憂国の嘆 愚な女のニルヴァーナ
これは私ことリゲルブルク第一王女ベルナデットの家庭教師であり、婚約者でもあるライナー兄様の持論だが、人と同じく国家にも寿命があるのだそうだ。
―――そして今、我がリゲルブルクは寿命を迎えようとしていた。
理由は長きに渡る近親婚だ。
しかし訳あって、我が国は隣国のリンゲイン独立共和国の王族と婚姻を結び続けるしかない。
リンゲインにも我が国にも今、王子はいない。
先日リンゲインの王妃の妹が産んだ王子に我が国は期待をしていたのだが、その王子も先日流行り病で亡くなってしまう。
もう、ここまで不運だと笑う他なかった。
リンゲインの王族は、元々遺伝的に肉体が強い血筋ではないのだろう。
いや、それを言うのであれば、何百年と続いた我が国とリンゲインの近親婚のせいか。こちらの事情を押し付け、リンゲインの王室には無理をさせ続けて来た。
しかし遺伝的要因であろうと思われる疾患の増加は、我が王室も例外ではない。
我が王家の人間は皆視力が弱い。近年、産まれつき視力が全くない王族も増えて来ている。
かく言う私も夕暮れ時から夜になると、視力が大幅に落ちてしまう。
太陽の眩しい日や、冬になって雪で世界が白銀に染まる頃になると、外では全く目が見えなくなる。年々自分の視力が衰えて来ているのを感じている。
そう遠くない未来、私も視力を失ってしまうのだろう。
視力よりも何よりも痛いのが、王子が産まれない事だ。
最近では王妃が十人赤子を産んで、その内の一人が王子であれば良い方になって来ている。
しかし無事に王子が産まれたとしても、全盲か幼い内に亡くなってしまう事が多い。
私の父も例に漏れず全盲だ。父には弟がいたが、彼もこの世に生を受けてたったの一年で帰らぬ人となった。
それでなくとも王侯貴族には血統主義の嫌いがある。
第二王女、第三王女と、リンゲインに嫁げなかった王女は、国内の高位貴族、――つまり、あまり格差の開かない家の者との婚姻を結び続けた歴史がある。その為、王室の血が濃くなってしまったのがいけなかった。
私の母は生前、六人赤子を産んだが全てが王女だった。
母は以前から父に隠れて「女腹」とお祖母様に罵られる日々に苦悩していたが、王子を求めて年々高まって行く国民感情のプレッシャーに耐え切れず、先日自害してしまった。
最近上機嫌のお祖母様の様子からして、もしかしたら彼女が何か母の背中を押す様な言葉を言ってしまったのかもしれない。
お祖父様がご在命ならば、何か彼女を嗜める言葉でもおっしゃって下さったのだろうが、彼ももういない。
平和な世でも戦乱の世でも、生かしておいてもろくな事をしない連中ばかり生き残るのはこの世の常なのか。
我が王家にはウンディーネの縛りがあり、父は新しい妃を娶る事も出来ない。
母が亡き今、父の命も長くて二、三年持てば良い方だろう。
―――闇の森の侵攻は止まらない。
事情を知っている臣下達は、私の顔を見ては溜息を付く。
言いたい事は解る。――「ベルナデット様が王子だったら…」だ。
(でも、そんな事私に言われたって、どうしようもないじゃない)
私だって男に産まれられるものならば産まれたかった。
私が男ならば、リンゲインのミュルシーナ姫を我が国に妃に迎えて全てが丸く収まったのだ。
城で何か言いたげな目の者達とすれ違う度に、キリキリと胃が痛む。
(もう、マジックトリュフの常用でもして、リンゲインから妃を娶ってしまおうかしら)
いや、無理か。――確かあの茸を食べれば一時的に男の肉体にはなれるが、その時一時的に精巣で作られる精液もどきには女を孕ます力はない。
そしてそんな結婚をしてリンゲインの王女を不幸にしてみれば、またすぐに水竜王の怒りを買ってしまうだろう。さすれば一気に闇の森の侵攻速度を速めてしまう。
(なんで私ばっかり、毎日こんな事を考えなくてはならないの……?)
責任感のない妹達は毎日、歌劇 だ舞踏会だ高級既製服展示会 だ何だと繰り出して、遊び歩いている。
母の在命時はまだ良かったが、今はどの妹も酷くて手が付けられない。
男親とは得てして娘に弱いもので、父は妹達に甘えられると何でも許してしまう。
「お姉様がなんとか下さいよぉ、私達には関係ないじゃないですかぁ」
「そうです、第一王女の役目でしょう?その分お姉様には旨味もあるんだからぁ」
「やーん!プレコレの新作発表会に間に合わない!もう私行っても良いですか?」
父のお気に入りの第二王女のジルケは、今流行りの恋愛結婚をするなんて馬鹿まで言い出した。
相手は妹が通うパブリックスクールに在籍している、城の衛兵の息子で平民だ。
推薦を取って授業料免除でスクールに入る程度には頭は良いらしいが、爵位もなければ権威も財も何もない家の出だ。確かにジルケが気に入っただけあって顔は良いが、それ以外にあの男に何があるのか私には分からない。
「貴女は自分の立場を分かっておいでなの!?恋愛なんて結婚してから楽しめば良いでしょう!!」
「そんなのもう時代遅れですわ、お姉様」
彼女のベッドの上に乱雑に置かれているパンフレットに理解する。
そうやらジルケも例に漏れず、流行りのオペラの悪い影響を受けたのだろう。
パブリックスクールの女学生も皆、愛や恋を謡うオペラに夢中だ。
「私達はスクールの下級貴族の娘とも町娘とも違うのです!そんな身勝手な結婚が、王室の権威を低下させる様な結婚が許されるとでも!?少しでも国力を高める相手との結婚が、この国の王女として産まれた者の役目でしょう!!」
持ってきた見合いの姿絵を妹に突きつけると、彼女はそれを床に叩き落とす。
「何、この酷男達?こんな腹の出た親父や、熊みたいな男と寝るくらいなら死んだ方がマシよ。お姉様は私に身売りしろと言うの?」
「……それもまた王女の役目です。貴女の愛するニコラスだって、あと30年すればこの方々と大差ない容姿になるわ」
「あら、それでも30年間自分の好きな顔の男と過ごせるのは大きいわ。良い男だった時代を知っていれば、年老いてもトキメキは残るはず。最初からトキメキもなければ嫌悪感しかない男と結婚するなんて絶対無理よ」
「ジルケ。貴女の婚約者候補が皆お年を召していたり訳ありな男性なのは、貴女の素行の悪さが原因なのよ。顔の綺麗な男を見れば、すぐにベッドに引っ張り込む貴女の悪い噂はもう国外にまで広まっているの。お願い、可愛いジルケ。これ以上お姉様を困らせないで」
ジルケの叩き落とした姿絵を拾う侍女の背中を見て嘆息しながら、私は妹のベッドの上に座って彼女の肩を抱く。
「嫌な世の中ね。男は結婚前何人の女と寝たかが武勇伝になるのに、女が同じ事をすれば傷物扱いなんだもの。何が女神崇拝の女性上位の国よ。結局我が国も男尊女卑の精神は根付いているじゃない」
「今、貴女とフェミニズムについて議論する気はないわ」
「良いじゃないですか、私の結婚で濃く煮詰まった王家の血が薄まるのだから。私は第二王女として、せいぜい血を薄める努力をしますわ」
先程侍女に塗らせた、塗りたての真っ赤なペディキュアを手で仰ぎながら妹は笑った。
現状、彼女の言う事もまた正論なので頭が痛かった。
「……前々から何度も申しておりますが、貴女には王女の自覚が、」
「だからモテないんですよ、お姉様は」
「は、はああ?!」
私の言葉を遮って、馬鹿にしたように鼻で笑う妹に思わずベッドの上から立ち上がってしまう。
こちらを振り向きもしないで、ペディキュアの出来の確認をしながら彼女は言う。
「ところでライナー兄様、とても良い男に育ちましたね。……お姉様は第一王女の特権で、婚約者に恵まれています。本当に羨ましいわ」
「い、いきなり何ですか」
「味見しちゃおうかなぁ」
「恥を知りなさい」
冷たく一蹴すると、クツクツと喉で嗤いながらジルケは孔雀羽の扇子を開く。
「ご忠告してさしあげただけですわ、お姉様。そのままでは他の女に兄様を掻っ攫われてしまいますわよ」
妹の分際で馬鹿にして、とその時は思った。
しかし妹の忠告は後々私に重く圧し掛かる事になる。
****
私の婚約者のラインハルトーーライナー兄様は、昔から変人と呼ばれている男性だった。
彼は私達常人には理解出来ない、変わった物をこよなく愛した。
例えば縁起の悪いと言われている黒猫を飼ってみたり、墓地に行って墓場鳥のスケッチをしたり、「黄、赤、青の月の魔物の動向について調べたい」なんて言って、危険な夜の森に数か月寝泊まりしたり。
本当に変な男だった。
しかし教科書に載っていない事を沢山知っている彼は、とても優秀な私の家庭教師だった。
そしてそんな優秀な変人家庭教師の事を私の父がとても気に入ったのだ。
父は事ある毎に「リンゲインに王子がいないのならば、次の国王はあの男しかいない」と言う。
―――幼い頃から言い聞かされた父の言葉は、鳥の親子の刷り込みの様に私の中に浸透して行った。
父がそう言うのなら私もこの人しかいないと思った。
偉大なる父がそう言うのれあれば、きっとこの人はこの国の王にも、私の夫も相応しい男性なのだろう。
私は彼に敬意を払い、彼を実の兄の様に慕った。
彼が子爵家の人間と言うのも良かった。
今まで我が王室の人間は侯爵家以下の貴族と婚姻を結んだ事はない。それでもどこかで多少は血は繋がってはいるだろうが、それでもリンゲインや高位貴族と繰り返した近親婚の血も大分薄まるはずだ。
私はリゲルブルクの第一王女だ。
財政難で国庫にゆとりがないのならば財のある家の男と婚姻を結ぶし、王室の権威が低下すればそれを補える力なり権威を持つ男と結婚する。今の様に国際情勢が危うい時代ならば、有能な男の妃となる。
自分の事しか考えていない妹達と違って、第一王女の私には責任がある。
まだ恋は知らない。
恋を知らないまま結婚して、子供を作る。――…でも、そんなの王女なら別に普通の事でしょう?
(むしろジルケ達が一国の王女である自覚が足りないのよ)
どこの国の王族でも結婚なんてそんな物だ。
王子が居たのならもう少し気軽に生きられたかもしれないが、残念ながら私には兄も弟もいない。
愛だ恋だ、浮かれている気楽な女達と違って私には産まれながらに背負っている物がある。私の肩には、五千万人の民の命がかかっている。
ただの人ならば人生の選択を間違っても自分一人が不幸になるだけで終わるが、私の場合不幸になるのは私自身だけでなく、五千万人の民も一緒だ。
だからこそ私は選択を間違えられない。
(教皇国の動きを見るために、本当は妹達を何人か向こうに嫁がせたかったのだけれど…)
あの調子では妹達には期待出来そうにない。――となると、少しでも有能な男を自分の夫に据え置くしかない。
伯爵家にも優秀な男が一人いたがあれは野心が強過ぎる。こちらが喰われてしまいそうだ。
その点野心らしい物は何もなく、しかし長男特有の責任感の強いライナー兄様は私からしても理想的な男性に思えた。
ライナー兄様と結婚すれば、彼は私が今まで一人で背負って来た責任ものを一緒に背負ってくれるだろう。それはとても頼もしくて、とても心が安らぐ事の様にに思えた。
結婚とはもしかしたら自分の味方が増える事なのかもしれない。
一人で背負ってきた荷物を分け合って、一緒に同じ道を歩く事。
その長い道中に愛が産まれれば、きっとそれは幸せな事だろう。ジルケ達の言う様な身を焦がす様な激しい恋情でなくとも、それはとても素敵な事だろうと私は思う。
もし男女の愛が産まれなくとも、同じ道を伴に歩み苦楽を共にする事で仲間意識や一体感は産まれるだろう。子供が産まれれば家族愛だって産まれるはずだ。
男女の情熱的な愛が欲しければ、大人達がやっている様に外でこっそり楽しめば良い。
結婚と恋愛は違う。――…特に私の様な立場の人間からすれば。
―――だから、あの日。
「ベル、すまない。――私との婚約を解消して欲しい」
私が知らず知らずに抱いていたライナー兄様との結婚と言う淡い夢は、彼のその言葉によりあっさりと崩壊する。
彼に婚約破棄をされたその日、私は初めて知った。
私は彼の事を愛していたのだ。
「結婚するのならこの人しかいない」とずっと思っていたのは、父の刷り込みや彼の有能さからだけではなかった。
「ごめん、ホナミ君が好きなんだ」
―――しかし、私は遅かれ早かれこの日が来る事は理解していた。
爵位の剥奪と子爵家への制裁、ライナー兄様にも今の職業を失うだろうと遠回しに脅しをかけてみたが、それでも彼の意思は変わらなかった。
正直ライナー兄様が爵位の剥奪や職を失う事を恐れるとは思ってはいなかったが、実家に制裁を加えるとなれば彼も思い留まると思っていたのだ。
しかし彼は家族よりも彼女を取った。
謁見の間から去っていく背中に、血の気が引いた。
もうライナー兄様を縛る物は何もない。
これで彼が本当にあの子のものになってしまうのだと思った瞬間、酷い眩暈がした。彼があの子に愛を囁き、愛し合っているシーンが瞼に浮かび吐き気が催す。膝から下に力が入らず、立っているのもやっとだった。
ライナー兄様の両親が土下座をせんばかりに口々に私に謝罪の言葉を述べるが、彼等の言葉は私の耳を素通りして行く。
「――ホナミ君が好きなんだ、ですって…?」
そんな事、彼女とあなたを引き合わせてしまった時に気付いていた。――ライナー兄様はこのエキセントリックな聖女様に絶対に恋をするだろう、って。
あなたがどんどん彼女に惹かれて行くのにも気付いていた。
私はそれをどうする事も出来ずに、惹かれあう男女の姿をただ遠巻きに見つめる事しか出来なかった。
(妹 だったら何か違ったのかしら?)
あの子だったら王女のプライドも恥じらいもかなぐり捨てて、兄様を誘惑して既成事実でも作ったのだろうか?それとも「私の兄様を取らないで!」とホナミに食って掛かったのだろうか?
例え皆に滑稽だと笑われたとしても、今思えば私もその位すれば良かったのだ。
―――でも、私にはそれが出来なかった。
(こんな事になるのなら、あんな聖女 呼び出さなければ良かった…)
****
―――話はあの二人の結婚式の前夜から3年前に遡る。
それは私が15歳になったある日の事。
広がっていくミュルクヴィズの森に痺れを切らした私は、我が王家を守護する女神様に助けを求めたのだ。
『聖女を召喚すれば、いけるかもー?』
彼女が海中でイルカがする様に宙で回転すると、水滴が辺りに飛び散った。
私はこの水滴を冷たいと感じるのだが、不思議な事に他の人間にはこの水滴も彼女の姿も見えないし、感じられないらしい。
今目の前にいる水色の髪の少女の姿を肉眼で見る事が出来るのも、彼女の声を聴く事が出来るのも我が王家の人間だけだ。
王家の人間とは言っても、婿入り、嫁入りで王室に入った外部の人間は当然彼女の姿を目にする事は出来ない。
「聖女、ですか?」
『うん、前に召喚した時は、それで200年闇の闇の森の侵攻が止まったし、やってみる価値はあるのかもー?』
ふよふよと宙に浮かぶその様子は無邪気な子供の様である。容姿だけでなく、言動までもが子供っぽい女神様だが、実は彼女は数千年生きている。――そしてその性質は、時に非情で残忍だ。
「そんな方法があったなんて。何故今まで教えてくれなかったのですか?」
『適正者を探すって意外に骨が折れるのよ。実は私もずっと探していたんだけど、中々見つからなくて』
「と、言う事はもう聖女様は見つかったのね?」
ウンディーネは頷くと、悪戯っぽく好奇心に溢れた目で私の顔を覗き込んだ。
『ええ、恐らく私とベルちんの力があればなんとかこちらの世界に召喚出来る。――でもね、聖女様を呼び出すには大きな代償が必要なのだわ』
「代償ですか?」
『異世界から人を一人召喚して、ただでこちらの世界を救ってくれると思う?私達はその代償を支払わなければならない。私は衰弱してしばし眠りにつく事になるでしょう。あなたからも何か大切な物を一つ貰う事になるわ。それはあなたのその美貌かもしれないし、人の身には不釣り合いな巨大な魔力かもしれない。聡明な頭脳かもしれない。気高く高潔な心かもしれない。――ベルナデット王女、あなたにそれを失う覚悟がおありになって?』
唇の上に人を試す様な意地の悪い笑みを浮かべる女神様に、私は金髪 の巻き毛をかきあげると、胸を張って堂々と答えた。
「愚問だわ、ウンディーネ。この私を誰だと思っているの?私はリゲルブルクの第一王女、ベルナデット・ヴェルルミアーナ・ヘンリエッテン・イルゼデリゼ・フォン・リゲルブルクよ」
『続けて』
「私達王族には数多の特権を与えられてるわ。それは今の様な有事の際に、国を、民を守る為なのよ。私の持つこの魔力も、――そして、この命さえも民の物なのです」
『ふんふん……』
紛れもない本音だった。
私達王族とは民の血税により生かされている。
当たり前の事だが、税とは私達特権階級の者達が贅を尽くす為に民から絞り上げる物ではない。有事の際に民を守る為の保険であり保障なのだ。それは災害だったり、他国や魔物からの脅威だったり、流行り病や伝染病だったり色々ある。
治水工事や城郭都市の城壁の強化、騎士団や軍隊の運営だってそうだ。
また、輸入に関税を課すことで、他国の商人や国境を飛び越え手広くやっている商会から国内産業を保護すると言う役目も担っている。
私達王族が税による恩恵でこの国一豊かな生活を送っている事にだって、一応意味はあるのだ。
国の代表者としての品位を保つ為には何かと資金が入用になる。
この国のトップに立つ者として恥じない教養や良識、服飾費諸々に、女神を奉る神殿の巫女、公僕や城の使用人の人件費や管理や整備の費用、儀式の費用、国賓・公賓の接待や視察がメインの公的な旅行の費用、国有財産の管理費など、様々な費用がかかる。
そう、私達は別に贅沢をして遊んでいる訳ではないのだ。……まあ、たまに、いや、結構な割合で、そういうお馬鹿さんが出てくるから問題になり、革命だ内乱が起こってしまうのだけど。
大きな力を持つと言う事は、同時に大きな責任を伴う事になる。
責務を果たさず、ただ遊んでいれば革命が起きて首が飛ぶ。
第一王女の私は今、この国で一番大きなもの――…民の命を背負っている。
―――この国を守る為に私は産まれた。私が今生かされている理由も、生きている理由もそれの他に何もない。
「闇の森の侵攻が止められるのならば何だっていたしましょう」
私の答えにウンディーネは満足気な表情で頷いた。
『良い答えだわ。流石はベルちん、流石は私の見込んだ王女様よ。では来月のマナの祝祭日に聖女を召喚しましょう』
幸い私は昔から魔力だけは強力だった。
ウンディーネとの波長も姉妹一だ。
ウンディーネ曰く、ここ数百年間産まれた王族の中で、私は彼女と一番相性が良いらしい。恐らくそれは私の性別が女で、私の産まれた日がマナの祝祭日だと言う事に関係しているのだろう。
父や妹達を見ているとウンディーネとの波長が合わないと、我が王室の人間でも彼女の姿を見る事は出来ず、声を聴くのでやっとの様だった。
私は例によって視力が弱いが、どんなに世界が白い日でもウンディーネの事だけは髪の一束までもくっきりと見る事が出来た。
そして私はウンディーネと力を合わせ、伝説の聖女召還を試みる。
―――マナの祝祭日にウンディーネを奉る水の神殿で、白煙と共に聖女は現れた。
『えー、今のって夢じゃなかったの?マジで私が異世界救わなきゃなんねぇの?』
無事召還した聖女様は、とても風変わりな方だった。
この世界では神聖の象徴である闇色の髪を「黒髪なんてだっせーし」と言って金色に脱色し、カラーコンタクト?と言うなんだかとても恐ろしい物を目に入れている。アイシャドウ……なのだろうか?瞼は何故かキラキラしており、真っ黒な目尻の下には星までついている。
海軍の男性が着ている様な制服に、下着の見えそうなプリーツスカートの組み合わせ。そして靴下なのかブーツなのか判らないスーパールーズと言う謎の履き物をお召しになられていた。
(な、なにこの子…)
召還に成功した聖女様に度肝を抜かれたのは私だけではなかった。
水の神殿の巫女達全てが彼女の登場に目を剥いた。
彼女の言葉を理解できるのは召喚主の私だけで、他の人間はそれを理解する事が不可能だった。
「せ、聖女様、私の召喚に応じてくれた事を感謝します。私はこの国の王女、ベルナデット・ヴェルルミアーナ・ヘンリエッテン・イルゼデリゼ・フォン・リゲルブルクです。どうか我が国をお救い下さい」
外見はともあれ、聖女様は聖女様だ。
私は彼女の前に跪くと、この国の王族が女神ウンディーネに捧げるのと同じ古式ゆかしい礼をする。
『え?』
「え?」
間の抜けた声が頭上から降って来て、私は思わず顔を上げる。
同時に彼女と同じく間の抜けた声で返してしまった。
そんな私の反応に、聖女様は訝しげな表情をなされた。
『なんで?』
「な、なんでと言われましても…。我が国は今、亡国の危機で――、」
『いやいやいや。さっきもあの女神様?に言ったんだけどさ、アタシ明日学校だし、今日中に元の世界に帰れないとマズイんですけど。これ以上サボると単位落とすってセンコーに言われたばっかだし、早く向こうに帰してくんない?』
(何を言っているのか良く分からないけれど…)
それよりもさっきから短過ぎるスカートから下着が見えている。
私はそちらの方が気になった。
「……取りあえずその顔とその格好は酷過ぎるわ。そこのあなた、聖女様を清める準備を」
「は、はい」
近くに居た巫女に命を下すと、聖女様は激昂なされた。
『はああああ!?アタシの格好のどこが酷いって言うんだよ!!うちの高校の制服超可愛いって地元じゃ評判なんだけど!!これ着てるだけで馬鹿みたいにナンパされるし!!セーターはラルフローションだし、マフラーだってバーバリンなんですけど!?あ、本物だからねこれ!!それに自分で言うのも何だけど顔だって結構可愛い方じゃね!?』
「……言って良いのでしょうか?全てにおいて酷すぎますわ。まず、何なのですか、そのスカート丈は。下着が見えてしまいます……と言うか、失礼ついでに申し上げますが、実は先程から見えております」
『別に良いし!今日は見せパン履いてるから!』
自らスカートを捲り上げ、”みせぱん”と言う黒いレースの下着を見せつける聖女様に、私の後に待機していた巫女が数人卒倒した。
「み、みせぱん…とは…?」
『見せパンも知んねーの?見せても良い下着っつーか、むしろ見られる為の下着だっつーの』
「み、見せる為の下着!?なんてふしだらな!!信じられません!!」
『は?』
「聖女様はまさか異世界では娼婦をなされていたのですか!!?」
『は、はあ!?さっきからマジで失礼な女だな!!アタシエンコーとかやった事ねぇし!!』
「――失礼ですが、あの、聖女様の世界の方々は、洞穴や葦の屋根の家にお住みになっているのではないですか? その顔の……目の周りを囲む黒い何かや、キラキラ光っているそれは何かのまじないですか?まるで文化の香りがしない、未開の土地の方々の顔のようだわ」
『…………いきなり人を訳わかんねぇ世界に呼び出しておいて、イチャモン付けやがって…。そっちこそその格好はなんだよ中世かよ!!ベルサイユの原っぱ のコスプレかよ!!何、このロールパンみたいなクリンクリンの金髪縦ロール!!』
「きゃああああ!!なに、この野蛮人!!」
「姫様ー!!?」
そして水の神殿で大お暴れをなされた聖女様に、聖女召喚は失敗に終わったと言う情報が流された。
―――しかし、それでも彼女は確かに聖女様だったのだ。
そのホナミと言う異世界の少女は闇の森の侵攻を止めた。
しかし私は彼女を召還した事を心から後悔する事になる。
彼女は私の最愛の、ライナー兄様の心まで持って行ってしまった。
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