【閑話】嘘つき男と城の魔女 前編
「アキ様、おはようございます。そろそろ起きましょう」
鏡をベッドの背もたれにセットして、ベッドの上でゴロゴロしながら白雪姫 達の様子を見守るのがデフォとなったアキの元に、ガラガラと朝食が運ばれる。
「今朝の朝食はホワイトアスパラガスのポタージュ、エッグベネディクトのサーモン挟み、プロシュートクルードとリンゴのサラダ仕立て、真鯛ときのこのパートブリック包み焼き
香草入りジュノベーゼソースにございます。デザートは豆乳のブラマンジェに8種のフーツを添えた物をご用意いたしました」
「おはよう、いつもありがとね」
カートをベッドの前まで持って来た銀髪の男は言わずと知れず、鏡の妖魔だ。
燕尾服を着こみ、執事よろしく本日の朝食のメニューからこだわりの食材、食材の産地の詳細な説明をするが、彼の主人はあまり興味がないらしい。
眠そうな半分閉じかけた瞳で鏡を注視したまま、東方列島諸国から取り寄せたせんべいと言う丸くて平たい食べ物をボリボリ齧っている。
ボリボリボリ…、
シーツに落ちる食べかすに、彼はさっさとこの主をベッドから追い出して清潔なシーツに交換しなければと言う使命感に燃えた。
「今朝はどの様な進行具合ですか?」
「さっきヒロインちゃんが家出した所だよ」
「家出ですか……あまり穏かではないですね」
主と一緒に鏡の中を覗き込むと、朝靄の立つ森の中を少し強張った顔で歩いているスノーホワイトが映っていた。
彼女のか細い腕には、大振りの猟銃はとても重そうに見える。
1本でも辛いだろうに、2本も猟銃を抱えたスノーホワイトは少しフラフラしながら朝の森を歩いていた。
鏡に映る姫――…白雪姫 は、恐らく真にこの世で一番美しい。
真実しか口に出来ない自分の口が何度もそう語ったのだから、真実に違いない。
彼も鏡に映った少女のその人形の様に整った愛らしい顔立ちに、納得こそすれど疑う事はない。
しかし彼は鏡の中の絶世の美少女、スノーホワイトには何も感じなかった。
美しい少女だとは思う。だがそれだけだ。――…自分は目の前の女性の方がずっと良い。
目の前の女性、――隈を作った目元を手で擦り、大きな欠伸を噛み殺しながらボサボサになった髪をかきあげる、少しだらしない女性の方が何故か可愛らしく感じる。
いや、リディアンネルはどちらかと言えば可愛いではなく、綺麗とか美しいと言った方が似合う女性なのだが、それでも最近の彼女は可愛いと思う。
―――三浦亜姫としての記憶を取り戻すまでのリディアンネルは、”彼女”ではなかった。
アキの記憶を取り戻してからのリディアンネルはとても”彼女”に似ている。
(だが、どんなに似ていても三浦亜姫は彼女じゃない…。)
しかし、それでも「もしかしたら”彼女”ではないか?」とすら思う瞬間もあるくらい良く似ているのだが、やはり別人だ。
自分は前世の三浦亜姫の姿を知っている。
今リディアンネルの中にいるのは、あの黒髪の少女なのだろう。
だが、別人でもそれでも良いと思うのだ。
最近自分はとても穏かな気持ちで毎朝を迎えられる。
こんなに心が満たされているのは、一体何十年ぶりだろうか。
それは紛れもなく今、目の前にいる主人のお陰なのだ。
可能ならば鏡の中の男達ではなく、もっと自分の方を向いて欲しいと思う。そして出来るならば微笑んで欲しいと思う。
最近朝が来るのが待ち遠しい。
夜眠るのが勿体無い。少しでも彼女の顔を眺めていたいと思う。――…何故なら自分達の時の流れは違うから。
だから今は少しでも、1秒でも彼女と供に過ごす時間を大切にしたい。
(置いていかれるのは、もう嫌だ……。)
今度は彼女が逝く時に自分も一緒に逝こう。
―――しかし、今は目の前に片付けなくれはならない問題が山程ある。
彼は今、リディアンネルの王妃としての執務の補佐をしているのだが、最近、隣国――…リゲルブルクの動きが不穏なのだ。
次期王位後継者の第一王子アミールが追放され、第二王子エミリオが繰り上がって王位継承権を得たと言う話なのだがどうもキナ臭い。
軍事に回す費用を増やして極秘に武具を買い漁り、兵を募り、戦争でも始めるのかと言った気配が漂っている。
お隣が侵略を始めるとしたら、隣国の小国リンゲイン独立共和国――…うちしか考えられない。
リゲルブルクとは国土も大きく、西の大陸では3本の指に入る大国だ。
しかし内陸の国で海岸に面している国土がない。
資源も財力も乏しく、毎年冬越えをするのにいっぱいいっぱいな極貧国であるリンゲインをリゲルブルクが侵略するのは、マイナス面が大きいのだが、海路が開けると言う利点はそれを差し引いても大きい。
しかしそれでも長い歴史の間、お隣とうちが上手くやって来れたのはリンゲインの代々の国王の政治的手腕と人柄によるものだろう。
この2国は昔から友好国と言うよりも、王室同士の仲が非情に良かった。
2国の王族間で結婚する事も多かったので、親戚感覚に近いのだろう。
しかしリンゲインでは先王は既に亡く、向こうの国王も今病に臥せっていると言う。
タイミング的にはアミール王子を追放した辺りからリゲルの国王の病状が悪化し、政 にも顔を出さなくなった。
リゲルブルクの王宮で何か起こっているのは確かだった。
それで先日、鏡の中を自由に行き来出来ると言うこの便利な能力を使い、向こうの城に忍び込んでみた所、魔性の気配がした。
気付かれる前に逃げたが、あの気配は――…お仲間だ。
しかもかなり強力な。
(面倒ですねぇ…。)
実はこの世界では魔女や半端者が人間の権力者や金持ちを操って、甘い蜜を吸い、悪戯に民を虐げる事は良くある話なのだ。
元々リディアンネルもそんな悪い魔女の内の一人だった。
そのせいもあってこの世界で魔女は異常に忌み嫌われおり、各地で魔女狩りは定期的に発生する。
しかし魔女や半端者はともかく、純粋な魔性達は人間社会には基本不干渉だ。
餌として人を食す事はあるが、実はそれにも様々なルールがある。
人里に降りて人間を食すのはいけないが、人を森に誘い込んで食すのは許される等、彼等の中にも決まり事があるのだ。
そしてそれを破ったら最後、制裁に合う。
魔性達には人間社会に干渉はしていけないと言うルールがあり、彼等はそれを破れない。
しかし半端者――…つまり、半分人間だったりする半妖は、魔性の世界のルールをあまり理解していない。
半端者には大した力がないので、制裁にも合わない。
人間達からすれば、半妖や魔女はある意味一番厄介な相手かもしれない。
そんな自分にも実は半端者の弟がいるのだが、あれも人間が好きな変わり者で人の世で暮らしている。
半妖は人間並に無力の者が大多数を占める。
だからこそ魔性の世界では生き難く、こちらの世界から人の世に逃げる様にして去る者が多いのだが、時折純粋な妖魔よりも強力な魔力を持って産まれる半妖 も産まれるのだ。
今、リゲルブルクを乗っ取っているのは恐らくそちらの半妖だろう。
(戦争になる前に、なんとか狩っておきたい所だが……。)
戦争もなければ魔獣もいない平和な世界で生きて来た三浦亜姫が、戦争だ殺し合いだ、そんな血生臭い事に耐えれるとは思えない。
(俺が貴女を守りましょう)
しかしそんな使い魔の決死の覚悟やら真摯な誓い知る由もない主は、また徹夜でスノーホワイト達の睦事を覗いていたらしい。
いつまでもこちらを振り向かない主に、使い魔は溜息を吐く。
(貴女の瞳が俺を映し出す時間が、もっと増えれば良いのに)
「アキ様。食事の時くらいはベッドから起きて、一緒に食べましょうよ?」
「そうね、ごめん」
カーテンを開け、窓を開けて朝の空気を部屋に入れると彼の主人は目をしょぼしょぼさせながらベッドから降りた。
正直、鏡の中の自分以外の男達に黄色い声を上げる主人のその様子は面白くない。
毎晩血と女に酔い痴れていた200歳くらいの頃だったら、恐らく自分は能力を使うのを止めて鏡をアキに見せる事も止めただろう。
もしくは鏡を条件に彼女を篭絡していたかもしれない。
しかし自分ももう300歳だ、年も取ったし落ち着いた。
汚い手は使いたくないし、彼女の嫌がる事や悲しむ事はしたくないと思う。
「えっと、今日の御飯は何だっけ?」
「アキ様、やっぱりさっきの聞いていませんでしたね…」
「えへへ、ごめんごめん、もっかいお願い」
「仕方ないですねぇ、もう一度説明してあげましょう。本日の朝食は、ホワイトアスパラガスのポタージュ、エッグベネディクトのサーモン挟み、プロシュートクルードとリンゴのサラダ仕立て、真鯛ときのこのパートブリック包み焼き
香草入りジュノベーゼソースにございます。デザートはは豆乳のブラマンジェに8種のフーツを添えた物をご用意いたしました」
「うんうん、今日も美味しそうだね!!いただきます!!」
―――それに俺は…、
(毎朝こうやって、彼女と二人で向かい合って、笑いながら温かいスープを飲める事だけで充分幸せなんだ)
今朝のスープは、森の奥の小さな小屋で”彼女”が毎朝作っていた白いポタージュの香りと良く似ていた。
後編はアキ目線です。
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