3・リア充には勝てなかったよ…。
ぴちゃん、
どこか遠くで水滴が垂れる音がする。
「ねえ、エンディー。私の事覚えてる?私はあなたの事を片時も忘れた事はなかったわ」
「お前は……驚いた。そうか、あの時の子狐か」
「あれからずっとあなたの事を探していたの。あなたの様な力のある妖魔 がよりにもよって魔女の使い魔になっているなんて……一体何があったの?この女に何か弱みでも握られた?」
「……御託は良い、俺はリディア様を返して貰いに来たんだ。さっさと彼女を返せ。さもないと」
「エンディー、あなた本当にどうしちゃったの?」
「悪いが俺はリディア様に真名 を与えている、お前の下には下れない」
「その女に真名を?嘘でしょう?あなた、まさか…、」
都会のヒートアイランド現象とは無縁のこちらの世界の夏は、向こうの世界の夏よりも暑さが緩やかな気がする。
(涼しくて、いいわね…)
特に私が今鎖で繋がれているこの牢は、地下と言う事もあってひんやりとしていた。
問題は湿度が高くて少し黴臭いと言う事か。
あまり気分の良い物ではない黴の匂いにそんな事を思う。
「……判った。その魔女に卑怯な罠に掛けられて真名を盗まれたのでしょう?きっとそうに違いない、・・…なんて忌々しい女!!」
「違う、狐、やめろ!!」
地下室に膨らむ殺気と、切迫感溢れる男の声。
殺気はすぐに収まった。
「……まあ、いいわ。この黒い鎖が何なのかあなたには判るでしょう?これを解いて欲しいのなら、私の物になりなさい」
「だから、俺は真名を彼女に与えていると…、」
「私が今求めているのは貴方の体の方よ」
重苦しい沈黙の後に男が嘆息する音が耳に届く。
「……抱けと言う事か?」
「ええ、今ここで」
「…………。」
「あら。真実の鏡は美人がとてもお好きだと聞いたけど、私が相手ではご不満?」
沈黙が女の言葉を肯定する。
「ふーん?……なら、こちらの姿ならどうかしら?」
「……悪くないな」
「へぇ、あなたも?」
「何がだ」
「もしかしてあなたもホナミを知っているの?」
「いや…」
「ああ、もしかしてこの髪色?西の大陸における黒髪神聖視には未だに慣れないわね。黒髪なんて東の大陸に行けば腐る程いるのに」
「…………。」
重い瞼を開けると、ぼやけた視界の中で長い黒髪の女が男にしなだれかかるのが見えた。
「なぁに、主の前で他の女と交わるのに躊躇いでもあるの?」
「…………。」
「随分その女に入れ込んでるみたいじゃない。妬けちゃうな。……でも、それなら彼女が目を覚ます前に終わらせた方が良いんじゃない?」
「そうだな…」
シュルシュル、とタイを解く音と布ずれの音に意識が覚醒して行く。
(鏡…?)
目に映った物を脳が認識した瞬間、私が思い出したのは、――…出来るならば二度と思い出したくなかった、三浦亜姫の悲惨な初恋だった。
****
世の女性達が男性と話している時、彼等の気の利かなさや空気の読めなさに苛付くのは、彼等の空気を読む能力と共感する能力が女と言う生き物よりも圧倒的に低いせいだろう。
女が友好的な関係の同性と話している場合、もしくは相手が自分の下の立場の同性の場合、おしゃべりをしていてカチンと来る事を言われる事はまずないのだ。愚痴を言い合ってスッキリする事も出来るし、同時にとても気持ち良い気分になれるのが女同士のおしゃべりと言う物である。そしてその実、情報収集も兼ねている。
相手の話に共感し、一緒に泣いて本気で怒る事もあるが、実はその半分近くが――…人によっては、そのほとんどが社交辞令の付き合いで本気ではない。
相手の愚痴に大袈裟なまでに共感したふりをするのは、自分の愚痴に付き合ってくれているお礼も入っている。その一見意味のない様なやりとりを重ねる事で女達は友情を育んで行く。
ガールズトークで女子達がやたら可愛い可愛いを連呼するのもソレだ。可愛いと言われて嫌な気分になる女子はまずいない。だから女の子は皆可愛いと言う。可愛いと言えば、お礼に自分も可愛いと言って貰う事も出来る。
―――しかし、その女同士の暗黙のルールを分かっていない、男並みに空気の読めない女が稀に存在する。
その種の女は女社会で生きる上で浮いてしまう事が多い。――…そう、三浦亜姫がソレだった。
私は友達が求めている言葉や気持ちを察してあげる事が出来ない女だった。
向こうが「可愛い」と言い返して貰いたいからこそ、全く可愛くない私の小物やらピン留めやらを褒めているのに、それに気付けないで真に受ける馬鹿が三浦亜姫と言う女だった。
友達が「ブス過ぎて辛い、整形したいー」なんて言い出せば、「そうだね、鼻は直した方が良いかもね」なんて本音を零してしまい、場の空気を凍らせてしまう女が三浦亜姫だった(勿論この場合の正解は「そんな必要ないよ、✖✖ちゃんは可愛いよ」だ)
それで「アキは毒舌キャラだね…」なんて遠回しに嫌味を言われても通じないばかりか、「そうか、私は毒舌キャラなのか…」とアニメの毒舌キャラと自分を重ねて悦に入り、自ら毒舌キャラを名乗り出して周りを呆れさせるのが私だった。
今の私は、当時の自分が何故周りから自然と距離を置かれていたか分かるのだ。
仲良しグループの子達ですら、二人組を組むとなると私とペアを組んでくれなかった理由が今の私になら分かる。一緒に居て気分が悪くなる奴と好き好んでいたがる人間なんている訳がない。
前世の自分がいつも浮いていた理由を知ったのは、転生してからだった。
前世で言うなれば、スクールカーストの頂点に立つリア充女子が大人にって女王様になったのが、私の転生した鏡の女王リディアンネルだ。彼女が持っているのは美貌や魔力だけでなはなかった。
彼女に転生した後、人生の秘訣ともいえるからくりを幾つも知って、私は驚き、嘆いたものだ。
親も教師も教科書も不親切だ。生きて行く上で大事な事なんて、何一つ教えてくれなかった。
私の様な凡人は余程の幸運に恵まれない限り、人生は一度きりじゃ駄目に決まってる。こんな難しい物 、二、三度やり直さないと上手くやれる訳がない。何故ゲームの様に人生にはリセットボタンがないのだろうか。
しかしどんなに私が嘆いても人生にはリセットボタンなんて便利な物は付いていない。その代わりと言っては何だが、人間には学習能力と言う物がある。
一度転べば、同じ所でまた躓かない様に気を付ける様になる。
私の様な空気の読めない女でも、18年も生きていれば集団生活を送る上で居心地の良いポジションも掴めてくる様になるものだ。
―――しかしいつだって、どこにいたって、そんな私の穏やかな生活を邪魔してくる奴等が居た。
その子達はいつだって良く似通ったタイプで、私が苦手に思う女の子達だった。
私が苦手に思う女の子達ほど、私に纏わりついて来るのは最早ジンクスなのかと思っていた程だ。
しかしどんなに苦手だと思えど、学校生活と言う閉鎖空間は非情だ。元々浮いていた私は、余り物同士必然的にその子とペアを組まざるを得ない。
彼女達はクラスのリア充グループに所属出来る程可愛くはないしイケてもいない、平均よりちょっと上の女の子だった。
なのに異様にプライドが高くて、自分がスクールカーストにおける二軍、三軍のグループに所属するのは許せずに、どのグループにも所属していない子。――…と言うよりも、実は癖があり過ぎてどのグループにも所属出来ない子(私が言えた台詞ではないが…)
クラスメイト全員と満遍なく仲良くしている様で、実は特定の仲良しの友達がいない。その手の女子に私は良く”親友”と言う名のターゲットにされた。
「やーん、また何もない所で転んじゃった☆」
「あたし天然じゃないもん、プンプン!」
「あたし目が大きいって良く言われるけど、目が大きくても良い事なんてないんだよぉ?昨日だって自転車漕いでたら目に虫が飛び込んできてぇ。……アキちゃんくらいの目の大きさなら、そんな事ないでしょー? 羨ましいなぁ、あたしももっと目が小さくなりたーい!」
「アキちゃんおっきくて羨ましいー!あたし、あの棚に手が届かないの-!」
ブスがこんな事を言っていれば自然淘汰されるのが世の中と言う物だが、この手のタイプの女子はブスではない。そこそこ可愛いのが厄介だ。
彼女達はリア充グループの一軍の男子には相手にされる事はないが、二軍以下の男子のグループには根強いファンを飼っている。なので冷たくあしらうとクラスの脳みそがつまってない男子達の反感を買う。
上記した性質だけで十分お分かり戴けると思うのだが、三浦亜姫は決して可愛いタイプでも人好きするタイプでもなかった。
愛想がなく表情も乏しく、釣り目だったせいもあって、黙っていると怒っていると勘違いされる事が多かった。背が高かったから威圧感があったのかもしれない。小学校までは同性に「怖い」と言われる事が多かった。
彼女達はそんな私と違って愛想が良く人好きするタイプだ。勘の鋭い一部の女子に嫌われてこそいるが、皆揃いも揃って背が低く、小動物の様に愛くるしい。
彼女達はいつだって好んで私の隣に来たがった。
私は彼女達の隣でぼーっとと立っているだけで良い。それだけで私は彼女達の良き引き立て役になる。それもあって、彼女達はどんなに私が邪険に扱ってもしつこくしつこく纏わり着いて来た。――…向こうからすれば、私に近付くと言う事はその他にも大きな旨味があったのだ。
「やーん、取れないよぉ、シゲくーん!」
「またかよ。…法子 は本当に仕方ねぇな」
「法子は嫌だって言ってるでしょ、綾ちゃんって呼んで!」
「何が綾ちゃんだよ、綾瀬法子 さん」
「やだやだぁー、綾ちゃんかノンちゃんじゃないとあたし反応しないもん!プンプン!」
「へいへい。ほら、この本か?取ってやればいいんだろ?」
「ありがとう、シゲ君!……えへへ」
「……何?」
「なーんでもっ♪」
―――私には幼馴染の同級生がいる。
その男子は私と違ってスクールカーストの一軍にいるスーパーリア充だ。
私の”親友”になる旨味の大元は、その幼馴染、――下村茂 だった。
彼女達はいつも私の”親友”を名乗って私を踏み台にすると、アイツの所まで大きく、高く飛躍する。
そうして彼の隣に華麗に着地すると、ピラミッドの頂点で悠然と微笑むのだ。
彼女達に踏み台にされた私は土埃を払うのも忘れ、口に入った砂の味を噛み締めながら、遥か下方から二人を見上げて心にもない「おめでとう」を言う。
一見儚くか弱そうな外見をしているが、彼女達は馬力と底力がある。
踏み台にされた背中の痛みは酷いと数カ月、酷い時には数年取れる事はなかった。
「アキちゃーん、あたし、シゲの事好きになっちゃった!あたし達親友だよね、協力してね!!」
小学生でも女は女だ。
高学年にもなれば、一部の女子は色めき出す。
「綾瀬さん、……こないだまでうちの弟の事好きだって言ってなかったっけ?」
早い子だとお洒落だけではなく性に関心を持ちはじめ、クラスの手頃な男子で自分の魅力を確認して遊ぶ小悪魔系の女子もチラホラ現れるのがその年頃である。
高校生のお姉ちゃんが買っているファッション雑誌に載っていたと言う「愛され彼女 の秘訣!男の子の方から告白させる方法☆」なんてマニュアル通りに男子に接して反応を試してみたり、まんまと引っかかり勘違いして告白してくる男子を「きもーい!」と友達間で笑ったり。そんな男子のお馬鹿な反応や、自分に告白して来た男子の数が女の価値やら魅力やら武器になり、時に女社会と言う凄まじく面倒な社会を生きる上での攻撃力や牽制力になる。
「だってー、アキラ君、最近オタクくさいしー……なんか微妙じゃん?」
それを聞いたら、彼女の為にサッカー部に入った弟は泣くだろう。
「それよりもシゲってば格好良いの!サッカー部で主将達にも期待の星とかエースって言われててね、それでそれで!!」
うちの弟は小さい頃はクッソ可愛かったのだが、成長するにつれて平凡顔になっていったタイプだ。
反対に幼馴染のシゲは成長するにつれてどんどん格好良くなって行った。
(そんなの、私が一番知ってる。―――…私の方が、ずっと昔からあいつの事を見てるんだから)
女子が裏で静かに熾烈な戦いを繰り広げる年齢に差し掛かっても、男の子は子供だ。私達女よりも精神年齢が低い。
例に漏れずに私の弟も幼馴染も子供だった。
彼女を作って女の子とデートをするよりも、ザリガニ釣りに行ってケイドロをして秘密基地を作って遊んでいた方が楽しいらしい。
そういう訳もあって、小学生の頃はあいつは彼女達をまともに相手にしなかった。
―――しかし、中学生になるとその辺りの事情も違って来る。
中学校に入学した途端男子達も色気付いて、スクールカースト上位の男子は彼女を作りはじめる。
今思えばタイミングが最悪だった。
小学校を卒業する少し前、幼馴染は私の弟と喧嘩をしたのだ。私はどうせいつもの喧嘩だ、すぐに仲直りするだろうと思って楽観視していたのだが、今思えばそれもいけなかった。
今回の喧嘩は随分と長かった。こんなに長い間あの二人が口をきかない事なんて今までなかった。こんなの産まれて初めてだ。
弟の姉として、奴の幼馴染として何かすべきかと私が悩みだしたその頃、―――…シゲ君に彼女が出来た。
「アキちゃん、おはよう」
声をかけられて振り向くと、そこには私の新しい”親友”が柔らかく微笑みながら立っていた。
登校風景にある他の女子生徒と比べても、ひときわ輝かしい魅力を放っている彼女の名前は有邨 アリカ。
桜並木の中、風と共に流れて来た桜の花弁達が彼女のピンクブラウンの長い髪をふわりと流す。
この桜並木の桜の精霊が人の子に化けてセーラー服を着て現れたのが彼女だと言ったら、100人中99人は信じてしまうだろう儚い容姿をしている。
どう見ても髪は染めているのだが、学校の教師達は有邨さんには注意をしない。彼女が悲しそうな顔で「地毛なんです…」と言えば簡単に信じてしまう。絶対に純日本人には現れない髪色なのだが、ピンクブラウンのそのカラーが、彼女の色素の薄い肌とピンク色の頬と自然に馴染んでいるからかもしれない。彼女はむしろ黒髪よりも、今の明るい髪色の方が似合うだろう。
「有邨さん、おはよう」
「えへへ」
「……なに?」
「なーんでもないっ♪」
通学鞄を持ってくるりと回る彼女にまた、登校中の男子生徒が見惚れて立ち止まっている。
彼女は自分に見惚れていた男子生徒に会釈で返すと、私の手を取り学校の門へと続く長い坂を歩き出した。
「行こ行こ!遅刻しちゃう!」
―――有邨さんは、私の今までの”親友”と違った。
綾瀬さんをはじめとした今までの私の”親友”は、平均か平均よりもちょっと上程度の顔だったのだが、彼女はうちの中学で一番可愛い子だった。顔だけでなく名前まで可愛らしい。
有邨と言う彼女の苗字を聞いた時から、嫌な予感はしていたのだ。――あの馬鹿は、昔から「あ」から始まる響きの良い苗字に弱い。
「大親友のアキちゃんには特別に教えてあげよっかな? トイレ行こ!」
その日、朝から妙にハイテンションの有邨さんの様子から嫌な予感はしていた。
今は尿意もないし、尿意があったとしてもゆっくり排泄する事もままならないので、正直連れションは好きではない。出来るなら行きたくないが私には拒否権はない。
今の私は”学校一の美人の有邨さんに友達になってもらっている幸運な地味子”の立場なのだ。
今だって「三浦さんって有邨さんと釣り合わないよねー」「本当に友達なの?」と自分が影口を叩かれているのを知っている。綾瀬さん達の歴代”親友”達のお陰で、この手の事は最早慣れっこではあるが。
「実はさぁ、私、昨日、シゲにキスされたんだ」
トイレに入って人がいない事を確認するなり彼女がした爆弾発言に、鏡の前で前髪を直していた私の動きが止まった。
「シゲ、ファーストキスだって。マジうけない?」
隣の鏡の前で色付きリップを塗り直す親友の、校則より大分短いスカートのプリーツが揺れるのを茫然と見つめる。
「歯と歯がぶつかっちゃってぇ、本当に初めてなんだこいつって笑っちゃった!意外だよねー、もっと遊んでるかと思った!」
「そう……なんだ…?」
「良かったぁ、アキちゃんにシゲのファーストキス奪われてなくて」
「……だから、前から言ってるでしょ、私とアイツはそんなんじゃないって」
「だよねっ!……でもぉ、キスだけなら、やっぱりキョウヤ先輩の方が上手かったなぁ」
彼女が重ね塗りする透明グロスは、悪目立ちしない程度の小さなラメが入っていて、甘くてとても良い匂いがした。どこのブランドの物だろう。
艶やかに光る有邨さんの唇を鏡越しに見つめながら、幼馴染みのファーストキスはきっと甘くて素敵な物だったんだろうと、漠然と思った。
女子力の低い私はいざファーストキスのチャンスが訪れたとしても、恐らく何の対策をしておらず直前になって大慌てするだろう。もしかしたら唇がツヤツヤ光っているかもしれないが、私の場合は有邨さんの様にグロスを塗ったからではなく、焼きそばを食べ終わった直後の油で光っているとかきっとそんなムードもへったくれもない感じ。もしかしたら歯には青のりのおまけまでついているかもしれない。
(大丈夫。シゲ君、彼女出来ても長続きした試しなんかないもん…)
―――しかし、
私の想像よりも早くその日が来てしまう。
「ねえねえ、聞いて!ついにシゲとしちゃったの! 私はやだって言ったんだけどー、シゲが私の事好きだってしつこいからさー?押しに負けちゃってー、」
告白する勇気も幼馴染と言う居心地の良い関係を壊す勇気もない私は、その日が来るまでーー…いや、その日が来ても、何もする事ができなかった。
「おめでとう」と言って、ただ力なく笑う。
「アキちゃん、トイレ行こうトイレトイレ!」
「……また?」
「実はさっき、教員トイレでシゲにフェラしたからグロス取れちゃったんだ。シゲってばぁ、本当にしつこくてぇ。私そんなにフェラ好きじゃないんだけどぉ、シゲがどうしてもって言うからさー?」
「……そう」
「それで、シゲってば――、」
有邨さんの今日の惚気は長かった。
幼少時から表情の変化が乏しいと言われて来た私だったが、流石の私もそろそろ顔にその感情を出さないでいるのが難しくなってきた。
「……ところで有邨さん、キョウヤ先輩はどうしたの?」
「え?元気だよ?」
「元気とかそういう問題じゃなくて。付き合ってたんじゃなかったっけ?」
「うん、付き合ってるけど?」
「……あんた何股かけてんの、そろそろいい加減にすれば?」
「えー、なんでアキちゃんが怒ってるのー?」
「そりゃ怒るよ。シゲは弟の親友だし、それに私も小さい頃からの友達だし」
「だってー、先輩もシゲも、向こうから私の事好きだって言ってきたんだよ?私は別に好きじゃなかったんだけどー、どうしても付き合って欲しいって言うからさぁ?今は好きになれるかどうか確かめてるんだ。お試し期間中って奴!」
「……そういうのって、どうなんだろう。あんまり誠実じゃないと思うな」
「なんで?好きじゃないのに付き合うよりも誠実じゃん?」
「お試し期間中で、普通セックスまでする?」
「長い間清らかなお付き合いをした後セックスして、相性が最悪だったらどうするの?付き合った時間がもったいなくない?青春時代ってそんなに長い訳じゃないんだからさぁ」
「で、でも…、」
ピンクラメの入ったグロスを塗り直す有邨さんは、ずっと悪戯がバレた子供のような顔で話していたが、――突如、彼女の笑み見下すような冷笑に変化した。
「ねえ、アキちゃん。本当は私の事羨ましいんでしょう?」
「え…?」
―――いつだって親友達の恋の成就を本気で喜んでいない私の本心は、彼女達に伝わっていたらしい。
「何、言って…」
「おめでとうって言った時、目、怖かったよ?」
ああ、そりゃそうだろう。
あんたなんか早く振られろって思ってた。
「でもー、私達親友だし? アキがそんなにシゲが好きなら、飽きたら貸してあげてもいいけど?」
優越感に満ちた目を細めて、勝利の笑みを鏡の中で深める彼女を見た瞬間、――今まで溜めに溜め込んでいた物が全てが爆発した。
ガッ!!
気が付いたら私は手を振り上げていた。
「なにすんだ、てっめ!!」
「ご、ごめん…!」
咄嗟に謝りつつも、トイレの水道前の汚いタイルの上に転がる彼女を見て妙にすっきりしていたのは事実だ。
自分で自分のした事が信じられず唖然としていると、起き上がった有邨さんの手が私の髪を掴んだ。
「や……ごめん、てば!」
「羨ましいんでしょ!自分に言い訳ばっかりして告白する勇気もない、臆病者の癖に!!」
「な…!」
図星過ぎて何も言えない私の頭を有邨さんはそのままトイレのドアに叩きつける。
「弟の親友?幼馴染?でも好きなんだろ!!」
「そんな訳ないでしょ!!シゲはただの幼馴染だって言ってるのに!!」
「私さぁ、お前みたいに行動力ない癖に、行動力ある可愛い子の事僻む事しか出来ない女が一番、大っっっ嫌いなんだよね!!」
「ちょっと、痛いってば!!いい加減にして!!」
いい加減頭に来た私が彼女の髪を掴み返した時の事だった。
「お前達、何をしている!!」
騒ぎに駆け付けた男性教師の声に、有邨さんはパッと私から手を離すとその場に泣き崩れた。
「アキちゃん、シゲの事好きだったんだね……私、私、知らなくて…」
先程タイルの上に転んだ彼女の制服は水で濡れているし、いつも綺麗にセットしている髪もグチャグチャだ。
トイレのドアに頭をぶつけられた私も髪はボサボサだし、制服も乱れているのだが、学校一の美少女の涙に女子トイレの空気は支配される。
「三浦!お前何をした!」
「先生、三浦さんは悪くないの!私がシゲ君の告白を断れば、こんな事にはならなかったのに…、」
(こ、こいつ…!)
言い返したい所だが、私が彼女を殴ったのも事実なのだ。
有邨さんの桜色の頬は赤く腫れている。
リア充の幼馴染に相手にされていなかった地味子が、彼の可愛い彼女を妬んで殴ったと言う既成事実は実しやかに流された。
―――そして、私はスクールカーストの最底辺に落ちた。
私は元から浮いていた人間だ。
浮いていたのは有邨さんも同様だったが、彼女には扇動して自由に動かす事が出来る二軍、三軍の地味系男子 と言う手駒がある分、私よりも格段に攻撃力と防御力が高い。
誰が言い始めたのか知らないが、可愛いは正義とは良く言った物だ。
有邨さんの真実に尾ひれを付けて流した話はまかり通った。
「美少女有邨さんを僻み、横恋慕して逆恨みした上に暴力まで振るった最低地味子」から彼女を守るのは、彼女を心酔する彼女の従順な騎士 達の中では正義なのだ。イジメなどでは決してなく。
それから苦痛だった学校生活が輪をかけて苦痛な物になった。
今日も有邨さんとシゲ君はラブラブらしい。
違うクラスのシゲ君は、恐らく今うちのクラスで起きている事を知らない。例え彼の耳に届いたとしても、有邨さんは上手に誤魔化すだろう。
時折有邨さんにトイレに呼び出されて、彼とのツーショット写メやキスプリを見せられたり、セックス中の生々しい話を聞かされた。
見たくないので断ると、有邨さんは教室中に響き渡る声で「断られちゃった…!!」と叫び、嘆き悲しむのだ。連れションを断っただけでこの女、嘘泣きまでしやがる。
そうすると簡単に「仲直りをしようと声をかけてあげた優しい美少女を足蹴にする性悪地味子」の構図が出来上ってしまい、彼女の騎士団からの攻撃が悪化するので、私は彼女に誘われたらどんなに嫌でもトイレに行くしかない。
―――そんな学校生活で私が前髪を目にかかるまで伸ばしたのは、私に出来る私なりのせめてもの抵抗だった。
「つかさ、お前前髪長すぎ。切ったら?」
「切らない」
「なんでそんなに伸ばしてんの?デコ出せば?お前元はそんなに悪くねぇのに勿体ねぇよ」
「……顔、見せたくないから」
「なんで?」
「シゲ君には分からないだろうけど、三次元には見たくないものが沢山あるのよ」
それでも幼馴染という地位は美味しい。
学校で話す事がなくても、家や近所のコンビニで、彼とこうやって少し話せるだけで私は満足だった。ーーシゲ君に彼女がいたって構わない。私はいつものように少しだけ我慢すれば良いだけだ。きっともう少し。もう少しだけ待ってれば良い。飽きっぽい彼はすぐに彼女と別れるはずだから。
(そしたら私は、今度こそ…)
シゲ君が彼女と別れる度に「今度こそ勇気を出して告白しよう」と思っていたはずなのに、いざ彼が彼女と別れると、そんな勇気はいつもどこかに消え去ってしまう。
そして私は、また彼が新しい彼女を作り腕を組んで登下校する姿を遠巻きに眺める事しか出来なかた。
―――そんなある日の学校帰り。
「白雪姫と7人の恋人…?」
何となく入ったCDショップの、普段は入らないゲームコーナーで私の目に飛び込んで来たのは、インパクトのあるタイトルの恋愛シュミレーションゲームだった。
(小人じゃなくて恋人…、有邨さんより酷いじゃない)
まだ恋人が4人の有邨さんの方がマシかもしれない。
酷いタイトルに苦笑した後、そのやたらとキラキラしているゲームのパッケージの表面と裏面を見る。
(なんかこのチャラ男騎士、……シゲ君みたいだな)
顔は似てない。しかし何だか幼馴染と雰囲気が良く似た騎士の紹介欄をしばらく見つめていたら、出来心が芽生えてしまった。
私は通学鞄から財布を取り出してレジに向かう。
(ゲームなんてくだらないと思ったけど、……気分転換にいいかも)
アキラ君もやってるし。
―――そして私は二次元の世界へ逃げた。
二次元の世界は楽しかったが、リアルは相変わらずだった。
有邨さんとシゲ君が別れた後も、それは続いていた。
スクールカースト最底辺グループの風当たりは強かった。
今の私は人間じゃないみたいだ。
最底辺の人間はいつもしみったれた顔をして、背中を丸めてコソコソ縮こまって生きていなければいけないと言う決まりがあるらしい。
有邨さんと行動するのを止めて以来、私にもオタクグループの友達が出来た。
しかし彼女達と笑ったり、楽しそうにしているだけで「調子にのってる」と理不尽な事を言われたり、机を蹴られたりするのだ。
それでも机を蹴られた方が、背中を踏み台にされるよりはずっと良い様な気がした。
ぴちゃん、
「もしかして三浦の分際でシゲの事好きなんじゃねーの?」
「シゲはアキラの付き合いでお前とも話してるだけだっつーの」
「あんたがあの二人の隣に立ってると浮いてるって言うか」
「だよねー。アキラ君だって格好良いじゃん、本当に双子なの?」
昔から二人のいない場所では良くこんな事を言われたもんだ。
自分達の父親が日本人ではない事はなんとなく気付いていた。
私は母親似だったけど、弟のアキラはそうじゃない。性格も明るいので小学校の頃はクラスでも人気があった。
「有邨さんの事殴ったんだって、信じられる?」
「こわーい」
「調子のってんじゃねぇよブース」
分かってる。だからブスな顔を世間様にお見せして皆さんを不快な気分にさせない様に前髪だって伸ばしてる。
(確かに私、調子に乗ってたのかもしれない…)
こんな美人に転生して、城執事みたいなイケメン執事にチヤホヤされて、私はきっと何か勘違いしていたんだ。
(ああ、確かに私、調子に乗ってたんだわ…)
見たくないのに見てしまったあの子とアイツのキスシーンと、目の前の男女が重なる。
三浦亜姫と良く似た違う女の唇が、彼の唇と重なる瞬間、私は叫んだ。
「エンデミイリオン!命令よ!!私を置いて全力で逃げなさい!!!!」
―――真名を呼ばれた使い魔の緋い瞳孔が開く。
目の前の女を突き飛ばし立ち上がる使い魔に、一歩遅れて彼女も叫んだ。
「させるか!!」
瞬間、炎の鎖を纏った黒い鎖が彼の体を戒める。
ゴオオオオオッ!!
「お願い逃げて!!死んでもいいから逃げなさい!!」
「アキ様…!」
炎の向こうの彼に叫びながら、我ながらなんて無茶苦茶な命令だろうと思った。―――…しかし真名を私に渡した妖魔は、死んでも私の命令には逆らえない。
「必ず…お助けに参ります……!!」
彼は私の事を仇敵を睨む様な憎々しげな目で一睨みした後、歯を食いしばりながら炎の鎖を千切った。
「私の鎖が…!?」
妖狐が慌てて作り出そうとした、未完成の空間を引き裂いて男は消えた。
空間を引き裂く音は男の悲鳴の様だった。
「逃がしたか」
妖狐は手に付いた血を舐めながら面白くなさそうな顔で、彼が消えた方を眺めていた。
(やった……やったわ…)
「ふふ、ふふふふふ…」
彼が作った赤い水溜りを見て、私は笑っていた。
かなりの出血量だが鏡は人間ではない。その体がどんなに切り裂かれ様とも死ぬ事はない。
ガッ!
私の手首を繋いでいた鎖に炎が帯びた瞬間、鎖が蔓の様に伸びて体全身を締め上げる。
「何を笑っておる、気持ちが悪い」
スクールカースト底辺の住人なめんな、気持ち悪いなんて毎日言われてたっつーの。
今更その程度の暴言でこの私が傷付く訳ないだろ。
「言ったでしょう、自分の男を他の女にくれてやる趣味はないの」
「小癪な。……お前には少し自分の立場を判らせてやった方が良さそうじゃな…」
暗い目で舌なめずりをする女を見て、私は笑った。
(これでいい、これは私が調子に乗った罰なんだ)
そう思うとこの痛みすら甘美だ。
―――調子に乗った罰なら受けます。リディアンネルの罪も全部私が償います。だから神様、お願いだから彼を私から奪わないで。
『これ以上覗くのは悪趣味ですよ王妃様』
『なんだかとっても聞きたくない質問の気がするんですが、……何でしょうか、王妃様』
『ちなみにアキ様。……その肉便…EDと、重婚EDってどう違うんですか?』
『あ、アキ様、そんなに興奮しないで下さい!!ってか、鏡を叩かないで下さい!!割れてしまいます!!』
―――鏡が他の女に触れるなんて、絶対に嫌だ。
『そんなに良いですかねぇ、私の方がずっと良くないですか?』
『また鏡ばかり見て。今度は誰です?……イルミ様ねぇ、私も明日は眼鏡でもかけてみますかね』
『今日はエルヴァミトーレか、……女装は、流石に私には厳しいですよねぇ、うーん』
ねえ、鏡。
私、あんたの事が好きみたい。
『私は少しでもアキ様の近くにいたいんですよ』
『アキ様は私の事はお嫌いですか?』
ねえ、鏡。
私、あんたの事が好きみたい。
『……エンディミイリオン』
『え?』
『私の名前です。私の留守中、何かありましたら呼んで下さい。呼ばれれば、アキ様がどこに居たとしても私には分かります。呼ばれればすぐにあなたの元に馳せ参じます』
『なん、で……?』
私さ、あんたが他の女に触れたり他の女の事を可愛いなんて言ってる所、見たくないんだ。恋人同士でもないのに勝手な話だと思うけど、そんなの絶対に許せない。そんなの死んでも見たくない。
(私、強くなったのかな…?)
―――多分、三浦亜姫だったら二人が愛し合う所を泣きながら見守る事しか出来なかっただろう。
皮膚の焦げる匂い。
肉に喰い込む鎖。
(ありがとう、鏡の女王様。―――…そういえば私、ずっとあなたみたいな強い女の子になりたかったんだ)
―――多分、三浦亜姫だったら目の前の女に許しを乞いてみっともなく泣き喚いていただろう。
私、あなたになれて良かった。本当に良かったよ。
悪役かもしれないけど、あなたは私がずっと欲しかった強さを持っている。
(今の私なら、多分、有邨さんにも綾瀬さんにも負けないわ…)
ベチャベチャと自分の体から漏れ床に落ちる赤が、彼の残して行った赤と交わった瞬間、また口元に笑みが浮かんだ。
(一緒だね、鏡…)
痛くない。
もう痛くない。全然痛くなんかない。
「……痛くないわ。噂のカルネージの狐も大した事ないわね」
心の声はそのまま口から零れた。
「……あいつは私の男 よ、あんたになんか死んでも渡さないんだから」
涎みたいに口の中に溜まっていて気持ちの悪い赤を吐いて嗤うと、妖狐の顔が歪んだ。
「……いいわ、そんなに痛い思いがしたいなら、たっぷり可愛がってあげる」
―――私はもう、昔の私じゃない。
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