『Shirayukihime to 7 Nin no Koibito』to iu 18 kin Otomege Heroin ni Tenseishiteshimatta Ore ga Zenryoku de Oujitachi kara Nigeru Hanashi chapter 60

恋人4、Doc
 スノーホワイトはその後、ちゃっちゃとサンドウィッチなどの軽食を作り、紅茶を入れたポットと、カットされたフルーツと赤ワインらしき物が入っている瓶をバスケットにつめた。

「なんですか、その作りかけのジャムの様な物が入った瓶は」
「ああ、これですか?こないだエルと一緒に作ったサングリアです」

 スノーホワイト曰く、赤ワインの中にカットしたフルーツを漬け込むその飲み物はリンゲインの民達の間でとても愛されている飲料らしい。
 ワインを飲んだ後、それにブランデーや砂糖を多めに加えて行けば長期保存にも向くと言う。

(なるほど。早飲みタイプの安ワインが古くなり劣化したものと、傷んできた果物を同時に処理し、長期保存出来ると言う合理的な飲み物だ。庶民の生活の知恵だな)

 今回持ってきた物は林檎と無花果(いちじく)生姜(ジンジャー)をワインとブランデーに漬け込んだもので、紅茶と一緒に飲むと体が温まって良いのだとか。
 そんな事を話しながら、ランプの中に魔術の火を灯した物を持って暗い森の中を歩く。

 夜の森は冷える。話の流れで何となく肌寒さが気になった。
 スノーホワイトはそんなに遠くまで行くとは思っていなかったのだろう。
 夜着の上にミモザ色のカーディガンを羽織ってはいるが、その薄手のカーディガンだけでは寒そうに見えた。
 上着を脱ぎ、彼女の肩にかけてやると、スノーホワイトははにかみながら「ありがとうございます」と言って微笑み――、

ガッ!

「きゃあ!?」

 何かに躓いた。

「気をつけなさい」

 転倒しかけたスノーホワイトを抱きとめながら、彼女が躓いた大地から浮き出した木の根を見やる。

(この明かりでは足元は良く見えないか)

「また転ぶといけない、私の腕に捕まって歩きなさい」
「は、はい」

 スノーホワイトは私の腕を取り、それからしばらく二人で夜の森を歩いた。
 会話はなかった。

―――互いに口を閉ざしたまま数分歩いた後。

 スノーホワイトは口元を手で押さえると、何やらとてもおかしそうな顔でクスクスと笑い出した。

「何ですか?」
「いいえ、何でも」
「気になりますね」
「言ったら怒られてしまいますもの」
「ほーお、怒られてしまう様な事を考えていたのですか?」
「い、いえ!……ただ、イルミ様が優しくて嬉しいなと思っただけです!」

・・・・・・。

(……そうか?)

 そう言われて一瞬考えてしまった。

「私はいつだって優しいでしょう?」
「いいえ、そんな事ありません。イルミ様が私にお優しいのは、私と二人きりの時だけだわ」
「……そうですか?」
「そうですよ、イルミ様は皆と一緒の時はいつも意地悪です。エルヴァが居るともっと意地悪になるの。いつもこうなら良いのに」
「…………。」

 前者はともかく後者は自覚があるだけに、黙る他ない。

「エルヴァミトーレはイルミ様の事を誤解しています。何故彼にあの様な態度を取るのかお聞きしても良いですか?」
「さあ。そんな事を聞いて貴女はどうするつもりなのですか?」
「……私、アミー様に聞いて知っているんです。エルヴァミトーレをここに連れて来たのはイルミ様なんだって。エルヴァミトーレの失墜に加担したのは、彼を守る為のイルミ様なりの苦肉の策で、折衷案だったのでしょう?」

(本当にあの男は)

 スノーホワイトに部下達の事情を聞かれ、鼻の下を伸ばしながらにやけ面でへらへらと答えているあの王子(ドーピー)の図が頭に浮かぶ。
 あの男は自分の事情は彼女に何も話していない癖に、人の事情だけべらべらと話し過ぎだ。

「……どこまで聞いた?」
「これが全てです。他にも何か事情がおありなのですか?」

 明日あのふざけた男に嫌味の一つでも言ってやろうと思いながら、一つ溜息を付く。

―――事実だった。

 ルジェルジェノサメール城では今、嫌いな人間や邪魔な人間が殺し放題と言うとても酷い状況になっている。
 ある程度の権力を持ち、ある程度頭が回る者限定の話ではあるのだが、今なら合法的に城内の人間を抹殺する事が可能だ。
 消したい相手がいれば、その者が寵妃ホナミに嫌われる様に仕向ければ良い。または彼女と陛下がいちゃついているのを邪魔させる役目を押し付ければ良い。そうすればすぐにその者の首が飛ぶ。

 あの坊やは首が飛ぶ寸前だった。

 その寸前であえて私達一派と言う事にして失脚させ、ホナミの怒りを静め、そのまま私達と共に追放処分を喰らうように仕向けた。

「坊やには話したのか?」
「いいえ、そんなの話したらイルミ様に叱られてしまいますもの」

 まあ、悪くない判断だ。

 もし話していたら、今まで私が彼女に試した閨事の全て戯れと感じる位、情け容赦ない非人道的なお仕置きメニューを用意していた所である。

「ただ知りたいな、と思ったのです」

(何故だろうな、私はこんな酔狂な性格ではなかったはずなのだが)

 彼女に自分の事を知りたいと言われ、邪気のない瞳でこうやってジッと見つめられると、何故か「お前には関係ないだろう」と冷たく突き放して一笑する事が出来ない。
 そんな自分に自分で驚きながら口を開く。

「……好き嫌いの問題ではなく、あの坊やを生かす事が私にメリットがあったから生かしただけです」
「メリットとは?」
「伯爵家の存続の問題です。あの坊やはまだ経験は少ないが優秀だ。世襲貴族の議席などを利用せずとも、今回の様な潰しに遇わなければ一人で私の所まで伸し上がって来るでしょう」
「あら、イルミ様も彼の事を認めていたんですね」

 クスクス笑う彼女を無視して話を続ける。

「あの坊やが非常に高い魔力を持っているのも事実です。腹違いの兄弟は沢山いるが、魔力を持っている義兄弟はあれだけだ」
「つまり?」
「……死ぬつもりはないがこんなご時勢です、私にもしもの事があった時の保険はあった方が良い」

 私の答えに彼女はクスクス笑いながら、したり顔で「素直じゃないんだから」と嘯いた。
 他の者に同じ事を言われたら倍どころか十倍位の嫌味を返す所だが、皮肉を言う気も起きなかった。

「ところでイルミ様、どちらまで行かれるのですか?」
「さて、どちらまで行きましょうか」
「あら。行き先を教えてはくださらないのね」
「どこに迎っているか知らない方がきっと着いた時の驚きも一入(ひとしお)ですよ」
「ええ、そうね、その通りだわ」

 私の返答に誕生日プレゼントの包装紙を開ける子供の様にはしゃいで笑う彼女に、不思議な気分となる。

(それにしても無用心な娘だ)

 このまま私がどこか遠くに連れ去ってしまうとは考えないのだろうか?
 人質にされる可能性や、殺される可能性などは考えないのだろうか?

 私はリゲルブルクの元宰相だ。

 元とは言え、アミール王子が国を取り戻せば私もまた宰相の地位に返り咲く事が約束されている。
 そして私は先のバルジャジーア侵略とグデアグラマ国境紛争時に、非人道な策を用いて西の大陸を震撼させ、鉄血宰相と呼ばれた父よりも恐ろしいと行政府の人間達に言われて来た男だ。

 体を何度か重ねただけで、何故こうも私の事などを信用出来るのか。

―――私がリゲルブルクの宰相として、教皇国戦の時間稼ぎの為に彼女の首をカルヴァリオに捧げ、ミカエラの機嫌を取る可能性だって考えられるのだ。

 ルジェルジェノサメール城で宰相として働いていた頃の私を知っている人間なら、誰もがそれをする為に今スノーホワイトを手元に置いていると信じて疑わないだろう。

 国政から遠ざけられていたとは言え彼女も馬鹿ではない。リゲルブルクで自国の事を疎ましく思っている勢力の事は知っているはずだ。
 友好国言えどもリゲルブルクくらいの大国となれば、国内には様々な勢力が存在する。
 言ってしまえば、貴族院や行政府の人間達は大抵リンゲインの事を疎ましく思っている。
 民達の間ではロードルト・リンゲインの伝説や影響力は健在だが、現実主義な官僚間では違う。税をリンゲインの援助に回す事などせず、さっさと教皇国の贄にしてしまえと言う勢力。むしろさっさと侵略して自国の領土にしてしまえと言う勢力まで存在する。
 自国の税をリンゲインに回す事を良しとしない役人は多い。
 そして税の見返りの様に、代々王子や姫を差し出して来て婚姻を結ぶ王室間の風習を面白く思わない者も多かった。

 何を隠そう、私もその中の一人だった。

 宰相になった私が一番最初にしようと思っていた仕事は、リンゲインを見捨てる事だった。――そして次にリンゲインの侵略し、自国の領土とする事だった。

 だが私は宰相になって初めて、それが今まで出来なかった事情を知る。

(ウンディーネ…)

 我が国が奉る女神の名を思い出し、私は渋面を浮かべた。

 それはリゲルブルクに加護を与える水の精霊ウンディーネと、ロードルト・リンゲインが従えていたと言われている金色の竜の精霊界においての上下関係にあった。

 精霊の世界にも色々あるらしく、ウンディーネはロードルト・リンゲインが従えていた金色の竜――…水竜王に逆らえない。精霊達の世界においての水竜王の地位は、水界の王の地位と同等の物らしい。

 何故そんな精霊界の大物が人間界にいるのか、そしてただの人間のロードルト・リンゲインに力を借したのかは私の知る所ではない。
 人間の私には精霊界の事情など知る由もないのだが、何故か妙に精霊界の事情に通じているアミール王子曰く、水の精霊達は水竜王の庇護下にあるのだと言う。

 つまり自国にウンディーネの加護がある限り、リゲルブルクはリンゲインを助け続けるしかない。

 それを聞いた時、我が国の女神様はまるで貧乏神ではないかと思ったものだ。
 そんな精霊の加護など捨てれば良いと思ったが、そうもいかない事情があるらしい。
 自然界の法則として、精霊の加護を受けた土地から加護がなくなれば今までのツケが一気に帰って来ると言うのだ。――つまり、今までウンディーネにの加護により、清らかな水に恵まれ農作物がスクスク育っていたのとは反対の事が起こる。水源は枯れ、大地は痩せて作物は育たなくなり、国土は荒れ果てた荒野となる。
 リゲルブルクは建国してから二千年の歴史があるが、その間ずっとウンディーネの加護を受けている。彼女の加護を失えば、この先リゲルブルクには二千年雨は降らず、干ばつが続き、荒廃する事が確定する。

―――よって国が滅びるその日まで、ウンディーネの加護を受けながら、行きつく所までとことん行くしかないのだと言う。死なばもろともと言う奴である。



 宰相になったその日、アミール王子にその事情を聞いて私はしばらく絶句した。

『それは……何がなんでもウンディーネの加護を失う訳にはいきませんね。一つお聞きしたいのですが、他にもウンディーネの加護を失う条件はあるのですか?』
『ああ、いくつか存在するよ。しかし残念だが、今の君に全てを教えてあげる事は出来ない』
『何故です、私はこの国の宰相ですよ?』
『そうだね、君はこの国の宰相であり私の良き友だ。――しかし君は私に真の忠誠を誓った(しもべ)ではなく、現状私に協力する事にメリットがあるからの仮初めの忠誠を誓っているだけだろう? ああ、ごめんね、別に君の事を責めているわけではないのだよ。私と同じ様に、君には君の守るべきものがある事は重々承知している。ただ、いつ自分の寝首をかくかも判らない男に教えられる事は限られている』
『まあ、それもそうですね』
『でも一つだけなら教えてあげるよ。代々我が王家に伝えられているしきたりの中に、”太陽に足を向けて寝るべからず”って奴があるんだ』
『それは、まさか…』
『ああ、そのまさか。我が国の東に位置する闇の森に眠る水竜王、そして東に位置する日出づる国の主、――…水竜王が愛した太陽王の末裔へ心を尽くす事だ。それを破ればウンディーネの加護を失うだけでない。水竜王はミュルクヴィズの湖から消え、闇の森が拡がり、世界は闇で閉ざされると言われている』
『…………。』
『元々ミュルクヴィズはあんなに大きな森ではなかったんだよ。ただ嘆かわしい事に、いつの時代もリンゲイン侵攻を考える不届き者が出る来てね。その度に我が国はウンディーネの怒りを買って滅びかけた』
『1229年にリンゲイン侵攻がありましたね。……まさかとは思いますが、それから1235年まで続いた我が国史上空前絶後の大飢饉の引き金がそれなのですか?』
『そう。貴族院が出来て王室の権威が著しく低下した時代だね。王室が必死に止めるのを無視して、貴族院の馬鹿がリンゲイン侵攻を開始したんだ。しかし軍の侵攻はすぐに止まる事となる。リゲルブルクには雨の恵みはなくなり、日照りが続き、水源は枯れて土壌が乾き痩せ細って農作物が育たなくなった。それによる食糧不足と水不足で深刻な飢饉見舞われて、国が滅ぶ寸前まで行った。それと同時進行でリンゲインとの国境沿いにあった闇の森は、我が国の領土へと拡がって行った。ご先祖様の記録によると当時は本当に大変だったみたいだよ』
『……もしや1328年ドゥ・ネストヴィアーナの禍害、1444年のアポレッソ旧市街の禍難、1589年デリーアイダ旧市街未曾有の大飢饉辺りもそうなのですか』
『そうそう。流石イルミ、良く年号まで覚えてるね、凄いなぁ』
『……学校で習ったでしょう』
『あはは、私はもうそんなのとっくの昔に忘れちゃったよ』
『……自国の歴史くらい覚えていてください、アミール 王 太 子 殿 下』
『そんな王太子殿下を強調しないでおくれ。私はこの通り文系だから、数字を覚えるのが苦手なんだ』
『史学は文系です』
『まあまあ、細かい事はどうだって良いじゃないか。まあ、それでアポレッソとデリーアイダなんて滅びてしまったんだよね。王室日誌によると1600年代に貴族院から王室が権威を取り戻すまで、100年に1度ペースで歴史に学ばぬ愚者が現れたのだそうだ。その度に私のご先祖様達が必死にウンディーネの機嫌を取った記録も残っている。ウンディーネの機嫌を取る方法は実はいくつかあるのだが、ご先祖様達が試行錯誤した結果、「ほら、太陽王の末裔がまたうちに嫁いで来ましたよ!私達は仲良しですよ!」って奴が一番効果的だと言う事が分かった。王子でも良いのだが王女の方が機嫌が取れる。逆にこちらから向こうの王家に送り出すのは王女よりも王子も方が良い。産まれた順が早く有能で、国にとって重要な王子になれば尚の事良い』
『……つ、つまり。リンゲインが我が国への資金援助の見返りに王子や王女の婚姻を取り付けていたのではない、と?』
『その通り、事実はまったく逆なんだ。だからこそリンゲインに王子や王女が産まれる度に、我が王室の人間は涙ながらに祝福し、大量の貢ぎ物を抱えて一族総出で駆け付ける。そして何度も何度も頭を下げて結婚の約束を取り付ける。しかしそれでウンディーネの機嫌が取れても水竜王の方はまた別件なんだよね。嘆かわしい者達のせいで闇の森は徐々に拡がって行った。近年我が国とリンゲインはとても友好的な関係を築けている甲斐もあり侵食速度は落ちてはいるが、それでも闇の森の我が国の領土侵食は止まってはいない』
『あー…なんですか、ひたすら森の木々を伐採して行っても駄目なのですか?』
『駄目。木を伐採すれば逆に水竜王の怒りを買ってしまう事となり、森は侵食速度は速まってしまう』
『…………。』
『だからね、イルミ。リンゲインを侵略して領土にするとか、教皇国の贄にするとか、お前達の言っている事は私からすればとんでもない事なんだよ。リンゲインあってこそのリゲルブルクなんだ。あの国はリゲルブルクの命綱を握っている。同時に人間界を闇に帰す爆弾を抱えた恐ろしい国でもある。下手をすれば世界が闇の森に包まれてしまう可能性だってあるのだから』

 「ならばその事実を公表しろ」と思ったが、そうもいかない事にすぐ気付いた。
 それを公表すると言う事は、全世界に我が国の最大の弱点を公表する事となる。
 だからこの話はリゲルブルクの一部の重鎮しか知らない。
 そしてこれがリゲルブルクの王室をはじめ、うちの重鎮達が皆リンゲイン贔屓だと言われている理由なのかと納得した。

 事情を知ってしまえば、我が国は今後もリンゲインを援助し様々な物から守り続けるしかないと言う結論に至った。 

 自国の歴史とアミール王子に聞いた話を総合すると、リンゲインが他国から侵略されている所を助けると水竜王の怒りが収まるらしい。
 一つ一つ自国の歴史を確認してみると、他国から侵略されたリンゲインを我が国が救出しに行っても逆に水竜王の怒りを買っている時もある。アミール王子の話によると、それはリゲルブルクが他国をけしかけてリンゲインを侵略させた時の事なのだそうだ。

 しかし今回は私達が頼むまでもなく、教皇国はリンゲインを落とすだろう。

 それを助けた後、教皇国からリンゲインを守ると言う建前で、リンゲイン国内と教皇国国境に我が国の軍隊を駐留させる。
 教皇国に荒らされたリンゲインの復興を助けると言う名目で、リンゲインの自治権を奪わないまま自国の領土の一つに加え、現地に置いた軍でリンゲインを実行支配する。それが宰相として私がアミール王子に出した案であった。
 それならば水竜王の怒りは買わないだろうという算段である。
 その後アミール王子が私に打診して来た、明らかに実現出来る可能性が低い案は却下した。この策で行くと言うと彼は納得していない様子であったが、今の現状、これが最良の策なのだ。

―――しかしそれもホナミがリンゲイン侵攻を始めれてしまえば全てが徒労に終わってしまう。

 我が国は干上がり、闇の森の侵食は更に広がって行くだろう。

(陛下もそれを解っているはずなのだがな……)

 しかしリゲルブルクの王室には謎が多い。
 まだまだ秘密があるように見えるが、私がアミール王子から聞きだせた話はここまでだ。


****


「あの、イルミ様」

 あの坊やと駄犬が作った家庭菜園を越えしばらく歩いた所で、スノーホワイトはおずおずと私に問いかけて来た。

「今の時間、アミー様の結界を出るのは危ないのでは…?」
「私がいても不安ですか?」
「い、いえ、そういう訳では…」
「空を月を見てごらんなさい、月が青いでしょう?」
「え?ええ」
「月が青い夜は、魔物の類は比較的大人しくなるのです」
「そうなのですか?」

 驚き目を見張るスノーホワイトに私は無言で頷いた。

 この世界には二つの月がある。
 一つは天上に浮かぶ、満ちては欠ける小さな月。
 一つは地平線の向こうに半分顔を覗かせる巨大な月。こちらは満ちる事も欠ける事もせず、朝も昼も夜も、ただそこに厳かに半円球の顔を覗かせている。

 天上にある小さな月は、満ち欠けと共に赤、黄、青と色を変える。
 赤い月は魔の物達がもっとも凶悪になる夜だが、魔の物達は黄色になると落ち着きを取り戻し、青い月になると鳴りを顰める。

 青い月が満ちようとしている。 
 恐らく明日か明後日には、青の満月の夜が来る。

 勿論月が青いからと言って絶対に安全と言う訳ではないが、私の経験上、月が青く満月に近いこの時季は比較的安全だ。
 例え夜の森で狼や魔獣と遭遇しても、彼等には戦意がなく素通りされる事が多かった。

「お父様が青いお月様の夜に森に行くと危険だとおっしゃっていたわ。子供は精霊に攫われてしまうって。そして精霊の子と取替え子にされてしまうのだと」
「貴女はもう子供ではない、大人の女だ」

 言葉に先程の交わいを揶揄として含ませてみれば、スノーホワイトの頬がポッと赤らんだ。

「貴女のお父上の言葉は別に間違ってはいない。青の月夜は精霊達の動きが活発になる。森には精霊が多い。それもあって青の月夜は、森の中では不思議な事が起ると言われています」
「イルミ様は精霊に浚われた子供がどうなるのかご存知なのですか?」
「さあ。精霊やトロールによる取替え子の話はたまに聞きますが、あれも検証してみれば大抵は人間側の嘘ですしね」
「……何故人はそのような嘘を付くのでしょう」
「自分の思い通りにならない可愛気のない子供なんて、自分の子供ではないと言う親のエゴでしょう。人の親になったからと言っていきなり人間が出来上がる訳ではない、未熟なまま親になる人間も少なくない」
「そう…ですね。……ああ、そうだわ!イルミ様のご両親はどのようなお方なのですか?そう言えばお聞きした事がなかったわ」

(このタイミングでそれを聞くか)

 思わず苦笑してしまった。

「イルミ様?」
「ああ、すみません。もうどちらも死んでます」
「す、すみません……、私、」
「いいえ。父は血も涙もないと言われていた宰相で、戦時には軍師としても活躍し、何度も我が国を勝利に導いたそうです。ラインハルト国王陛下とはパブリックスクール時代からの親友でもありました。母は社交界で流行を作り出すのが得意で、自身のファッションブランド店も出している根っからの商売人でしたね。我が国の社交界に龍涎香りゅうぜんこうを流行らせた事から、灰色の琥珀の貴婦人(マダム・アンブルグリ)と呼ばれていたそうです」
「まあ、とても素敵なご両親ですね」
「さて、……大局的な見解から言ってしまえば、どちらも平凡な男女だったのだと思いますよ」
「平凡、ですか?」
「ええ、完璧な人間などこの世に存在しない。完璧な親もね。良い親でもありましたが悪い親でもあった。そう言った意味ではとても平凡な両親でした」

 両親の死にも対して何も感じなかった。

 母の死は「思ったよりもったな」と言った印象だったし、父の死は珍しく父が読みを誤ったなと言った印象しかなかった。

 いつも冷静であった父だが、彼は昔からラインハルト国王陛下の事になると少々おかしくなる。
 今回もそれであった。
 陛下が旧知の友である父の忠言よりも、ホナミを選ぶ事は誰の目にも明らかだった。なのに父はそれに気付けなかった。

(支配欲の強い男だったから、陛下が自分の支配下から逃れた事が許せなかったのだろうな…)

 それよりも何よりも父が一番許せなかった事は、自分の仕える主人が女の言いなりになってしまった事だろう。
 今の陛下の様に女の尻に敷かれて良い様に使われている男が、父が最も許せないタイプの男だ。
 自分の唯一無二の友であり、良き理解者だと公言していた陛下がそうなってしまった事が父の逆鱗に触れた。

 しかし私からすればそんな怒りの感情に支配され、判断を誤るなんて愚かだとしか言えなかった。

―――暗殺だった。

 それも私からすれば父の慢心だとしか思えなかった。

 ホナミは、陛下が首を切れない相手や城から追放し難い重臣は毒殺すると相場が決まっている。
 父も陛下にホナミの事を忠言した後は、自分もホナミの毒殺対象として選ばれていた事を当然知っていたはずなのだ。だからこそ以前にも増して身辺警護に気を配るべきだった。

 だからこそ父の葬儀で涙を見せたあの坊やの事が信じられなかった。

『……何故お前が泣く?』
『あなたは…父親が殺されて悲しくないんですか?悔しくないんですか?』
『悔しい?……坊やは随分と不思議な事を言いますね』
『あなたの親でしょう』
『動物は老いを迎え、一人で歩く事や獲物を獲る事が出来なくなれば、あとは他の動物に狩られるか静かに死ぬのを待つ他ない。人も同じです。父は老いた。ただそれだけの事』
『ホナミなんでしょう、……仇を討とうとは思わないんですか?』

 その言葉に思わず吹き出してしまった私を、彼は不可解な生き物を目にする様な顔で見ている。

『父が愚かだったのです。誠心誠意訴えれば、陛下はホナミではなく旧知の友である自分を選ぶと信じて疑わなかった。……あの人も老いたんですねぇ』
『……もしかして、父の事が嫌いだったんですか?』
『はあ?』

(さっきからこの坊やは一体何を言っているのだ?)

 むしろこちらからしてみれば、何故お前が泣けるのだと不思議でしかない。

 調子が良く外面だけは異様に良い父に絆されてしまった様だが、父はこの坊やの事も彼の母親の事も探してすらいない事を私は知ってる。

 彼の母親は、――クロエは、本当に父が弄んだ数百といる女の中の一人でしかないのだ。

 その子供が思ったよりも優秀で魔力を持っていた。だから珍しく特別扱いしただけだ。
 婚外子を合わせても、魔力を持って産まれた父の子は私とこの坊やの二人だけだった。
 彼が魔力を持っていなかったら、優秀な家庭教師を付けずとも高級官僚の国試に一発で受かる様な頭脳を持っていなかったら、父はいつも通りはした金を握らせて屋敷から追い返していただろう。
 女だった場合は小金を握らせ体を開かせて、しばらく楽しんで飽きたら捨てていただろう。父はそういう男だ。

 家名の事だって、税金免除にこの坊やが使えるから与えただけだ。
 この国ではこの様なケースの場合、一年以内であれば「間違いでした」と言う事にして、家名など簡単に取り返す事が出来る。
 財産分与の事だってこの坊やのタイミングが良かっただけだ。
 最近ますます険悪な関係になった母に、父は自分の死後に渡る金を少しでも少なくしたいと思っていた最中だった。坊やに家名を与えたのだって、口うるさい母に対する嫌がらせであったのだ。

 昨今リゲルブルクの貴族社会でも、恋の歌を歌う吟遊詩人や叙情性の高い恋愛賛美の歌劇(オペラ)の影響で恋愛結婚の波が広がって来たが、まだまだそれは主流ではない。
 失う物の少ない下位貴族のご令嬢――つまり大した権威も財産もない家の、跡取りではない自由な身分のご令嬢様方のお戯れに過ぎない。
 この国の高位貴族にとって、結婚とは未だに爵位や財産の継承を目的とした家同士の縁を結びつける制度である。
 子供の結婚相手を決める権限は親が握っている事が多く、そこには子供の意思や好き嫌いの感情が介入する余地はない。
 私の祖父の代までは、親に逆らうと死刑と言った法律もあったので、個人的には随分と生きやすい時代になったと思う。

 特に貴族女性は、結婚する事によって恋愛をする自由を手に入れた。これはとても大きな進歩だろう。
 ご令嬢方が結婚するまで貞潔である事を求められる事は変らないが、一度結婚さえしてしまえば異性と自由に恋愛を楽しむ事が出来るようになったのだ。
 その社交の場が王都の中心で毎週末開催されている仮面舞踏会であり、文化人や学者、流行の音楽家やら芸術家やらを招き、一見衒学な装いに見せかけた奥様方の秘密のサロンである。
 下々の者の家の事は知らないが、貴族間の夫婦と言うものは互いの恋人の存在を許容し、互いの恋愛を尊重する。それがこの国の上流階級を生きる人間の結婚生活においての作法とされている。

 そう、この国の貴族社会において愛人と言う物はとても一般的な存在なのだ。

 愛人に巨額の大金を注ぎ込んで家を傾けたり、愛人に本気になって駆け落ちしたりして、家同士の結びつきを破綻させる様な真似さえしなければ、とりたてて非難される事はない。

 しかし母の母国は違う、アドビス神聖国は貴族間でも恋愛結婚が主流の国だ。

 その文化の違いにより、父と母の間に齟齬が産まれた。

 父からすれば結婚したので親の支配下から逃れ、自由恋愛が愉しめる様になったはずなのに、妻が何故か邪魔をする。
 母も母で「君も外で自由に恋人を作って来ると良い」と言う父に腹を立てる。
 元々母の様に男に対して従順でない女は、父からしてみれば愛玩するに値しない。
 恋愛至上主義の表現者達の手によって最近はその空気も薄まりつつあるが、私の両親が結婚した時代は、配偶者を愛してしまった人間は赴きがなく、教養がない者だとして蔑まれる時代であった。
 この様な事が起きるから、いつの時代も国際結婚は難しい。
 母は政略結婚の道具とされ、産む機械として利用されるだけ利用され子供を産ませられた後、父が外で他の女と楽しむ事を決して良しとはしなかった。
 だからこそ父の妻の座に居座り続けて、父の自由恋愛の邪魔をし続けた。……とは言っても父は妻子がいたところで、母の目の届かぬ所ではいつもあの通りだったのだが。
 自分の恋愛を邪魔する母は、父からしてみれば生涯悪妻でしかなかった様だ。

―――母の人生の一番の不幸は、何だかんだで父を愛してしまった事だろう。

 父はまさか母が死ぬとは思っていなかった様だが、私はそう遠くない未来、母は自害するだろうなと思っていた。
 自分を産んでくれた事や、世界でも有数の豪華な生活を送らせてくれている事は感謝していたので、何度か母に「父と別れて自国に帰るべきだ」と忠告をした事はあった。
 しかし彼女は父と別れて自由になるよりも、父にしがみ付き、父に自由恋愛を邪魔をして嫌がらせを続ける人生を選ぶと言う。

 幸せにはなれないだろうが、母の人生は母の物だ。
 彼女がそうしたければそうすれば良いと思った。

 異国での馴染みない結婚観と風習、価値観の違う伴侶に追い詰められ、母は一歩一歩死刑台を昇って行った。

 私は子供の頃からただ黙ってその背中を見守っていた。

―――私は本当に昔からそういう冷たい男だった。

『好ましい部分もそうでない部分もありましたが、それが何か』
『……仲が良くなかったんですか、それとも僕のせいですか?レベッカ婦人の事があったからですか?』

 夫婦仲は冷え切っていたし、最後の方は憎しみあっていたが、私自身は別に父も母も嫌いではない。

 どちらも尊敬にたる部分はあったし、愚かだと思う部分もあった。

『貴方は何も関係ない。貴方も知っての通り、私は父とも母とも円満な関係でしたよ。両親とも尊敬している部分もあれば、どうしようもないと呆れている部分もあった。何不自由のない豊かな生活を送らせてくれた事や、世界最先端の高等教育を受けさせてくれた事は感謝しています。ただ、どちらにも泣く程思い入れや愛着がないだけです』
『……親を好いている人間にこの様な場所で「両親の事が好きか嫌いか?」と言う質問をすると、大抵二つ返事で頷いた後、彼等との思い出話に花を咲かせます。僕の経験上、今のあなたの様に言い訳がましい口上を延々と述べたり、言葉数が少なくなった場合はそうではないか、含む所がある場合です。――…何故ならば、実の親を嫌っている、疎んでいる、憎んでいる、感謝していない。その手の発言は、西の大陸ではタブーに当たるから』

 少しだけ痛いところを突かれた。

『経験ね。先日まで国外に出た事もなかった、坊やの狭くて小さな世界の中で、たった十数年ぽっちの短い期間収集したデーターに一体どれだけの信憑性があるのか』

 ぐっと言葉に詰まる少年に畳み掛ける。

『こちらからすればあなたの方が不思議ですよ。たった2週間しか一緒に暮らしていない、赤の他人同然の男の為に何故泣けるのですか?』
『……あなたの父親でしょう』
『だから何です?』
『……そして僕の父です、悲しくて何がおかしいんですか?』
『父親ね』

 思わず鼻で哂ってしまった。

(まあ、どこか欠落している部分はあるのかもしれませんね)

 しかしそれがこの国のトップに立つのにおいても、伯爵家の存続においても必要な物だとも思えない。

ザアアアアッ!!

 城郭都市の外にある、緑溢れる高台に聳え立つ庭園式の墓地に花吹雪が舞う。
 眼鏡を外してレンズに張り付いた花弁を取り、目を細めながら丘の下の王都を見下ろした。
 春霞で白く染まった王都に、薄紅色の花吹雪が舞い落ちるその様子はまさに圧巻である。
 母は雪の多い嫌な季節に逝ったが、父はとても良い季節に死んでくれたものだ。 
 この花吹雪が見れるのならば、毎年父の墓参りに郊外まで足を伸ばすのもそんなに億劫ではないだろう。

『庶民の学校ではその手の情操教育の授業が必修科目か何かなのですか?』
『は……?』
『残念ながら私はその手の授業を受けた事がないので、いまいちピンと来ないんですよ。なので正直、葬儀では涙を流すべきだと言う坊やの気持ちの悪い固定観念の押し付けには困惑してしまいますし、その手の黴が生えている古臭い宗教観や道徳心を養う事に意義を見出せない』
『な…!!』
『人心掌握術として使える事はあるのかもしれないが、私は別にそんな小手先の技術を必要としていない。そんな物を持ち合わせていなくても、大抵の事は私の力か金の力かどちらかで片が付く』
『…………。』
『貴族社会でもビジネスの世界でも、男が外で感情を爆発させる事ほど見苦しい事はないのです。そんなもの無能の代名詞の様な物だ。そんな男に誰が付いて来る?信用して仕事を任せられるか?女性ならば職場で涙を見せても許されるでしょうが、泣いている男の部下や上司を見たらあなたはどう思いますか?』
『そりゃそうかもしれませんけど!!で、でもここは城ではありませんし、自分の親の葬式くらい……!』
『やっぱり坊やはまだまだお子供様なんですねぇ。大人の男にとって、感情とは必ずしも人に見せびらかして良いものではない。全てを抑制する必要もないが、今の坊やの様に自分に対して友好的ではない人間の前でその手の感情を吐露する事は、愚挙としか言いようがありません』
『―――っ!』
『私の前で自分の弱みを曝け出してどうするのだ。――…それとも何ですか?私があなたの肩を抱いて、慰めの言葉をかける様な優しい男だと思い違いでもしていましたか?』
『そ、そんな訳…!』
『行政府は坊やが今まで居た士官学校とは違う。テストで満点を取っても誰も褒めてはくれませんよ?品行方正な優等生でいれば士官学校の教師は褒めてくれたのでしょうが、いい子ちゃんのままではすぐに足元を掬われて出世コースから落ち零れてしまう。それが大人の世界です。――それが解っていないからお前は行政府でもあんな下っ端どもにナメられているのだ、情けない』
『……クッ』

 花吹雪が小さな竜巻になって巻き上がる様子を眺めながら、彼に背を向けるとなだらかな階段を下って行く。

 父はもういない。

 私の背中に向かって反論するに値しない戯言をギャーギャー喚いている少年に、彼の母親の事や父が話さなかった真実について教えてやるべきかと思ったが、今の私が何を言っても言い訳になるだろうと口を噤んだ。

 私がこの坊やに出来る事は弁明でも言い訳でも、下手な慰めでもない。

 この坊やに我が家の帝王学を徹底的に叩き込んで、自分の後継者として育て上げる事だ。
 これも馬鹿ではない。そのうち嫌でも真実に気付くだろう。

(その時は一発くらいなら殴られてやっても良い)


この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・地名・事件などとは一切関係ありません。(凄い今更ですが念の為)

この世界、法王とか太陽王とか鉄血宰相とか色々出てきますが、歴史上の人物とは全く関係ありません。

世界設定は私が厨二病全開の時に作ったので、サクリファイスなんて酷い名前の王子や、呪血王とか精霊王とか剣王とか裏剣王とか屠血宰相とかも出てきます(同じ世界の違うシリーズで)

長らくお待たせしました、次話エロです。
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Siti Dara

Hi. I’m Designer of Blog Magic. I’m CEO/Founder of ThemeXpose. I’m Creative Art Director, Web Designer, UI/UX Designer, Interaction Designer, Industrial Designer, Web Developer, Business Enthusiast, StartUp Enthusiast, Speaker, Writer and Photographer. Inspired to make things looks better.

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