恋人7、Grumpy
―――ややあって。
小屋の裏には草の上に片膝を突いて荒い呼吸を繰り返す僕と、剣をパチン!と鞘にしまうアミールの姿があった。
「うん。パワー、スピードは共に上がって来ている。――…ただエミリオは相変わらず持久力がないね。素振りも良いけれど、まずは基礎体力作りに励んだ方が良い。走り込みが良いだろう」
「くそ……次は絶対に、負けない、からなっ!!」
「楽しみにしてる」
大地に突き刺した愛剣に捕まりながら負け惜しみを叫ぶ僕に、アミールは爽やかな笑顔で返すと軽い足取りで小屋の裏から去って行った。
遠ざかって行く足音を歯切りしながら見送る。
バタン、
家の表の扉の閉まる音を確認した後、僕は草の上に背中から倒れ込んだ。
アミールと相見えた時、幽魔が輝き出したので本気で来ると思ったのだが、その後すぐに国宝の神剣の柄に付いている宝玉の光は輝きを失った。
結局僕は兄に神剣の力を使わせる事すら出来なかった。
「また、負けた…」
息を整えながら、木陰から射し込む光を遮る様に手を翳す。
―――あの時、
アミールに弾かれて吹き飛んだ剣が白樺の幹に突き刺さり自分の敗北が確定した時、僕は確かにあいつに「殺せ」と言ったのだ。
しかしそんな僕の言葉に奴は苦笑を浮かべるばかりだった。
そして奴は「弟に”稽古”をつけてやる度に殺してしまったら、その後の事務処理が面倒くさそうだ」などと嘯きながら肩の骨を鳴らす。
『まさかこれで終わりではないだろう? 取っておいで』
『……くっ、次は僕が勝つからな!!』
『はいはい』
このように僕が男同士の真剣勝負を挑んでも、あいつはまともに相手にすらしない。今回の様に「久しぶりに弟に稽古をつけてやるか」と軽くあしらわれるのがオチなのだ。
悔しいが、あいつと僕の間にはそれ程までに実力差があるのが現実で。
(こんなんじゃ、彼女に届かない……。)
伸ばした手はまたしても天上で輝く光 には届かなかった。雲間と木陰から洩れた日の光の影だけを掴んだ手が、力なく地に落ちる。
森から吹き付ける風が火照った体に心地良かった。
ジリジリと音が聞こえてきそうな午後の太陽をこんなに身近に感じるのは久しぶりだ。「王子は2年間軍隊に入り修練すべし」と言う王室の伝統に従い、マル・バーチンに赴き、王立軍で修練をつんだ時以来か。
(全てを燃やし尽くす様な夏の太陽は、彼女に良く似ている…)
ジリジリと肌を焼き、内蔵まで侵食して染み入って来る、焼けつくような真夏の陽射しは本当に彼女に良く似ている。
―――熱くて、眩しくて、遠すぎて、届かなくて、時に憎々しく思うけれど、しかし人は太陽の光がなければ生きてはいけない。
無駄な抵抗だと判りつつも、火照った体の熱を冷まそうと目を閉じて森の風に吹かれながらその場に寝転んでいると、家の中から明るい笑い声が聞こえて来た。
「ただいま……っと。家の中に森の妖精 が迷い込んだのかと思ったら、なぁんだ、私のシュガーじゃないか。今朝のあなたは一段と美しいな、あなたの|魔力(魅力)の前では私は正気を保つのが難しい様だ」
「きゃあ!ちょっとアミー様!熱いお鍋を持っているんですからスカートを捲らないでくださいっ!!」
「あなたの両手がふさがっているこのチャンスを私が逃すと思う?」
「逃すと思う?じゃなくて!!――今、私は朝食の準備を……あっ、や、だめっ……だめ、ですっ!」
「ちょっとアミー様ずるいですよ!!抜け駆け禁止!!」
「そうだよアミー様ばっかりズルイ!俺もスノーホワイトのおっぱい触りたい!!」
「ひ、ヒル!エルまで!ずるいじゃなくてアミー様を止めてぇっっ!!」
「――と言いながらも相変わらず体は正直ですね、仕方がない。この私が直々に可愛がってあげましょう」
「うっひょー!すっげ、スノーちゃんもうヌレヌレじゃん!」
「い、イルミ様、ルーカスさん! だ、だから……だめですってば……!」
「……姫様、鍋は私が責任を持ってキッチンに置いてきましょう」
「ありがとうメルヒ!でも今はそんな気遣いよりも、――…ひゃう!あっ、ぅ、んん、あ……あ!待っ!だ、だめぇえええ――――っ!!」
家の中から聞こえて来たいつものアレに、思わず僕は大きな溜息を付いた。
あの真面目で理知的な兄をこうも酷い阿呆に変えてしまった彼女の魅力には感服するしかない。
アミールだけでなく、あのヴィスカルディーの倅やルーカスまでが腑抜けているのだから末恐ろしいとしか言いようがない。
―――だが、これ以上こんな関係を認める訳にはいかない。
「まったく、あいつらは……!」
軋む体に鞭を打って身を起こす。
僕達兄弟の事もそうだが、嫁入り前の娘が、――しかも一国の姫君が、年若い男達と一つ屋根の下で暮らしていると言うこのふざけた環境が良い訳がない。
小屋に向かって小走りをすると、先程のアミールとの打ち合いで何度か峰打ちされた場所がジンジン痛み、思わず眉間に皺が寄った。
「お前達!いい加減にしろ!!」
バン!!
家の扉を開けると、それはもう始まっていた。
「え?」
「はい?」
「何ッスか?」
この小屋は入ってすぐの場所に、大きな居間がある造りになっている。
居間には大きなソファーが二組あるのだが、今僕が立っているドアの正面と向かい合う様にして置かれているソファーの上に兄が腰を下ろしており、その上には既に半裸に剥かれたスノーホワイトが乗せられていた。
今僕が立っている位置からはその部分を見て確認する事は出来ないが、――…二人の顔を見るに、既に入っている。ブツが。
僕の位置から見えないと言うのは、彼女の前に跪いたルーカスが彼女の秘所に顔を埋めているからだ。
そして彼女の口はヴィスカルディーの雄に塞がれており、手と口を使って奉仕をしている最中だった。
コインで負けたらしいアミールの騎士と文官は、彼等のすぐ横で膝を抱えて座りながら、不貞腐れた顔で床の上にのの字を書いている。
「こんな陽が高い内から毎日毎日毎日毎日……不健全だと思わないのか!?これ以上のふらちな行為は僕の目が黒い内は許さないぞ!!」
「エミリオ様の目の色は青でしょう」
ヴィスカルディーの突っ込みを聞かなかったフリをして、僕はアミールをキッ!と睨む。
「アミール!この節操なしのケダモノ達の飼い主はお前だろう!?お前は彼等の主として、彼等の模範となる義務が――、」
「ああ、エミリオか。今良い所だから邪魔しないでくれないかな?」
「じゃ、邪魔!?」
「つかエミリオ様、今中断したら一番つらいのはスノーちゃんだと思いますよ」
「は……?」
ルーカスが彼女の秘所から顔を離してこちらを向いた瞬間、確かにスノーホワイトは泣きそうな顔になった。
「あ……あぅ」
「だいじょーぶだよ、スノーちゃん。あんなんほっといて良いから。そんな顔しなくても、ちゃーんと続きはしてあげるからね」
「ルーカスさ、……やぁ……んん、ッあ!」
「もうちょいでスノーちゃんがイケそうだった所だったのに、エミリオ様ってば本当に野暮だよなぁ」
「ひあっ!や……あ…ッああああ!!」
「こら、スノーホワイト。自分ばかり気持ち良くなっていないで、私への奉仕も続けなさい」
「ふぁ、ふぁい……っ!!」
ルーカスが口唇愛撫を続ける中、スノーホワイトは健気に手と口を使って必死にヴィルカルディーに奉仕する。
しかし彼女の邪魔をするのはルーカスだけではなかった。
彼女を後ろから抱きしめているアミールが彼女の胸の尖りを摘み、首筋に舌を這わせながら嗤う。
「後からじゃあなたの可愛い顔が見えなくて寂しいな」
たわけた事を言いながら、アミールは下からスノーホワイトを突き上げては彼女の口淫の邪魔をする。
「でも、私は顔が見えなくてもあなたがどんな顔をしているか、手に取る様に分かるよ。私を痛いくらいに締め付けている肉の粘度が、さっきから凄い事になっているから。……ああ、熱くて、キツくて、私まで蕩けてしまいそうだ」
クスクスと笑いながら、アミールはスノーホワイトの乳房の柔らかさを確かめる様に揉みしだいていた手を彼女の下腹に滑らせた。
「ふぁっ……あ、あっ!」
「ここ、あなたの弱い所。膣中 からも外 からも一緒に愛してあげるから」
兄は彼女の下腹を妖しく撫でまわしていた手で、自身の熱が埋め込まれている部分をグッと押す。
「ひあ!?」
「まずは一度、私と一緒にイこうか?」
アミールの突き上げが一段と激しくなる。
流石にこの状態でルーカスが口唇愛撫を続けるのは難しいらしく、彼はいったん口を離すと、彼女の花芯を愛でるのを指に切り替えた。
「アミー様と一緒に一回イっちゃいな。スノーちゃんが気持ち良さそうで、オニーサンもとっても嬉しいよ」
と言いながらルーカスはスノーホワイトに柔らかく微笑みかけるが、スノーホワイトと肌をぴたりと密着させ、彼女の柔肉の甘美なうねり味わい、絶頂へ駈け昇ろうとしている兄を見て少しだけつまらなそうな顔となった。
「ッあ、ん……あっああ! あ、あみ、様……っ!!」
「うん?」
「うう……こんなん、じゃ、うまく、出来ない……!」
しかし彼女はアミールに激しく体を揺さぶられながらも、快楽に身を任せて絶頂を迎える事に戸惑いがあるようだ。
スノーホワイトは首を捻ると、右手で彼女の乳房を根元から握り締め、左手で彼女の下腹を圧迫させて、彼女の子宮を外部からも刺激する奴の顔を振り返る。
その理由は、どうやら彼女が右手に握り締めたヴィスカルディーの物らしい。
このヴィスカルディー伯爵家の男がこれまた悪趣味極まりのない男で、俗に言うサディストと言う性的倒錯者なのだろう。
奴は彼女が自分にきちんと”奉仕”出来なければしなければ、”躾”と称する酷い折檻に持って行くのが常なのだ。ヴィスカルディーの不穏な気配に気付いたらしいスノーホワイトは、邪魔をしないで欲しいとアミールに必死に目で訴える。
―――しかしそんな彼女の心情がうちの|兄(抜け作)に伝わる訳がない。
彼女がヴィスカルディーの物から口を離して不満気に後を振り返ると、アミールは破顔した。
「可愛い。私の顔が見えなくて寂しくなったの? いいよ、キスしてあげる」
「違……!!んんんんん――――っ!!」
そのまま唇を重ね、深く彼女を貪る兄を見つめる他の男達の目の冷たさと言ったらなかった。
しかし僕の兄はこの通り、実の弟である僕が呆れる位に図太く出来ている。
針のむしろになっても、気にする様子すら見せずにたわむれを続けた。
次第にスノーホワイトがヴィスカルディーの熱をしごいていた手の動きが鈍くなり、――そして、止まった。
彼女の手が力なくだらんと下がった時、それはヴィスカルディーのわざとらしい咳払いにより強制的に中断させられた。
「アミー様、我々の間にある協定をお忘れですか?あまりスノーホワイトの独り占めが過ぎると来週のあなたの夜がなくなりますが、それでも良ろしいでしょうか?」
「んー。それは困るなぁ」
ヴィスカルディーの言葉にアミールは渋々と言った顔で彼女から唇を離すが、彼女を揺さぶる事は止めはしない。
「あっあ!ああああ!」
魂を奪われた様な目付きで、下から自分を衝き上げる肉の衝動にひたすら耐える彼女の頬をヴィスカルディーがペチペチと叩く。
「こら、スノーホワイト、お口がお留守ですよ」
「ぁ、ふぁい! ごめんなひゃい、いるみはま……!!」
頬を叩かれて現実に戻って来たらしいスノーホワイトは、すぐさまヴィスカルディーの物を咥え直して謝罪するが、その目は未だ蕩けたままだ。
その時、僕はふと毒々しいオーラに気付いて視線を下げた。
床の上で膝を抱えていた二人が、ソファーの上の兄達を忌々しそうに見つめながら何やらボソボソと呟いる。
「可哀想なスノーホワイト。あれじゃろくに息つぎをする暇もないじゃないか。兄さんも少しくらい休ませてあげれば良いのに。……ああ、スノーホワイトが可哀想で僕、涙が出て来た」
「あんな可愛い女の子相手に、よくあんな酷い事が出来るよ。王子達は本当に悪趣味だ。あれじゃスノーホワイトが可哀想だよ、俺ならもっと優しくしてあげるのに」
「次は僕達が優しく愛してあげるからそれまで耐えるんだよ、可哀想なスノーホワイト」
床の二人の言葉に反応したらしいアミール達が、険のある目線を彼等に向ける。
「何を言っているのやら。私達は、これでもかと言う位優しく愛しているよ?ねえ、シュガー?」
「そうだよ、失礼しちゃうよなぁ。――…ほら、スノーちゃん、ちゃんと脚は広げとかないと。閉じちゃ駄目。そうそう、良い子に出来たらここにたっくさんご褒美あげるから」
「放っておきましょう。あれはベッドの中の女の”イヤ”を真に受けて、一生女を満足させる事の出来ないぼうや達の戯言です」
「うっわ、ムカつく!!」
「な!この僕がスノーホワイトを満足させていないとでも!?」
その時、彼等の前に巨大な人影がヌッと現れた。
キッチンに鍋を置いて戻って来たらしいメルヒ殿の真に迫った表情に、男達の醜い争いは一時中断する。
僕は奴が彼女の従僕として何か言うのだろうと期待したが――、
「姫様…、お美しい」
彼は3人の男に貪られている自分の主を見て、ポッと頬を赤らめるだけだった。
大男のその反応に、彼等は何事もなかったかの様にまた口論を再開する。
(こいつらは…!!)
そんな彼の反応に僕の顔が引き攣った。
両の拳を握り締め、歯軋りしながら不道徳な事が行われているソファーを睨んでいると、口論の最中に彼女を口唇愛撫で一度極めさせたルーカスがこちらを振り返る。
「つかエミリオ様、いつまでもドアを開けっぱなしにしてそんな所に突っ立ってないで、中に入って来たらどうッスか?」
「そ、そうだな…」
森の中とは言え、家の中でこんな破廉恥な事が行われていると言うのにドアを開けっぱなしと言うのは確かにまずい。
ドアを閉めて嘆息する僕の背中に、彼は続ける。
「エミリオ様も一緒にどうッスか?」
「へ……?」
「スノーちゃんも、エミリオ様がいた方が嬉しいよな?」
「ひあ!あっぁ……ん!」
達したばかりでまだ敏感なままの彼女の花芯を弄びながら、事もなげにルーカスは言う。
「だそうッスよ?」
「う、うう…」
(「だそうッスよ?」も何も、彼女は嬌声を上げただけで返事などしていないと思うのだが…。)
両の拳を握り締めたまま、戸口で震える事しか出来ない僕に気付いたらしいアミールもこちらを振り返る。
「どうする?エミリオもする?」
「やっ……ん、んんっ!」
スノーホワイトの乳房を揉みしだいていたアミールの指の隙間から零れた、ピンク色の突起を見ないようにしながら僕は叫んだ。
「お前等!!お前等には節度と言うものがないのか!!まずはお前だ、ヴィスカルディー!!お前は一体何をしている!?」
「は?」
急に矛先を向けられたヴィスカルディーは、目を瞬きながらこちらを振り返る。
「知らないとは言わせないぞ!!口腔性交 とは、皇教国や神聖国では法律で禁じられている野蛮な行為で、女性の人としての尊厳を貶めるものだ!そもそも女性とは女神の分身であり、人類を繁栄させる為に女神が我々男に与えたもうた下賜物であって――、」
「ここはカルヴァリオでもアドビスでもありませんが。言うなれば女神による女性下賜論や、その手の行き過ぎた女性性への神聖視は、今の時代女性蔑視に繋がると我が国のフェミニスト達からも不評ですよ」
「僕が今言っているのはそういう事ではない!!我々男には出来ない出産を言う偉業を成し、人類の繁栄に貢献してきた女性を守り、労り、慈しみ、尊ぶのが我が国の格式高い貴公子としての心得であると言う話をしているのだ!!それなのにお前と来たら!リンゲインの姫君に!……いっいいいいい一体、何を咥えさせている!?」
僕の言葉にアミールとヴィスカルディーは目配せし合う。
「何と問われたらナニと答えるしかないのですが。アミー様」
「なんだいイルミ」
「アミー様の無邪気な弟君は御年18になると言うのに、私が今スノーホワイトに咥えさせている物の名称を存じ上げないようです」
「イルミ。私は自分の可愛い弟に変な言葉を教えたくなかったんだ、察してくれないか」
「は?」
(こいつは一体何を言っている……?)
一瞬彼等が何を言っているのか脳が理解する事を拒んだが、すぐに僕は自分がからかわれている事に気付いた。
「ち、違う!!そういう意味では!!」
スノーホワイトの艶やかな黒髪を指で絡ませながら、やるせなさそうに肩を竦めるヴィスカルディーに僕は詰め寄る。
「アミー様が俗世の穢れに触れさせぬよう城の奥で大切に大切に育てて来たとは言え、エミリオ様はもういつ妃を迎えてもおかしくない年頃です。流石にこのままではまずいのではないでしょうか?」
「私は私の可愛い弟にあまり変な事を教えたくはないのだけれど。……そうだねぇ。でも、言われてみれば確かにそろそろ支障が出て来る年齢なのかもしれない」
「差し出がましい申し出だとは思いますが、不肖この私が教えてさしあげてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
「ふざけるな!!いい加減にしろ!!」
僕が叫ぶとアミールはきょとんとした顔になった。
「なに?エミリオはしないの?」
「は?」
「しないなら邪魔しないでくれないかな?」
「そ、それは……、」
したいかしたくないかと問われれば、正直したい。
こいつらだけ良い思いをしていたのかと思えば頭に来る。――しかしだ。僕にはリゲルブルクの正統なる王子としてのりや道義心、道徳観念がある。一紳士として、女性を性具か何かの様に扱い、男の従属物とみなすような品性下劣な行為を見過ごす事は出来ない。……まあ、それでも僕も男だ。僕にも彼等の持つ様なその手の野蛮で俗悪的な欲求がないと言えば嘘になるが、僕は男である前に紳士であり、王族なのである。その手の俗物的な感情は、僕の中にある気高き克己心によって打ち勝つべきであり……、
「エミリオ、さま…?」
その時、スノーホワイトと目が合った。
(う…、)
彼女の吐息を感じられる場所まで来てしまったら最後、今まで必死に抑えて来た男の部分を抑えるのは最早不可能だった。
濡れた瞳は妙に色があり、上気した頬は艶っぽい。
「っ………んん、」
彼女は僕の手前必死に声を堪えているが、噛み締めた歯の合間から洩れる甘い吐息と切なげなその目付きに、気もそぞろとなってしまう。
(くそ…!)
アミールの膝上の彼女の体が上下させられる度に踊る髪の毛の一束一束までもが、何故こうも絵になるのだろう。
原始の時代の狩猟本能のなごりで男は揺れる物に目を奪われてしまうと聞くが、彼女の髪の毛の動きや、彼女の乳房がたゆん、たゆんと揺れる度に上下するピンク色の突起から目が離せないのは、その本能に組み込まれた習性なのだろうか?……いや、まさか。
(美しい…)
思わず筆を取って描き止めてしまいたくなる。
絵心のある者の一人として、今まで僕は裸婦画を描く男を絵描きの品位を貶める存在だと嫌悪し、軽蔑して来たが、――たった今、彼等の気持ちが解った様な気がした。
この美を目の当たりにした絵心のある者、芸術を愛する者が、それを描き留めて後世に残すのはむしろ義務だ。この美を後世に残さない事程罪深い事はないだろう。
(しかし、一体この美を一編も損なう事なくキャンバスに描く事など可能なのだろうか…?)
我が国の国宝の一つに”人魚姫の涙”と呼ばれる真珠の首飾りがある。あの大粒の真珠を砕いて粉にした物と、しんしんと雪が降り積もった夜が明けた朝、森の奥の清らかな雪のきらめきを魔法で閉じ込めた物と混ぜて顔料を作ったとしても、キャンバスに彼女の肌の美しさを再現するのは不可能だと思えた。
彼女の裸体に見惚れたまま動作が停止している僕を見て、アミール達がまた何やら目配せしあっている。
「で。どうするの?するのしないの?」
「……………………する」
再度笑顔で問いかけてきたアミールに、僕はぎこちない動作で頷いた。
―――本能が理性を上回った瞬間であった。
「だろ?なら早く服を脱いでおいで」
「ああ」
「エミリオ様、スノーちゃんのおっぱいの揉み心地、今日も最高ッスよー!」
「うん」
「エミリオ様も意地を張っていないで、スノーホワイトに口で奉仕して貰ったらどうですか?自分で言うのも何ですが、この私が直々に仕込んだので最高ですよ」
「そうだな」
卑劣な男達による姦謀にそそのかれてしまった僕は、いそいそと服を脱ぎ捨てるとソファーの上で行われている罪深い行為に参戦した。
(って、僕まで一体何をやっているんだ…?)
終わった後、僕は自己嫌悪で死にたくなった。
****
そんなこんなで森での暮らしは続いて行く。
早くこんな不健全な生活とは早くおさらばしたい所だが、アミール達の話によるとマナの祝祭日まで待たなければならないらしい。
しかし不思議な物で。――…今の僕はマナの祝辞祭日が怖いのだ。
森での暮らしが終わってしまうのだと思うと無性に寂しく感じてしまう様にまでなってしまった。
この森を出たらすぐに戦いの火蓋が上がる。
アミール達の話によるとどうやら同時に戦争も始まるらしい。
しかし、それでもこちらにはあいつがいる。
僕等は勝利を収め国を取り戻すだろう。
実は僕はこの戦いで負ける心配は全くしていない。――…今一番胸を苛んでいるのは、戦いに勝利した後の事だ。
(国を取り戻した後、僕達はどうなる……?)
スノーホワイトは一体どうするのだろうか?
リンゲインに帰るのだろうか?――…いや、あの兄が彼女をリンゲインに返すとは思わない。あの男はいつも有言実行だ。いつか言った通り、彼女を妃として迎え入れるつもりだろう。
(でも、僕だって彼女の事が…)
あれから何度悔いたか分からない。
あの日、あの時、僕が逃げ出さずに彼女と会って、父上の言う通りに婚約さえ結んでおけば、今、スノーホワイトは名実ともに僕の物だったのだ。
(彼女がアミールの婚約者でも、それが道義に反していても、それでも僕は彼女が欲しい…)
―――そう、戦いが終われば僕はアミールとケリを付けなければならない。
今はこんな訳の分からない事になっているが、帰国した後も兄がこんなふざけた関係を続けるとは思えない。
恐らくアミールは、期を見計らいながら彼女の恋人達を一人ずつ切って行くだろう。
(ああ、なんとなく判って来た…)
古来より国で一番美しい女を娶った王が、自分の妃を騎士達にチラつかせて、彼等を戦地に送り出すのは良くあった事例なのだ。
騎士道なんちゃらと言う物により、彼等は愛を捧げる貴婦人のために死ぬ事を誇りとする。まあ死なせはせずとも、アミールは今回の戦いで彼等を使えるだけ使い倒すつもりなのだろう。
そして戦いが終わって用なしになれば、スノーホワイトから手を引かせる皮算用のはずだ。
(って、ヴィスカルディーもか…?)
あまり好ましいとは思えない男だが、戦いの後、アミールがあの優秀な男を切るとは思えなかった。
あの手の頭脳労働が本職の男は戦争が終わった後も使えるのだ。と言うよりも、ヴィスカルディーは戦争が終わった後の方が役立つ類の男だ。それを言うなら、あの女の様な顔をした文官もそうか。
(となると、まさか奴等とはスノーホワイトの関係を許して続けるつもりなのか?…いや、そんなの常識的に考えてありえない)
文官の少年はヴィスカルディーの縁者らしい。それを考えるとヴィスカルディーを切らないのならば彼も切らない方が良いだろう。
アミールがあの二人を切らないとなると、不思議と僕も兄の削除リストには入っていない様な気がして来る。
(…恐らく、奴は僕にも彼女を貸し与えるつもりなのだろう)
僕は数少ない兄の肉親で、ディートフリート・リゲルの正統なる血を引く者だ。
冷静に考えてみるとアミールが僕を殺すとは思えないし、僕が死ぬ事をよしとするとも思えなかった。
ただでさえ今はこんなご時世だ。王家の血を絶やさぬ為にも、あいつは自分が何人か子を成すまで僕が死ぬ事を許さないだろう。
アミールにスノーホワイトを懸けて勝負を挑んで敗北し、その後はあいつの”お零れ”を貰い、命を繋げる日々を想像する。
「そんなの、屈辱的だ…」
それならば僕は負けたら潔く死を選ぶ。
奴が何を考えているのか直接確かめたい所だが、僕が突っかかってもいつもの様に誤魔化されるのは解っている。
ならば力づくでと言いたい所だが、返り討ちにされるのがオチだ。
心にモヤモヤした物を抱え、気分の晴れない日々が続いた。
その日、朝早く目覚めた僕は馬で遠乗りに来ていた。
護衛なしで一人で外出した事がバレれば、ルーカスやアミールにまた小言を言われるだろうが、僕にだって一人になりたい時がある。
国の事、アミールの事、父の事、ホナミの事、亡き母の事、そしてスノーホワイトの事。――…今は誰にも邪魔されずに、一人になってじっくりと考えたい気分だった。
森を一望出来る丘の上まで来て、馬から降りて景色を眺めていた時の事だ。
馬がいきなり僕に顔をこすりつけて来て、そのくすぐったさに思わず笑ってしまった。
「…なんだ?」
この馬は逃走時に手に入れた物で、名前はない。
城で僕が飼っていた愛馬達と比べると毛並みも毛艶も良くないし、足もそんなに速くはない。しかしとても優しくて人の気持ちに敏感な良馬だ。
主の気が塞いでいる事に気付いているのだろう、慰める様に顔を摺り寄せて来る栗毛の馬に苦笑を漏らす。
短かい旅路だったが一緒に逃走劇を繰り広げた仲だ。僕にとても懐いているし、愛着も沸いている。
城に連れ帰り、愛馬達と一緒に馬舎で大事飼ってやろう。
「お前は良い馬だな。このまま本当に僕の馬 になるか?」
喜ぶ様に顔を舐め回してくる馬に、久しぶりに声を上げて笑ってしまった。
「悪い。そうだな、今更の話だった。うちに連れて帰ってやるから生涯僕に尽くすと良い。――…となると、名前が必要か。何にしようか。…………よし、決めた。ボンヌ・カリテ・ラプレミディだ。ん、長い?では、アダルジーザはどうだ?」
今度は文句はないらしい。
名前も決まったので、僕は馬を草原に繋いで丘の上を散策する事にした。
「ちょっとこの辺りを散策してくる。お前は草でも食べていると良い」
そう言って丘の上を歩く事、しばし。
(ルーカス、スノーホワイト……?)
見覚えのある二人の男女の姿が視界に飛び込んできて、僕は思わず息を飲んだ。
―――それから僕は、にわかには信じられない話を耳にする事になる。
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