恋人5、Sleepy
「アミー様、聖女、ホナミとは……?」
一歩前に出ようとするアキラを手で制し、目で合図するとアキラは無言で頷いて俺の後に下がった。
場の空気が一気に冷たくなる。
ここで一緒に暮らす様になって、俺はこの王子様が案外嫉妬深い事を知った。
弟の方の様に表に出さないだけで分かりにくいが、兄ちゃんの方も中々のもんだ。
表情一つ、顔色一つ変えていないが、スノーホワイトちゃんが俺の背中に隠れ、俺に守られている様なこの現状が面白くないのだろう。
しかしそれだけでここまで怒るの不自然だ。
(って、ああ、なる……、そういう事ね)
アミール王子は先程俺達の名前をフルネームで呼んだ。
俺達の会話を遡ってみると、両者のフルネームが出て来たのは一番最初の方だ。
なるほど。この王子様は本当に一番最初から俺達のやり取りを見守っていたのだろう。――勿論、俺がコイツにハメてる所も最初から最後まで。
胸の下で組んでいた手を解くと、彼は腰に手を当てて小さく息を吐く。
「一般には出回っていない情報だから知らなくて当然か。聖女ホナミとは私の母ベルナデットが生前召還した聖女様だ。聖女召還は失敗に終わったと言う事になっているが事実は違う。確かに聖女は召還され、彼女は闇の森の侵攻を喰い止めて元の世界に帰って行った」
「まさか……嘘だろ、うちのお袋が聖女様?」
「馬鹿!」
慌ててアキラの口を塞ぐが、もう後の祭りだ。
「君の母親……?」
―――まずい。
アミール王子の顔から表情が消えた。
それもそのはず。――…彼の母親の死因は、恐らくこいつの母親なのだ。
何がどうしてそうなったのか俺には分からないし分かるはずもない。
そんな事現実にありえる訳ないと頭は言っているが、ルーカス・セレスティンの俺が今更そんな事を言うのもナンセンスな話だろう。
下村茂とルーカスの頭にある情報と今のアミール王子の話を総合して、今までの常識やら何やらを全て無視してぶっ飛んだ解釈をすると、リゲルブルクのラインハルト国王陛下は、穂波さんの昔の男でアキラ達の父親だ。
―――あの夜、
『……あの人に、この子達の父親に、会いたい』
九十九里浜のキャンプ場で、薄暗いテントの中で泣き笑いしていた穂波さんの顔を思い出す。
『……会いに行けないの?』
『行けないの、とっても遠い所にいるから』
そりゃそうだろう。
彼女がどんなに会いたいと思っても、その相手が異世界にいるのならそう簡単に会いに行ける訳がない。
何故穂波さんが聖女に選ばれてこちら世界に召喚されたのかは流石に俺の知る由もないが、この王子様がこう言うのだ。恐らく穂波さんは本当に聖女様として彼の母親に召喚され、闇の森の進行を止め、現実世界に帰って来たのんだろう。――…お腹にアキラ達を宿して。
穂波さんが陛下の事を忘れられなかった様に、陛下も現実世界に帰った彼女の事を忘れられなかった。
これはルーカスの方の知識になるが、陛下はベルナデット様のと結婚前、一度彼女に婚約破棄を言い渡した事があるらしい。
大国の王女が子爵家令息に婚約破棄を言い渡されたと言う醜聞は、社交界を問わず民草の間にまで面白おかしく伝わった。
恐らくその頃だ。その頃穂波さんがこちらに来て彼と恋仲になったのだろう。
その後穂波さんは元の世界に帰り、陛下はベルナデット様と元鞘に収まって結婚した。
噂を聞くに、元々ベルナデット様は陛下にお熱だったらしい。
そして彼女の父親である国王陛下も、一度婚約破棄をされたからと言って彼の事を諦めきれなかった。 元々学者志望だったラインハルト様は、不幸か幸いかそれ程までに優秀な男だったらしい。
王家からの強い後押しが続き、婚約破棄からしばらくした後、彼はベルナデット様と結婚した。
―――しかし、結婚して子宝に恵まれても彼は穂波さんの事を忘れられなかった。
そんな夫に苦心してこの王子様の母親は自害した。
「あはははははは!まさか息子だとは思わなかったよ、聖女ホナミの息子か、これは面白い!」
まるで森で間違って採って来た笑い茸を食べてしまった人ように笑い出したアミール王子を、俺達はただ茫然と見つめる事しか出来ない。
普段の彼らしくもない闊達な笑い声が止んだ後、アミール王子は煌びやかな金髪を額から後に流す様にかきあげながら顔を上げた。
氷のようの嘲笑が王子様の唇を掠める。
「ああ、そうか。――…ならもしかしてアキラは私とは腹違いの兄弟になるのか?それとも聖女様が向こうに帰られてから仕込んだ、別の男の子種になるのかな」
有り余る皮肉と侮蔑が込められたその言葉に、俺の手は自然と腰の剣に伸びる。
憎しみが翳を彫り込むようなその表情からは、普段の彼の顔を思い出すのも困難であった。
「まあ、どちらにしても大した問題ではないね。長きに渡るリゲルとリンゲインの王室間の婚姻によって、私とスノーホワイトもかなり近しい親戚筋である事には変わりないのだから」
自然とスノーホワイトちゃん――…いや、アキラを庇う様に王子の前に立つ。
―――ホナミさんの息子であると言う事は、彼からしてみればアキラは母親の仇になるのだろう。
「なるほどね、前回の聖女召喚でこちらの言葉を解せない聖女様の教育に苦心した過去があるからなのかな、君達がそういう形でこちらに来たのは」
(なん、だって…?)
驚き目を見張る俺達を見て、王子はやれやれと肩を竦める。
「私は君達を召喚した者について心当たりがある。……本当に困った人だよ」
俺達の反応を横目でチラリと見て、王子様は喉でクツクツと嗤った。
明らかにこちらの反応を窺われている。
しかし反応せずにはいられない。――俺達が誰かの手によって、故意にこの世界に召喚されたのならば、穂波さんの時の様に向こうに帰る手立てがあるのはずなのだ。
―――そしてこの王子様はその召喚主を知っていると言っている。
「誰だ、一体それは誰なんだ…!?」
「さて。誰だったかな、良く覚えていないなぁ」
なんとも白々しい事を言いやがる王子様の胸倉を掴んで壁に叩きつけ、そのまま力ずくで吐かせてやりたい衝動に駆られるが、そんな事をしてもこの男は喋らないだろう。
「男だった様な気もするけれど女性だった様な気もするし、子供だった様な気もするんだけれども老人だったかもしれない。ああ、スノーホワイト、愛しいあなたが私にキスをしてくれたら思い出せるかもしれない」
(畜生……!)
完全に遊ばれている。
(何とかこちらのペースに上手く誘導し、聞き出す手立てはないのか…!)
歯切りしながらそんな事を考えていたその時の事時だった。
「シゲ、いい」
この王子様には自分が何かしらアクションを取った方が効果的だと思ったのだろう。
制止する俺の手を振り払ってアキラが前に出た。――そして、アミール王子の両腕を掴むと、爪先立ちをして彼の唇に自分のそれを重ねた。
(な……!)
キッチン内の時が止まる。
「アミー様、思い出していただけましたか?」
時を動かしたのは、彼女のその一言だった。
王子は夢から覚めたような目付きで目の前の美少女の顔を見つめていたが、ふいに目を細めると、獲物の喉元に喰らい付く肉食獣の様な荒々しさで彼女の唇を奪い返す。
「こんな子供のキスじゃ思い出せない」
「ちょ!――……んぐぐっ」
アミール王子と目が合った。
優越感に浸った蒼い瞳に、腹の底から何かが激しい噴煙の如く吹き上げて来た。――それは、認めたくないが確かに嫉妬だった。
(こいつ……、)
深く重なり合った唇の合間から彼女のくぐもった声と、切なそうな吐息が漏れる。
「んっ……ぅ、……ふぁ、ま、待っ――、」
「やだ、待たない」
角度を変えて、また二人の唇が深く重なる。
(ちっきしょう、……ずいぶんと情熱的なベロチュー見せつけてくれるじゃねーか。)
五臓六腑が煮えくり返る様だ。
やり場のない苛立ちに額の辺りがチリチリと音を立てる。もしかしたら額に青筋でも浮かんでいるのかもしれない。
「もっ、いいだろ……!?」
これ以上続けられたらまずいと思ったのだろう。
王子様の胸を押しのけて、距離を取るとアキラは口元を拭う。
そんなアキラに王子様はきょとんとした表情を浮かべた後、自分の胸を押し返す彼女の手を取り、その手に頬擦りしながら朗らかに笑った。
「な、何すんだよやめろよ!」
「やめないよ、愛しているから」
「うっ、何言って……」
「でも本当に君の方から口付けてくれるなんて思わなかったよ。いやぁ、嬉しいなぁ」
「で、思い出したのか!?」
「ああ、君が私にしてくれた情熱的なキスのお陰で思い出したよ」
「じゃあさっさと言えよっ!!」
頬擦りをされていた手の甲に今度はチュッとキスをされて、アキラはたじろぎながらその手を振りほどいた。
「でも、私は思い出したら君達に教えてあげるなんて一言も言ってないんだよねぇ」
うぐぐっと言葉につまるアキラを見るアミール王子の目は、スノーホワイトちゃんを愛でるいつもの彼の目と変わりない事に気付く。
(これは、もしや……?)
ある可能性が俺の中に浮上する。
「そもそも君達にそれを教えて、私に何のメリットがあるのかな?」
「それは…、」
「例えばだけど、君が向こうの世界を捨てて私に永遠の愛を誓うと言うのであれば、教えてあげない事もないのだけれど」
―――やはり。
この王子様は気にしていないのだ。
愛しの姫君の中に、三浦晃と言う男の人格が入っている事を。
(いや、むしろアキラが中に入っているスノーホワイトちゃんが良いと思っている様な…?)
そんな俺の嫌な予感は、すぐに的中する。
「どうする?君が私の物になると言うのならば、そちらのご友人は元の世界に帰れるかもしれないよ」
俺が何か言うより前に、アキラが大きな溜息を付いた。
そして少し疲れた様な表情をして顔を上げる。
「アミール王子」
「何かな」
「あんたのお姫様はスノーホワイト・エカラット・レネット・カルマン・レーヴル・ド=ロードルトリンゲインで俺じゃないだろう?例え俺が彼女の中から消えたとしても、彼女の体がこの地に残れば問題ないんじゃないか?俺が消えた後、スノーホワイトちゃんを改めて口説き落とせば良い。あんたならそれはそんなに難しい事じゃないだろうよ」
王子様はアキラの言葉に瞬きをした後、「ああ、なるほど」と手を打った。
「そうか、君達は知らないのか」
「何がだよ?」
「君達がこの世から消えて元の世界に帰る時は、その体も抹消する」
「えっ!そうなの!?」
「なんで!?」
思わず叫んでしまった俺達にアミール王子はしてやったりと言った顔で微笑んだ。
「どうしようかな、これは核心に迫る問題だからただで教えてあげるのは勿体ないなぁ」
「…………。」
アキラはスノーホワイトちゃんのプリティーフェイスをアミール王子に向けると、ジッと彼を見つめた。
「アミー様、おねがい…」
美人と言う生き物はつくづく得だ。
彼女がいたいけな瞳をうるうる潤ませ下唇を噛み締めると、王子は「うっ」とたじろいだ。
どうやらこの顔に弱いのは俺だけではないらしい。
―――しばしして。
王子様は「やれやれ、降参だ」と溜息混じりに両手を挙げる。
「私の可愛い姫 に免じてこれだけなら教えてあげてもいい。スノーホワイトとルーカスの体の中には、一つしか魂は入っていない」
含みのある視線でこちらを見る王子様に、俺は彼の言いたい事に気付いた。
「ああ、ご友人の方には覚えがあるみたいだね、何故ならば――、」
「言うな!!」
鋭く一喝すると、王子様は苦笑を浮かべながら肩を竦める。
「だって。ごめんね、私の可愛い白砂糖姫 」
「シゲ…?」
不審げにこちらを振り返るアキラには何も答える事はせず、俺はただアミール王子を睨む。
―――こいつ、向こうの俺達の体がどんな状態かも知っていやがる…!
(どうしてそんな事まで知っているんだ?まさかこいつが俺達の召喚主なのか?)
一瞬頭に過った考えは、すぐに違うだろうと言う結論に導かれる。
それならばこの王子様は俺達の会話を盗み聞きする必要なんてなかったし、アキラが穂波さんの息子だと知ってあそこまで驚きもしなかっただろう。そしてもっと早く、召喚主として俺達に何かしらのリアクションを取って来たはずだ。
しかし、それでも彼が俺達の召喚主に限りなく近しい場所にいるのは確かだ。
「スノーホワイト、――…いや、ミウラアキラ。私は君の事を本気で気に入っているんだ。あの日、ミュルクヴィズの森で再会してから、君が以前の美しいだけのお姫様ではない事に気付いていたよ」
解らない。
異世界の人間を召喚するなんて神懸かりな芸当、普通は魔力を持っていたとしても出来っこないのだ。
それこそ亡きベルナデット様の様に、ウンディーネの祝福を受けたリゲルブルクの王室の人間でもない限り不可能だ。
(って、リゲルブルクの王族なのか…?)
アミール王子もエミリオ王子も魔力を持たない。入り婿のラインハルト国王陛下も違う。
リゲルブルクの王室で、魔力を持っている王族の顔を必死に思い出す。
「初めて君に出会った日、君は私の理想を描いた完璧なお姫様だと思った。このお姫様の為なら何でも出来ると思ったよ。君が凶悪なドラゴンや悪い魔女に囚えられたのならば、それこそ私は物語の王子の様に君を救いに駆け付けようってね」
「…………。」
「しかし、先日”リリスの夜”の中に躊躇いなく飛び込んだ君を見て気が付いた。君は例え凶悪なドラゴンに浚われたとしても、そのドラゴンさえをも虜にして求愛される女性だ。悪い魔女に捕らえられたとしても、私が助けに行ったその時にはその魔女と打ち解けて仲良くお茶会でもしているだろうね」
(誰だ…?)
「大人になって再会したあなたは、いつだって私の予想を裏切り、私の想像を超えた。それだけじゃない、あなたは私の求めていた理想まで、遥か遠く、月の彼方まで飛び越えたんだ。凄いよ、まさかこんな夢のような女性が本当にこの世に存在していただなんて。――…ああ、あの時の私の感動が君には分かるかな?」
(一体、誰なんだ…?)
まるで叙事詩でも詠うかの様に語り出す王子様の話を他所に、必死に考えを巡らせる。
「あなたを知ってしまった以上、私はもう美しいだけの姫君では満足出来ない。助けが来るのをただ大人しく待っている囚われの姫君や、王子様のキスで起こして貰うのを待って眠っているだけのお姫様では、もう満足出来ないんだ。――…いつだって私の想像を超えた世界を見せてくれる、時に奇跡まで起こして私に見せてくれるあなたが良い。あなたじゃなきゃ駄目なんだ」
「…………。」
「時に常識をひっくり返して、――私だけじゃない。世界まで変えてくれる、そんなあなたが良い。あなたと二人なら、きっと私は何だって出来る。ねえ、お願いだ。私の、私だけの物になって欲しい」
王子様の熱烈なラブコールに、アキラは苦しげな表情で首を横に振った。
「……あの夜のあれは…そんなんじゃない、全部ただの偶然なんだよ。アミール、お前は俺を買いかぶり過ぎている」
「恋をすれば誰だってそんなものさ。君の場合、何をしでかすか判らなくて怖い所があるけれど、それがまた良いんだ。私に退屈する暇を与えてくれない。こんなに私の事を楽しませてくれる存在を、私はあなた以外に知らない。是非とも一生手元に置いておきたい。――…スノーホワイト、私と結婚してくれ」
アキラは答えなかった。
ただ黙って、アミール王子を見つめ返している。
(おい、……早く断れよ)
この沈黙に妙な焦燥感と苛立ちを感じ、舌打ち混じりにアキラを急かす。
「おい、アキラ」
「…………。」
「返事は?――私の可愛い白雪姫 」
「…………俺は、」
長い沈黙の後、アキラは「分からない…」と小さく答えた。
(嘘だろ……?)
恐らくそれは、彼の正直な答えなのだろう。
しかし俺はアキラがアミール王子の求婚の返答にここまで悩んだ事、そしてしっかりと断らなかった事に大きなショックを受けた。
相手は異世界の住人で、更に男だ。アキラが二つ返事で頷くとは思ってはいなかったが、まさかここまで悩むとも思っていなかったのだ。
想像以上にこの世界に――いや、目の前の王子様にコイツの心が持って行かれている事を知って、胃の底で無数の羽虫の卵が孵化して飛び回りはじめた様な、猛烈な不快感が込み上げて来る。
アキラの答えに王子様は芝居掛かった様子で、大きな溜息を付いた。
「困ったねぇ。ねえ、アキラ。君もこの世界を救ったら、聖女ホナミの様に異世界に帰ってしまうのかい?」
その口調はいつも通り、穏やかな口調で穏やかな笑顔だった。
なのに目が全く笑っていない。――だから怖い…!!
ここが戦場と錯覚してしまうような、一触即発の張りつめた空気が部屋に漂う。
「逃がさないよ、スノーホワイト」
アミール王子はスラリと国宝の神剣を抜いた。
国宝の神剣を神剣たらしめている、剣の柄の部分に埋めこまれている唯一神の7つの秘宝の内の1つ、『神の石』が青白く光り出す。
俺も舌打ちしながら腰の剣を抜刀した。
(くっそ、やっぱこうなるのか!!)
「貴女を失うくらいなら、私は……、」
狂気の色が滲み出した瞳に、スノーホワイトちゃんが息を飲む音が背後から聞こえる。
逃げられない。――改めて周囲を確認するが、場所が最悪だ。
キッチンの窓を割る事も考えたが、窓枠が小さ過ぎる。
スノーホワイトちゃんの体なら何とか出られるかもしれないが、割れたガラスの間を潜り抜けられるかどうかモゾモゾやっている時間をこの王子様は俺達に与えてはくれないだろう。
(壁を破るか?)
しかしこのログハウスの丸太はかなりしっかりと組まれている。
俺が蹴りを入れた位で穴は開かないだろう。
懐に魔力のない俺でも発動出来る魔石 を幾つか仕込んでいるが、こんな所でそんな物を使ったら俺達も爆発に巻き込まれてしまう。
―――正面突破するしかない。
この王子様が剣を振るっている所を見た所はないが、現役の騎士である自分が負けるとも思えない。――ならば、彼の持つ神剣の力が発動する前に斬りかかれば…。
―――その時、
「シゲ、小学校の頃、俺達が家庭科室を爆発させた時の事覚えてるか?」
「は…?」
耳打ちされ、アキラが手に持つ小麦粉の袋に気が付いた。
(まさか、粉塵爆発!?)
「お、おい、やめろ!それは結構ヤバいって……!!」
「お姫様を守るのは騎士の役目だろ、頼むぞルーカス・セレスティン!」
「ちょ、待て待て待て待て待て!!!!」
「せーのっ!!」
俺の制止の言葉を無視して、アキラはにんまり笑うと小麦粉の袋をキッチンの戸口――アミール王子の足元にぶちまける。
「これで少し頭冷やしとけ、王子様!!」
アキラが擦ったマッチを小麦粉が舞う戸口に放り投げるのと、俺がマントでスノーホワイトちゃんの体を覆い隠し、床に押し倒して自分の耳を塞いだのはほぼ同時だった。
「小麦粉……?」
化学が発展していないこの国では粉塵爆発の知識はない。
しかしただならぬ気配を感じたのか、アミール王子も神剣に漂わせていた水魔法を自分を包む結界に切り替える。――瞬間、
バアアアアアン!!
真っ白な小爆発が起こった。
「くっ!」
視界ゼロの白い煙の中、俺はスノーホワイトちゃんの体を小脇に抱えて外に飛び出した。
「勢いで逃げて来ちゃったけど、どうする?」
少し馬で走った小丘の先で、もう大丈夫だろうと俺は馬の上から降りた。
スノーホワイトちゃんの華奢な体を馬の下に下すと、馬の首元を撫でながらアキラは憮然とこちらを振り返る。
「どうするって、どうしよう?」
「このまま駆け落ちでもしちゃう?」
「お前と駆け落ちとか洒落になんねぇよ」
話し合った結果、やはりあの小屋に戻るしかないと言う結論に至った。
俺達が誰かに召喚されてこちらの世界に来たと言うのが真実で、あの王子様がその召喚主について知っているのならば俺達は彼から離れる訳にはいかない。
―――俺達が元の世界に帰る鍵をあの王子様が握っている。
「なんとか上手く聞き出すしかないな」
「シゲ、実は明日」
「明日何かあったか?」
「アミール王子の夜なんだ」
アキラは絶望的な口調でそう言って項垂れるが――、
「それってむしろチャンスなんじゃね?あの王子様がお前にベタ惚れなのは事実なんだ、スノーホワイトちゃんのそのパーフェクトボディーを使って何とか聞き出せよ」
「お前馬鹿だろ…、この感度抜群敏感バデーでどうやって聞き出せばいいんだよ」
「あっ……そうだね、スノーホワイトちゃん敏感っ子だもんね、マグロだったら良かったのにね…」
「うるせぇな、マグロになってもどうせビントロとかそういうオチだろ!分かってんだからなもう!!」
「ビントロかー。やっぱマグロ界の中では一番の敏感っ子なんだろうなぁ、いやらしい」
「はあ?海で一番いやらしいのはヤリイカだから。アイツ等絶対毎日ヤリまくってるから」
「懐かしいなおい。サバはサバサバ系女子の新垣で、ブリはブリッコあさみんだろ」
小学校の時クラスの女子を魚介類に例えると言う、今思うと全く意味の分からない遊びを思い出して思わず吹き出してしまった。
今俺達二人を包む空気は、あの頃と同じ物だ。
(俺達、昔みたいにきっと戻れるよな)
しかしその前に、俺は以前の事を謝るべきだろう。
「あー…そのよ、なんだ? 俺達色々あったけどよ、今は元の世界に帰る為に協力しあうべきだと思うんだよな。や、俺は別に一人でも問題ねぇけどお前は女の体だし?しかも超可愛いし、護衛は必要だろ?だから、お前がどうしてもって言うんなら」
(って、何言ってんだよ俺!謝るんだろうが!!)
しかしそんな俺の葛藤も虚しく、アキラは全くこちらの話を聞いていなかった。
「どうしよう、マジでプロポーズされちゃったんですけど。……この流れでアイツとヤったら、結婚するって言うまで絶対許して貰えない…」
(確かに…)
リアルに想像出来るのが笑える。
その様子を想像してしまった俺も、思わず真顔になってしまった。
「で、でもよ、宰相殿とか文官の坊ちゃんじゃないんだし、そんなにアレな攻め方はされねえだろ?朝まで逃げ切れば…、」
「そっか、シゲ、お前は知らないんだ…」
「何を?」
アキラは泣き笑いをしながら俺を振り返る。
「あの王子様、二人でする時はかなりねちっこいんだよ…」
「あ、そう…」
あの王子様がねちっこく目の前の美少女を攻める構図を想像し、思わずイラッとしてしまった。美男美女、王子に姫で妙に絵になるのがまた癪に障る。
精神衛生上聞かない方が良ろしいのだろうが、聞かずにはいられない。
「ちなみにどんな感じか聞いて良い?」
「……一晩中、ちんぽ挿れっぱなしで、『ちゃんと私の形を覚えるんだよ?』とか言って、」
(うわ、言いそう…)
イライラ、イライラ。
「『来週まであなたのここが私の形を覚えていなかったらお仕置きだからね』とかさ、絶対無理な事ばっか言って俺の事イジメるんだよ…」
「…………。」
あー、ムカつく。
死なねぇかな、あの王子様。
「そんなん絶対無理に決まってんじゃん?だってその間他の6人のちんぽが入れ代わり立ち代わり入る訳なんだから。まんこってそんな高性能の形状記憶装置持ってないだろ?形状記憶シャツじゃねぇんだからさ…」
「…………。」
「絶対今週も『ああ、酷い。たった一週間しか経っていないと言うのに、もう私の形を忘れてる。私は姫 の体を全身隈無く覚えてるのに悲しいなぁ。今夜は私の形や色、匂いから味までじっくりと思い出させてあげるからね』とか言って、また一晩中……うっ、ぅぅ…、」
そのまま膝を抱えしくしく泣きだすアキラ――…いや、美少女を俺はしばし無言で見つめていたが、彼女の涙を止めるだけでなく、自分にも美味しい案を思い付いた。
「……じゃあさ、俺と付き合うって皆の前で公表しちゃおうぜ?だから他の男とはもうエッチ出来ないって言えば、あの王子様と二人っきりのセックスも避けられるだろ?」
「それだ!!」
****
―――逃げられた。
小麦粉塗れのキッチンで、アミール王子は一人で笑っていた。
「くくく……あはは、あはははは!面白い、本当に面白い!これは何がなんでも手に入れないと!」
粉塵爆発の知識は化学の発展していないこの国にはない。
ただスノーホワイトが自分の目の前で小麦粉を使い、謎の爆発を起こしたその事実がおかしくて、アミール王子は笑っていた。
(炭鉱で度々爆発が起きる事があるが、恐らくあれと同じ原理なのだろう。石炭の粉が火気に反応して起きる爆発。それを小麦粉で応用した小爆発)
「凄いな、これが異世界の知識なのか。……いや、待てよ。砂糖やコーンスターチ等、他の無害そうな粉でも爆発を起こせるのか?――…だとしたら、色々使い道はありそうだ」
笑い過ぎて出て来た涙を拭い、彼は剣を鞘にしまう。
「ああ、おかしい、本当にあの子にはいつも驚かされる」
(異界の乙女、聖女ホナミの息子か)
アミール王子の目がまた鋭さを増す。
―――聖女と聞いて、思い出すのは死に際の母の顔だった。
『エミリオの事は任せましたよ』
産まれたばかりの弟をアミール王子に渡すと、ベルナデット王妃は死相の浮かんだ顔で語り出した。
『私は死ぬでしょう。恐らく、近日中に』
『何故ですか、母上』
『ホナミに負けたから。……結婚すれば、子供をもうければ、ライナー兄様を取り戻せると思ったのになぁ。本当に、あの女、嫌い。大嫌いよ。』
最後の方は独り言の様だった。
『ねえアミー、恋は戦争なのよ。恋と戦争の本質とはとても良く似てる。始めるのは簡単だけれど、終わらせるのはとても難しい。その戦いは命懸けで、あらゆる戦術を行使する事が許されるけれど、経験は全く役に立たないのです。押せば良い時もあるし、引いた方が良い時もある。自分に正直でいた方が良い日もあれば、そうではない日もある。嘘を付いた方が良い日もあるけれどそうではない日もある。その日の正解は翌日には間違いになっているなんて事もざらだから、いつだって選択に迷う。何を言うべきか、何をするべきか悩む。考えても考えても正解が分からない。誰も答えなんて教えてくれないの。――あなたの母はその戦争に負けたのです。だから死ぬのよ。敗者らしく、無様にね』
母が何を言わんとしているのか、幼い彼には理解出来なかった。
(母は父と結婚し、私と弟を産んだのだ。そんな彼女が一体何に負けたと言うのだろう?)
『私達の体が恋に敗れると、ウンディーネの血を引くこの肉体がどうなるか知っているわよね?』
『水の泡になって、消える』
息子の言葉にベルナデット王妃は静かに頷いた。
初代国王ディートフリート・リゲルが陸に打ち上げられていた魚を哀れに思い泉に返してやったと言う逸話から、リゲルブルクが水の精霊ウンディーネの加護を受ける様になったと言う創国神話があるが、それは半分正解で半分間違っている。
リゲルが助けらた魚はウンディーネその人だった。
リゲルに助けられたウンディーネは、魚から美しい娘の姿に戻ると彼に礼を言った。
その美しい娘にリゲルは一目で恋に落ちた。
恋に落ちたのは、心優しいリゲルに助けられたウンディーネも同様だった。
その後ウンディーネは「リゲルと一緒になりたい」と水界の王である父に頼み込んだ。
当然、人間であるリゲルとの結婚は水界中で大反対された。
その時、唯一ウンディーネの肩を持ったのが、彼女の叔父である水竜王だったと言われている。
水竜王は、「二人の愛が本物であると証明出来ると言うのであれば、許そうではないか」と言った。
リゲルの心がウンディーネから離れ彼女を裏切ってしまったら、彼の国は海の藻屑となって消えるだろう。そしてウンディーネもリゲルを裏切ったら、水の泡となって消えるだろうと言う誓約を条件に二人の結婚を認める。ただしこの誓約をリゲルに言ってはならない。それでも良いと言うのならば、水界は二人の結婚を認めようと言った。
ウンディーネはその条件を飲んだ。――自分達の愛は永遠に変わりないと言う自信があったからだ。
そしてウンディーネは人の子の肉と魂を水界の王に貰い、リゲルと結婚した。
それから数十年の時が流れた。
二人は互いを裏切る事なく寿命を終えた。
リゲルの寿命が尽きるのと共に、彼女の肉も水となって消えた。
魂だけになったウンディーネは精霊界に戻らず、自分とリゲルの子孫を見守る事と決めた。
何故なら二人が結婚する際に結ばれた水界の制約は、彼らの子孫に呪いの様に脈々と受け継がれてしまったからだ。
―――つまりウンディーネの血を引くリゲルブルクの王族は、初めて愛し合った異性が唯一無二の存在で、その存在を裏切れば水の泡となって消えてしまうと言う誓約の上で生きている。
それからウンディーネは何人も自分の子孫が水の泡となって消えていくのを見送った。
そして今、ベルナデットも水の泡となって消えようとしている。
『――…私の可愛い坊や、あなたはあの人に似て賢いわ。顔も私に似てとても可愛らしい。大丈夫、あなたならきっと大丈夫。あなたは愛する人の愛を勝ち取って、幸せに生きるのよ』
アミールは母の手を取るが、その瞬間、彼女の手は水の泡となって消えてしまう。
『何故ですか?父上と母上は愛し合って結婚なされた!子宝にも恵まれた!それなのに、一体母上の何が水界の禁忌を犯したと言うのですか!?』
『それは……私が、愛されなかったから。そもそもこの結婚自体が間違いだったのよ。――あの人の心は、結婚する前から、結婚した後も、ずっと聖女の……ホナミのもの』
『そん、な…』
つまり、母の話によるとこういう事だ。
自分が裏切っていなくても、相手の愛を得られなければ結果は同じなのだと言う。
自分の命の事なので、それからアミール王子は歴代の王族の恋愛事情について調べた。
長生きした者は皆、一途にただ一人の人間だけを死ぬまで愛していた。
子孫へと残された王室日誌を読むと、例え愛がなくなっても定期的に性的接触があれば死ぬ事はないらしい。――ただ、不貞を働くと死ぬ。
一番良いのは互いに愛があり、日常的に性的接触がある事らしいのだが。
つまり愛のない営みでは、例え子供が出来たとしても1年も持たない。
母の死が彼にそれを教えてくれた。
「まあいい。――私は、母上と違って甘くない」
あの二人はすぐに帰って来るだろう。
元の世界に帰りたければ、現状、自分の元に帰ってくるしかないのだ。
「私は貴女の事を逃さない。泣いても叫んでも、元の世界になんて帰してやらない。――…ねえ、スノーホワイト?」
彼の腰の剣――『幽魔の牢獄』が、彼の言葉に共鳴する様にうっすらと光った。
0 komentar:
Posting Komentar