ海軍の男性の制服の様な上着に、下着が見えそうな破廉恥で短いスカートとスーパールーズと言う足元の謎の履き物は相変らずだ。
異世界から一緒に持ってきたスクールバックの中に入っていた化粧品が尽きた後は、あの原住民の様な怪しげな模様は必然的に顔に施せなくなったようだが、この格好は彼女のこだわりらしく十代の内はずっと着ると言っている。
彼女は全てが規格外だった。
この国では乗馬は女性には御法度だが馬には跨るわ、剣まで振り回す。その際、下着が見えても構わないと言う。そんな彼女に女性としての品位を説くと「見せパンが見えて一体何が悪い?」と開き直る。
「高校に行けなくなった……これ、もう中卒確定だわ…。」と嘆くので、王女の権限を使い、私も通っている我が国の名門校に特例として通わせてやったのだが、私に感謝する素振りも見せない。
暑い夏が来れば、跳ね橋の上から城壁の堀を流れる水路に飛び降りて水遊びをして、城の者達を卒倒させた。
その時の格好がまた酷い。
彼女の中には見せパンだけでなく見せブラと言う概念があり、更には水着と言う下着の様な恰好をして公衆の面前で水浴びをすると言う概念まで存在しているらしい。
全く理解出来そうにない異世界の野蛮な文化の片鱗を垣間見たその日、私は彼女との相互理解を諦めた。
それでも私は彼女の召喚主に変わりない。
価値観は違えど、私達は同じ年頃の女の子だ。頑張ればきっと仲良くはなれるはずだとお茶会を開いて呼んでみたり、私なりに努力をしてみた。しかしこの聖女様、お茶会の作法から食事のマナーにおいてまで何も知らないのだ。
文化の違う異世界から来たから仕方ない、と何度も繰り返し自分に言い聞かせたが彼女のする事なす事が全て非常識で私の癇に障った。
私は自分も含め、有能な人間しかいない環境で育った。
妹達も今の素行は色々と問題があるが、腐っても王家のサラブレッドの血が流れているので地頭は悪くない。やろうと思えば何だって人並み以上に出来る。
パブリックスクールの教師も学友も侍女さえもが教養や素養も十分で、ちょっとした会話からも知性や品性が滲み出る者達しかいない。
そんな人間に囲まれて育った私からしてみれば、彼女は全てにおいて信じられない生き物だった。出来が悪く、品位のない言動を繰り返す彼女にはいつも驚かされ、辟易させられた。
特にこの国難において、彼女の物覚えの悪さは次第に私をイラつかせる要因となる。
何故一度言って覚えられないのか。何故一度で出来ないのか。
何故この私が呼び出した聖女様が、こんなに馬鹿なのか。
―――こんな馬鹿に私の国の未来がかかっているだなんて。
何度そう思い絶望しただろう。
そしてそんな彼女を見捨てず、辛抱強く見守るライナー兄様にも腹を立てた。
馬鹿な子程可愛い、手のかかる子程可愛い、と言う奴なのだろうか?――しかしその苛立ちは、すぐに私の醜い嫉妬だと気が付いてしまう。
私は優秀でなければ認められない環境で育った。
出来が悪くても、完璧でなくとも皆に愛される彼女の存在は、私の存在価値を根底からひっくり返し苛立たせる。
彼女を召喚してから、私は自分がこんなに性格が悪かったのかと自分に自分で驚かされる日々が続いた。
そんな私達の仲はお世辞にも良い物ではなかった。
「聖女ホナミ、あなたの活躍に感謝します。あなたのお陰で闇の森の侵攻は喰い止められました。貴族院が下手を打たない限り、しばらくは持つでしょう」
「え?あ、あはははは!なんか改めて言われると照れるな!やめろってば、恥ずかしい」
バシバシと私の背中を豪快に叩きながら笑う聖女様に、私の口元にも笑みが浮かぶ。
今なら分かる。今ならば私にもこの子の魅力が分かる様な気がするのだ。――…ライナー兄様がこの子を好きになった訳が。
この明るさや親しみやすさ。単純故に裏表のない彼女と接する事の気楽さは、腹の底の探り合いが常の貴族社会で生きるライナー兄様にとって、大きな癒しとなったのだろう。
「――…ライナー兄様との結婚、おめでとう」
きょとんとした顔をした後、彼女は花が綻ぶ様に微笑んだ。
「あんがと!」
こちらの美的感覚から言えば、不気味にしか思えなかった化粧を取った素顔は年相応で愛らしい。
「でも、べルちんにおめでとう言って貰えるなんて思ってもみなかったよ。だってあんた、アタシの事嫌いだったっしょ?」
「…………。」
「最近気付いたんだけどさ。…ベルちん、ハルの事、好きだったんだよね」
その言葉に私の胸の一番深い部分を抉られる。
「……ええ、そうよ。好きだった。小さい頃から、ずっと好きだった」
私が素直に話すと思っていなかったのだろう。
ホナミは私の言葉に呆気に取られた顔をした後、小さく「ごめん」と呟いた。
「謝らないで、ホナミ。――…むしろ今夜謝るのは私の方なのだから」
ギュッと手を握ると、力任せにその手を引っ張って床に付ける。
「へ…?」
ブワッ!!
私と彼女の手が冷たい大理石の床に触れた瞬間、あらかじめ用意していた魔法陣が発動し、神殿内に眩い光が満ちた。
「聖女ホナミ、もう貴女は用無しなのよ!元の世界にお帰りなさい…!!」
「なっ!?」
そう言って、高笑いしながら立ち上がる私を彼女は信じられない様な顔つきで見上げる。
光と闇が交差する結界の中で私は笑った。笑い続けた。
おかしくておかしくて堪らなかった。
「嘘でしょ、ベルちん…?」
彼女の闇色の瞳は傷付いていた。
―――でも、そんなの知らない。私の知ったこっちゃない。
恋は戦争だ。
「嫌だ、アタシ、帰りたくない…!! アタシはこの世界で、あいつと…!!」
蒼い月が聖女様の泣き顔を照らし出す。
聖女様は月の力を借りた夜の結界の中に飲まれて行く。
(ざまぁみろ。――あんたみたいな戦術と戦略の違いを理解していない様な馬鹿が、戦争で勝つのは不可能なのよ)
「ホナミ、認めるわ。確かに貴女は魅力的な女の子よ。この私が初めて産まれて初めて脅威を感じた存在でもあるわ!――でもね、例え貴女が女として私よりも優れていようとも、貴女が正攻法の戦術でお兄様と恋仲になったとしても、最後は戦略が物を言うのよ!貴女の戦術は、私の戦略に遠く及ばない!!」
あはははははは!!
「嫌われてるのは知っていたけど、アタシ、……ベルちんの事、友達だと思ってたのに…」
(…………え…?)
高笑いする私の胸に、彼女の最後の言葉が突き刺さった。
それが彼女が残した最後の言葉だった。
光と闇が消え、砂埃が舞う神殿の中で私はただ茫然と立ち尽くす。
『はぁ~あ、ホナミちゃん可哀想…』
「…………。」
高笑いが止まった私の背後でぼやいたウンディーネの言葉が、今度は私の背中を弾丸の様に撃ち抜いた。
(これじゃ…まるで私が悪役みたいじゃない…。私は自分の婚約者を取り返しただけ。何がそんなにいけないと言うの?)
まさか私は今更後悔をしているのだろうか?――…でも、もう、そんなの遅い。遅過ぎる。
もう彼女はこの世界にいない。
もう後戻りも出来ない。
私もウンディーネも力を使い過ぎた。
また彼女をこの世界に呼び戻そうとしても、最低数年間は英気を養わなければならない。
―――その時、
「ホナミは、ホナミ君はどこだ!ホナミ君をどうしたんだベルナデット!」
「あら、ライナー兄様、ここは男子禁制の水の神殿だと言う事をお忘れですか?」
息を切らしたライナー兄様が、祭壇の間に駆け込んで来た。
勘の良い彼は、この夜この時間に彼女を呼び出した私の事を不信に思ったのだろう。
ホナミに着いてきた彼は、予め神殿の外で待機していた様だった。
「さっきの光はなんなんだ!一体何をした!?この尋常ではない、強力な魔力の痕跡は!!」
こんなに取り乱した彼は、出会って初めて見た様な気がする。
私の肩を掴んだ彼の指が、ギリッと皮膚に喰い込む。
異常な魔力の流れに異変を察したらしいライナー兄様が禁忌を破り、男子禁制の神殿を突破して、ここに駆け付けた時には聖女はこの世界から跡形もなく消え去っていた。
「たった今、聖女様が異世界にお帰りになられました」
「そんな…、」
私の肩を掴んだ兄様の目が驚愕に見開かれる。
「そんな、ありえない!!だって彼女は…、」
「元々こういう運命 だったのですよ。こちらの世界を救い、聖女としての役目も終え、彼女は元の世界に帰る時間が来た。ただそれだけの事なのです」
「そんなわけない!彼女はこの世界を選んだんだ、そしてこの世界で私と結婚する事を選んでくれた!!――まさか、お前、」
怒りに燃え滾るその目に、彼に殺されるかと思った。
しかしもう既にやる事はやってしまった後なのだ。
開き直りの境地に入り、胆の据わった私は淡々とした口調で返す。
「何でそんな目で私を見るのですか、ライナー兄様。酷いわ、もしかして私を疑っていらっしゃるの?」
「……いや、そんな事は…、」
優しい人の目が疑惑で揺れる。
しかし彼は確実に私の事を疑っている。
それでもライナー兄様はそれを口に出来ないのだ。――…何故ならば、彼はとっても優しい人だから。
『ベルナデット。――あなたの大切な物、確かに貰ったわ』
冷たい声でそう囁いて、ウンディーネは私の背後から消えた。
****
それからライナー兄様は変わった。
人が変わった様に笑わない男になった。
その時になってやっと、私はホナミを異世界に帰したのは間違いだったのかもしれないと気付いた。
それでも結婚すれば、子供が出来れば、彼も変わると思ってた。
あの子の事を忘れてくれると思っていた。
それが私の戦略だった。
じっくり時間をかけて彼を落とす。
ライナー兄様は責任感が強い。結婚して子供が産まれ、真に家族となればあの子の事も忘れてくれるだろうと思っていた。
―――しかし私の戦略と称した物は失敗に終わる。
彼の目は私や息子達を通り越えて、いつも遠くの空を眺めている。
恋は戦争だ。――…ライナー兄様と結婚し、名実ともに彼を手に入れて、可愛らしい子供まで授かった私はその戦争に勝利したと思っていた。
しかし実際は違っていた。
愛されたかった。
愛されなかった。
「エミリオの事は任せましたよ。――…私は死ぬでしょう。恐らく、近日中に」
「何故ですか、母上」
―――私はあの女に女として敗北した。
だから私は死ぬ。
こんなに可愛い息子を二人残して。
産まれたばかりの弟を兄になった息子のアミールに渡すと、彼は怖々とした顔付きで、――しかししっかりと弟を抱いてくれた。
「ねえアミー、恋は戦争なのよ。恋と戦争の本質とはとても良く似てる。切欠があればどちらもすぐに始められる物だけれど、終わらせるのはとても難しい。その戦いは命懸けで、あらゆる戦術を行使する事が許されるのだけれど、今までの経験は全く役に立たないのです。押せば良い時もあるし引いた方が良い時もある。自分に正直でいた方が良い日もあればそうではない日もある。嘘を付いた方が良い日もあるけれどそうではない日もある。その日の正解が翌日には間違いになっているなんて事もざらだから、いつだって選択に迷うの。今何を言うべきか、今何をするべきか、考えても考えてもどんなに考えても正解が分からない。誰も答えなんて教えてくれない。――…あなたの母はその戦争に負けたのです。だから死ぬのよ。敗者らしく、無様にね」
母が何を言わんとしているのか、幼い息子には理解出来ない様だった。
―――しかし私の血を引いているこの子には、きちんと理解させる必要がある。
「私達の体が恋に敗れると、ウンディーネの血を引くこの肉体がどうなるか知っているわよね?」
「水の泡になって、消える」
息子の言葉に私は静かに頷いた。
初代国王ディートフリート・リゲルが陸に打ち上げられていた魚を哀れに思い泉に返してやったと言う逸話から、リゲルブルクが水の精霊ウンディーネの加護を受ける様になったと言う創国神話があるが、それは半分正解で半分間違っている。
リゲルが助けらた魚はウンディーネその人だった。
リゲルに助けられたウンディーネは、魚から美しい娘の姿に戻ると彼に礼を言った。
その美しい娘にリゲルは一目で恋に落ちた。
恋に落ちたのは、心優しいリゲルに助けられたウンディーネも同様だった。
その後ウンディーネは「リゲルと一緒になりたい」と父である水界の王に頼み込んだ。
当然、人間であるリゲルとの結婚は水界中で大反対された。
その時、唯一ウンディーネの肩を持ったのが、彼女の叔父である水竜王だったと言われている。
水竜王は、「二人の愛が本物であると証明出来ると言うのであれば、許そうではないか」と言った。
そして「リゲルの心がウンディーネから離れ彼女を裏切ったその時は、彼の国は海の藻屑となって消えるだろう。ウンディーネもリゲルを裏切れば、水の泡となって消えるだろうと言う誓約を条件に二人の結婚を認める。ただしこの誓約をリゲルに言ってはならない。それでも良いと言うのならば、水界は二人の結婚を認めよう」と言ったのだそうだ。
ウンディーネはそれを飲んだ。――自分達の愛は永遠に変わりないと言う自信があったからだ。
そしてウンディーネは人の子の肉と魂を水界の王に貰い、リゲルと結婚した。
それから数十年の時が流れた。
二人は互いを裏切る事なく寿命を終えた。
リゲルの寿命が尽きるのと共に、彼女の肉も水となって消えた。
魂だけになったウンディーネは精霊界に戻らず、自分とリゲルの子孫を見守る事と決めた。
何故ならば、二人が結婚する際に結ばれた水界の制約が、彼らの子孫に呪いの様に脈々と受け継がれてしまったからだ。
―――つまりウンディーネの血を引くリゲルブルクの王族は、初めて愛し合った異性が唯一無二の存在で、その存在を裏切れば水の泡となって消えてしまうと言う誓約の上に生きている。
それからウンディーネは何人も自分の子孫が水の泡となって消えていくのを見送ったと、私は本人の口から聞いた。
そして今、私も水の泡となって消えようとしている。
「――――…私の可愛い坊や、あなたはあの人に似て賢いわ。顔も私に似てとても可愛らしい。大丈夫、あなたならきっと大丈夫。あなたは愛する人の愛を勝ち取って、幸せに生きるのよ」
息子に伸ばした手が、指先が、水の泡となって消えて行く。
どうやらもう、終わりが近い様だ。
水の泡を掴んだ愛息子が歯を食いしばり、鬼気迫る形相で叫ぶ。
「何故ですか?父上と母上は愛し合って結婚なされた!子宝にも恵まれた!それなのに、一体母上の何が水界の禁忌を犯したと言うのですか!?」
息子の言葉に、私はただ苦笑いする事しか出来なかった。
「それは……私が、愛されなかったから。そもそもこの結婚自体が間違いだったのよ。――あの人の心は、結婚する前から、結婚した後も、ずっと聖女の……ホナミのもの」
「そん、な…」
水界の禁を守れなかった私が水の泡となって消えるのは自業自得だが、この子達には何の罪もない。
―――この子達が生涯父親の愛を受ける事がないのは、全て私のせいだ。
(愚かな母をどうか許して欲しい…)
この子を産んですぐに私の嘘は夫にバレた。
あの人は私と言う人間に酷く落胆し、軽蔑した様だ。
口にこそ出さないが、あの害虫を見る様な冷たい目と態度で解らない訳がなかった。彼は私を心から嫌悪して、今はもう必要最低限しか口も聞いてくれない。
そんなライナー兄様に薬を使って眠らせた彼と一人で体を繋げると言う、自慰よりも虚しい延命行為はもうしたくはなかった。――…そう、先日の朝、ついにライナー兄様は私がしている行為に気付いてしまったのだ。
「汚らわしい、二度と私に触れるな」と言われ、頬をぶたれた。
自分が惨めで、自分が情けなくて、悲しくて、悲しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
「このままでは私は死んでしまうのです」と事情を話せば、きっと彼は私の事をお情けで抱いてくれるだろう。しかしそれがどれだけ惨めで、胸が引き裂かれそうになる行為なのかは想像せずとも簡単に分かる。
誇りを失い、気高さを失くし、王妃としての高潔さや矜持も既になく、どん底まで落ちてしまった私にも越えられない線はあった。
―――もう、死んだ方がマシだ。
私が死んでも彼は今まで通り家族の事は顧みる事もないだろう。
しかし責任感の強いライナー兄様は、これからもこの国の事は守ってくれるはずだ。
だからせめてこの呪いの事だけは彼に伏せたまま、一人でひっそりと逝こう。
「嫌だ!死なないで、お願いです母上!!」
(馬鹿な母親で、ごめんなさい…)
あーあ、私って本当に馬鹿。
今思えば昔からそうだった。
大人になって母親にまでなったと言うのに、なんでこんなに馬鹿なのかしら。なんでジルケ達みたいに要領良く生きられなかったんだろう。
(――――でも、まあ、いいか。それでも好きな男の子供を2人も産む事が出来たんだから)
例えその彼に憎まれていたとしてもまんざらでもない。
ねえ、ホナミ。私はあなたに勝てなかったけど、別に負けてもいないんじゃない?
この勝負、引き分けよ。
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